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Fatal Doll



<63>



「あ〜あ。何か、意外なほど呆気なかったな。
 律儀に舎弟を助けに行っちゃうから、身動き取れなくなるんだよ」

 御山から飽きるほど聞かされていた鷲塚の冷酷非情なイメージが崩れ、椅子の背もたれに寄りかかっていた翔太は、拍子抜けしたように嘆息をもらした。

 たとえ傷ついた部下を盾にしてでも、鷲塚なら不意の銃撃をかわし、生き延びるのではないかと半ば期待していた。

 その生命を仕留めたいと願う一方で、相反する憧憬にも似た気持ちがそう思わせる。

 越えたいと……越えなければならないとずっと思っていた、高い壁。

 父である御山に翔太自身の力量を認めさせるためには、最大の敵である鷲塚を倒さなければならない。

 鷲塚以外の人間では、きっと御山は納得しないだろう。

 だからこそ、卑怯な手段を使って鷲塚最大の弱点──零を拉致させ、冷静な男の精神を追いつめた。

 そうするしか、勝つための方法は無いと思えた。

 冷静沈着で狡猾極まりない狼王が、愛する妻を失って狂乱し、その果てに人間の手に捕らわれたように。

 零には何の恨みも無いが、鷲塚に愛された事が不運だったとしか言う他ないのだろう。

「零さんには……可哀想な事しちゃったけどね」

 悔恨が残るとすれば、心身共に壊れていってしまいそうな零に対してだけ。

 その身に両性具有という秘密を抱え込んでいた零は、御山や翔太の手で陵辱され、ファントムへの恐怖にも蝕まれ、どんどん衰弱していっている。

 零の精神を追いつめたのは、翔太も御山たちと変わらないのだが、その悲愴な様子を見ていると辛くなり、胸が苦しくなった。

 優しく微笑みかけてくれていただけに、青ざめた零の顔つきが可哀想でならなかった。

 せめて、自分の手で守ってやりたいと思うのだが、まさか御山までが零に執着を見せ始めるとは思わなかった。

 最初は玩具の様に弄んでいた御山が、少しずつ零にのめり込み始めていることに、本人は果たして気づいているのだろうか?

 女遊びの激しい御山だが、それは単に性欲を満たすためや退屈しのぎの遊びであって、決して誰かを愛するわけではない。

 翔太の母、田中弥生も、そうやって御山に捨てられた女だった。

 息子が生まれたと知らなければ、決して省みられることすらなかっただろう……ただ、それだけの存在。

 そんな薄情な男が過去に唯一心を寄せたのが、相楽香澄という女性だが、当時彼女の親友だったのが翔太の母だった。

 親友を裏切ってでも、御山に愛されたかったと弥生は言っていたが、その結果ボロぞうきんのように捨てられ、今もまた利用されている。

 御山が翔太を操るために、その逃れられない枷の一つとして──。

 パソコンの前でファントムからの報告を待ちながら、過去につらつらと思いを巡らせていた翔太は、頭にはめていたヘッドセットを外してデスクに置いた。

 胸の奥から、抑えきれない嘆息が溢れ出す。

 鷲塚殺害に成功したとはいえ、喜ぶ気にはなれないし、心も晴れない。

 結局のところ、翔太自身にとっての最大の敵は、鷲塚ではなく御山なのだ。

 母親と功刀彰丈の命を御山に握られてしまっている以上、今後もまた同じ事が何度となく繰り返される。

 操り人形のまま、決して自由は訪れない。

 だとすれば、何のために罪を犯し、功刀に軽蔑されるような事をやっているのだろう。

『自分自身を傷つけるな、翔太。
 君はまだ若い──人々や社会のために生きて、プライドを取り戻せ』

 自分の躰を餌にして愚かな中年男を引っかけ、金を巻き上げていた翔太に、功刀は青臭く説教をした。

 自分を取り巻く社会に対して斜に構え、醒めた目で見ていた翔太にとって、初対面の功刀はバカな大人の一人だったが、彼の誠実な人柄に惹かれるようになったのはいつの頃だったのだろう。

 反発しながらも、だんだん彼と同じ弁護士を目指そうと思うようになったのは──?

「だけど……結局、血は争えないってことだよな」

 御山が父親であると知ってから、全てが狂った。

 鷲塚への憎悪を注ぎ込まれ、鷲塚を超えろと命じられた──そうでなければ、大切なものを全て失うことになると。

 それが使命のように感じていたが、鷲塚が死んだ今、急に夢から醒めたように何もかもが虚しくなってくる。

 御山の手の内で踊らされ、良心を失った。

 もう、功刀に会うことはできない。

 正義のために生きようとする功刀は、期待を裏切った翔太を許しはしないだろうし、きっと軽蔑するだろう。

「──彰丈さん……それでも俺は、あなたを守りたかったんだ」

 胸の奥でジクジクと疼く後悔を吐き出すように、翔太は呟き、苦笑をもらした。

 と、その時、背後のドアが激しい開閉音を立てた。

 部屋の外で翔太の護衛をしていたスキンヘッドのボディーガードが、強烈な衝撃を受けたかのように吹き飛んでくる。

 はっと我に返り、椅子から立ち上がって振り向くと、悲鳴を上げる母親の弥生が翔太の胸に飛び込んできた。

 ドンとぶつかり、その勢いに大きくよろめいた翔太は、重病を患う母親をかばうようにして床に倒れ込んだ。

「……き、貴様ぁーッ!」

 屋上へと続く階段から慌ただしく駆け下りてきた男が、拳銃を構えながら怒声を上げる。

 手勢が足りなくなった翔太の身辺を守るために、御山が寄越した本家付きの極道。

 それとほとんど同時に、床に倒れ込んでいたスキンヘッドが、野太い雄叫びを上げて立ち上がり、侵入者に飛びかかってゆく。

 一瞬、二つの影が交錯し、拳銃を構えた男は躊躇したように銃口を上げた。

 その刹那、突如として出現した竜巻のような黒い影は、ドア向こうにいた男の額を容赦なく撃ち抜くと、反転しながらスキンヘッドの顔面に肘を叩き込んだ。

 グシャリと鼻の骨が折れる音、狂ったようにわめき散らされる悲鳴。

 だが、それも長くは続かない。

 血塗れになりながら、ボディーガードががむしゃらに繰り出すパンチを受け流した黒い影は、男の顎下を掌底で打ち、その反動のまま後頭部から床に落下させる。

 あまりにも鮮やかで洗練された攻撃──頭蓋骨が破壊される鈍い響きが、床をズシンと振動させた。

 硝煙を吐き出す銃口を向けられているにも関わらず、翔太はただ呆然と、その恐るべき黒い死神を見上げることしかできなかった。

 悲鳴を上げる母親を背後にかばうのが、せめてもの抗い。

「──零はどこにいる?」

 死んだはずの男が、極限まで凍えた声で問いかける。

 翔太を冷ややかに見下ろす、人間味の失せた鋼色の双眸。

 頭が真っ白になり、その問いに答えることはできなかった。

 次の瞬間、鈍く隠った破裂音と同時に、耳の傍を銃弾が飛んでゆく。

「……きゃああっ!」

 母親の悲鳴で、翔太は我に返った。

「──ま、待って、撃つな! 母さんは病気なんだ!」

 とっさに声を上げていた翔太は、ガタガタと震える弥生の痩せ衰えた躰を抱き締め、顔色ひとつ変えずに拳銃を向けてくる鷲塚を見上げた。

「な、何で……あんたが、ここにいるんだ?
 まさか、あんた一人で、ここに乗り込んで来たのか?」

 いまだに目に見える光景が信じられず、翔太が狼狽えながら聞き返すと、鷲塚はすっと双眸を眇め、トリガーを引いた。

 銃弾がフローリングの床にめり込む──座り込んでいる翔太の、両脚の間。

「質問したのは俺だ。貴様は答えるだけでいい」

 一片の感情も交えぬその声音にぞっとして、翔太はごくりと唾を飲み下していた。

 優位を覆され、プライドが完膚無きまでに叩きのめされる。

 ひたひたと押し寄せてくる敗北感に唇を噛んだ翔太は、立ちはだかる鷲塚から目を逸らせぬまま、重い口を開いた。

「零さんは……ここにはいない──最初は、ここにいたんだけど。
 今、零さんがいるのは、オヤジの家だ」

「北聖会の本家ということか?」

「何だ……全部、判っちゃってるんだ」

 聞き返された鷲塚の言葉に目を瞠り、翔太は思わず苦笑を漏らしていた。

「だったら、あんたは俺たちをぬか喜びさせて、陰で嘲笑っていたってこと?
 せっかく念願が叶ったって、オヤジと祝杯を上げようと思っていたのにねえ」

 もはや、撃たれることに恐怖は感じず、開き直った翔太は虚ろな笑い声を響かせた。

「俺を撃てばいいよ、鷲塚サン。
 だけど、俺を殺したところで、零さんはあんたの腕には戻らない。
 あんたが生きていると知ったら、オヤジはすぐに次の手を打つだろうからね」

 しかし鷲塚は、表情を変えぬまま淡々と告げた。

「お前を殺しはしない──今はまだ。
 そうでなければ、お前の命乞いをして、わざわざ俺の身代わりになって撃たれたあの功刀という弁護士との約束を違えることになる」

「功刀って……まさか……」

 その名を聞き、さっと青ざめた翔太は、銃口が向けられていることも忘れ、デスクの上のパソコンにしがみついた。

 監視カメラの録画を再生させ、誰が撃たれたのかを確認する。

 だが、赤外線カメラの画像は悪くて、思っていたより顔がはっきりと写っていない。

 激しい焦燥感に駆られながら、コマ送りをしていった翔太は、やがて「鷲塚」の顔が意図的に隠されていることに気づいた。

 サングラスに覆われていた目許が写ることは一度もない。

 床に倒れてからも、先に捕らわれていた手下の背中や、襲撃者であるファントムたちの躰に遮られてしまい、肝心な部分が消されているのだ。

 思わず息を止め、硬直している翔太の後頭部に、ゴツリと硬い銃口が押し当てられた。

「──東山、送ってやれ」

 空いた片手で携帯電話を操作し、鷲塚が淡々と指示をする。

 それを合図に、翔太のパソコンに動画ファイルが送信されてきた。

『ああ、翔太クン? せっかく頑張って処理した映像ですから、楽しんでくださいね。
 無線式の監視カメラだったので、乗っ取るのは簡単でしたよ。
 古谷さんが捕まえてくれたあなたのお仲間が、ペラペラと計画を喋ってくれましてね。
 お陰様で、こちらの計画がやり易くなりました。
 まあ、功刀先輩にはお気の毒なことをしましたけれどねえ』

 くすくすと笑う東山の声を聞くうちに、翔太の手はぶるぶると震え始めていた。

 送信されてきたファイルを開き、再生させる。

 暗闇の中でファントムたちに銃撃され、倒れた男──跳ね飛んだサングラス、そしてその下から覗いている顔は……。

「ま、まさか……本当に……彰丈さん?」

 真っ赤に染まっている腕や足、そして胸や腹部。

「哀れな男だ。貴様の命乞いをしながら、貴様の手で撃たれることになるとはな」

 素っ気なく呟いた男を振り返り、思わず睨みつけていた翔太は、鷲塚の口許に凍てつくような嘲笑が刻まれていることに気づいた。

「あんたは……いつ、彰丈さんと入れ替わったんだ?」

「渋谷駅を出たすぐ後に。
 他人に踊らされるのは性に合わん。
 どうせ危険の及ばない離れた場所からしか、俺たちを観察できなかっただろう?
 背格好がよく似たあの男と俺が入れ替わっても、お前たちは気づきもしなかったからな」

「そ、そんな……」

 急に膝から力が抜け、翔太は床にへたり込んでいた。