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Fatal Doll



<66>



 すると、御山はわざとらしく嘆息をもらしてサンルームから降り立ち、自ら鷲塚の方へと歩み寄ってきた。

「──オヤジッ!」

 周囲から次々に上がる野太い心配の声。

 焦燥と不安の中から殺意が大きく膨れ上がり、鷲塚に集中する。

 己の急所に銃口が向けられていることを感じながらも、鷲塚は御山に照準を定めたまま動かなかった。

 そして御山もまた歩を止めず、地面に落ちたペンダントを無造作に拾い上げる。

 ロケットの蓋を開け、写真に視線を向けた御山の双眸がわずかに眇められた。

 一点に集中した御山の瞳の中に、愛憎と哀惜が微かに溶け込む。

 だが刹那的な感情の揺らぎはすぐに消え失せ、蓋を閉じた御山は鷲塚を睨むと、冷え冷えとした声で告げた。

「頭を冷やすがいい、鷲塚。
 ここで殺し合ったところで、お互い何の得になる?
 お前の愛人がいなくなったというのは気の毒だが、我々にはそもそも関係無い」

 御山は、鷲塚の背後で拳銃を構える男たちを一瞥すると、「チャカをしまえ」とドスの利いた低音で命じた。

 狼狽した顔つきで互いを見合う男たちに、御山は「早くしろ!」と続けざまに怒鳴る。

 御山の命令は絶対──北聖会の連中にとっては神の声にも等しい。

 男たちは瞳に色濃く不安を宿したまま、構えていた拳銃を下ろし、スーツの中に戻した。

 全員が空手になったことを確認するように視線を巡らせた御山は、狡猾な微笑を口許に閃かせ、不気味なほど穏やかな声で鷲塚に言った。

「お前も、それを隠した方が良いんじゃないのか?
 ここは私の家だということを忘れているようだが。
 荒事を起こすには、時と場所が悪すぎる──お互いにな」

 鷲塚が投じたペンダントを握ったまま、御山はそれ以上は何も語らずに背を向け、屋敷の中へと戻って行こうとする。

 無防備なその背中を守る者は誰もおらず、トリガーを引けば確実に仕留められる。

 だが──。

「御山……俺を殺したいのなら、正面からかかってくるがいい。
 俺は逃げも隠れもしない。
 いい加減にせこい真似は止めたらどうだ?」

 鷲塚が侮辱的な言葉を投げかけると、肩越しに振り返った御山は憎悪に満ちた微笑を浮かべる。

「私を挑発しても無駄だ。
 そもそも我々は休戦中のはず。ここで争う理由など何も無い」

 それ以上取り合うつもりは無いのか、御山は「出て行け」と促すように片手を振る。

 銃口を下ろした鷲塚は、窒息の苦痛にもがく銀縁眼鏡のスラックスに拳銃を素早くねじ込むと、その躰を突き飛ばした。

 それから間もなく、虚勢を張るように肩をいからせた中年の刑事が、周囲にガンを飛ばしながら庭に乗り込んでくる。

「……出入りとは穏やかじゃねえなあ、鷲塚サンよ。
 いったいてめぇら、何をやらかしたんだ?
 あっちこっちで、何やらきな臭い噂が飛び交ってるぞ」

 ヤクザよりもヤクザらしく見える角刈りの中年刑事──所属は捜査四課であることは間違いない。

 鷲塚は冷淡に一瞥すると、中年刑事の口から次の言葉が飛び出す前に踵を返した。

 そして擦れ違い様、素っ気なく応じる。

「俺は死んだ上橋の弔問に来ただけだ。
 もっとも……御山にとっては招かねざる客でしかないが」

 外で張り込みをしていた刑事に、北聖会の誰かがタレコミに走ったのは間違いない。

 鷲塚が、住居侵入罪を犯していると。

 だが御山は、自邸で騒動を大きくするつもりは欠片も無いだろう。

 鷲塚が侵入することも、警察が介入することも望んではいない──住居内部を探られては困る理由が存在するなら確実に。

 その証のように、鷲塚が御山邸の門をくぐって外に出ても、刑事は後から追いかけてはこなかった。

 


 零も翔太も、TVモニターが映し出す光景に釘付けになっていた。

「敵の牙城にたった一人で、それも丸腰で乗り込んでくるなんて……よほど命知らずなのか、バカなのか……。
 信じられない無謀さだよね」

 一瞬で二人の極道を打ち倒した鷲塚を見ていた翔太が、呆れたように苦笑を漏らす。

 だが、翔太の言葉は零の耳に聞こえてはいたものの、意味をなさずに素通りしてゆく。

 TVモニターに見入っていた零は、瞬きもできぬまま、画面に向かって震える指先を伸ばしていた。

「……良かった──ちゃんと……生きてる」

 鷲塚が銃撃に倒れ、死んでしまったと思った時のショック。

 まるで、氷の楔を心臓に打ち込まれたように感じた。

 だが、鷲塚は生きている……以前と変わらぬ姿で、こんなにも近い所にいる。

 零の双瞳から、涙が頬にこぼれ落ちた。

 鷲塚が庭へと移動してゆくと画面からその姿が消え、翔太は再び監視カメラの映像を切り替えようとする。

 その束の間の空白をひどく長く感じ、TVから身を引いた零は息を止めていた。

 やがて鷲塚の姿は再び見えるようになったが、先程までよりも大勢の男たちに囲まれてしまっている。

 御山が現れ、二人は何かを話しているようだったが、音声は届かない。

「ごめんね、零さん──これ、無声映像なんだ」

 どことなく落胆しているような声で翔太が呟いたが、やはりその言葉もまた零の意識から流れ落ちてゆく。

 気に留めている余裕など無かった。

 御山に銃口を向けている鷲塚は、その場にいる男たち全員の銃撃の的になってしまっているのだ。

「──海琉を……助けなきゃ……」

「部屋の外には出られないよ、零さん。
 それに、あそこに行ったところで、何もできないって!」

 突然ふらりと立ち上がった零に驚いたように、翔太が慌てて制止の声を上げる。

 だが、何も考えられない……じっとしている事などできない──ただ、鷲塚の傍に行きたいとしか感じられない。

 混濁し、霞がかった意識のまま部屋のドアを開けた零は、出口を塞ぐように立っている男の背中を見た途端、はっと双瞳を見開いた。

 すぐに振り返ったその男は、恐ろしく険しい顔で零を睨みつけ、その太い腕で無造作に肩を突き飛ばす。

 体勢を崩し、床に倒れかかる零を、背後から駆け寄った翔太がすかさず抱き留めた。

「零さんに乱暴するな。オヤジが見たら、ぶっ殺されるぞ」

 鋭く叱責する翔太に、男は感情のこもらない冷ややかな声で応じる。

「逃げようとしたら、殺してもいいと言われています」

 そう告げる男の手には、いつの間にか黒光りする拳銃が握られており、その銃口は零の胸へと向けられていた。

「止めろ、バカ! 銃を下ろせ」

 零をかばうように身を乗り出した翔太は、勢いよくTVを指差す。

「見ろ──サツが入って来てんだぞ!
 ここで零さんを撃ったら、どうなるかわかってんのか!!」

 促されるままTVに視線を向けた男は、そこに見知った顔を認めたのか、忌々しげに舌打ちをする。

 突き飛ばされた衝撃で我に返っていた零は、とっさに翔太の腕を振り切り、男の隙を突いて部屋の外へと飛び出そうとした。

 今なら、逃げ出せるかもしれない──警察が……鷲塚がすぐ傍にいる、今なら──。

「零さん! ダメだって!!」

 翔太の動揺した声が跳ね上がる。

 だが、閉ざされたドアを零が再び開けようとした時、背後から伸びてきた男の手が後ろ襟を掴み、恐ろしい力で引きずり戻した。

 喉が絞まり、ぐっと低い呻きを上げた零は、その手を振りほどこうと夢中で抗った。

 次の瞬間、左の方角から平手が飛んでくる。

 頬をぶたれた衝撃で床に倒れ込むと、唸り声を上げた男はそのまま零の衣服を掴んでさらにベッドに放り投げる。

 ほとんど食事も摂らず、力を失っていた零の躰は、あまりにも呆気なく崩れた。

「……舐めた真似しやがって」

 零の右手を掴み、背後にねじり上げた男は、肩に走った激痛に呻いた零の後頭部に硬い銃口を押しつけてきた。

「バカ野郎! 止めろって言ってるだろうが!」

 翔太はそう叫んだが、誤って引き金を引かれることを恐れ、それ以上手出しができない。

 その時、部屋のドアが大きく開き、御山の声が響いた。

「騒々しい。何事だ?」

 先程まで鷲塚と対峙していた御山が戻ってきたことを知り、零は瞼をきつく閉ざしたまま唇を噛みしめた。

 結局、何もできなかったのだ……鷲塚が傍にいたのに、助けに行くことも、ここから逃れることも──。

 己の無力さが、どうしようもなく悔しい。

 御山に事情を報告する男の声と、零を擁護する翔太の声を聞きながら、閉じた瞼の奥で涙が滲み出す。

「放してやれ」と命じる御山の声が響くと、拘束が緩み、肩が楽になった。

 痺れたように痛む右腕を胸元に引き寄せてうつ伏せた零は、両目を閉ざしたまま顔を上げなかった。

「まだ逃げようとする気力が残っていたとはな。
 とっくに諦めたものと思っていたが、恋しい男の顔を見て急に元気になったか?」

 くつくつと笑いながらベッドの傍に立った御山は、不意に零の肩を背後からつかみ、その躰を反転させる。

 身をすくませる間もなく仰向けに返された零は、喉元に御山の手がかかると、涙の滲む双瞳で睨み返した。

「海琉は、ちゃんとここまで助けに来てくれた。
 だから、私も……諦めたりしない」

「それはどうだろうな。
 結局鷲塚は、お前を助け出せず、引き返すしかなかった。
 情けないヒーローだと思わないか?」

 嘲笑するように御山の唇が歪む。

 零はセピアの瞳に精一杯の力を込めると、冷酷な男の顔をじっと見すえた。

「だけどあなたも、海琉を殺せなかった……そうでしょう?」

 その瞬間、御山の双眸の奥で殺気が弾け、首を絞める両手に力がこもった。

「では、殺してやろうか……お前と共に。
 それほどまでに鷲塚を想うなら、二人そろってあの世に逝くがいい」

 御山の憎悪が突然炎のように噴き出し、指先に凝縮しようとする。

 残酷な瞳に憎悪と喜悦が交錯した瞬間、翔太が焦ったように父親にすがりついた。

「ま、待ってくれよ、父さん!
 頼むから、俺に最後のチャンスをくれないか?」

 必死に懇願するようなその言葉に、御山は険しい顔つきのまま、怒りに満ちた厳格な視線を翔太に向けた。

「最後のチャンスだと?
 お前は鷲塚を殺し損ねたあげく、後までつけられ、あの男をここに呼び込んだ。
 今さら、どうしようというのだ?」

 殺意に満ちた視線に気圧されたように息を喘がせた翔太は、ゆっくりと一度深呼吸をすると、できるだけ冷静な声で言葉を継いだ。

「零さんは、鷲塚にとっては今でも最大の弱点なんだ。
 あいつは、零さんが殺されることを何よりも恐れてる。
 だから、一人でここに来たし、強引に踏み込んでこなかったんだと思う。
 零さんを殺すのは、鷲塚一人をおびき寄せた後でも良いんじゃないかな?
 ここで零さんを殺してしまったら、切り札としての価値が無くなるだろう?」