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Fatal Doll



<69>



 堅実な人生を歩んできたはずの弁護士は、徐々に修羅場慣れし始めているのか、平静な態度を崩さない。

 案内人役の男の後を歩きながら、鷲塚は周囲を探った。

 車の両サイドに積み上げられたコンテナ、解体途中になっている鉄骨剥き出しの倉庫。

 そして、隠しきれない殺気──殺意を剥き出しにして潜んでいる刺客の群。

 予測通りに罠は仕掛けられ、翔太は……否、御山は、鷲塚を生かして帰すつもりが無いと宣言している。

 この場所を墓場に変えようとしているのだろうが、今のところ襲撃の気配は無い。

 御山自身はこの場にはおらず、息子に指揮を任せ、いつもと同じく安全な場所にいて高みの見物を決め込んでいるのだろう。

 決して己の手を汚さず、手駒を操る──それが御山のやり方だった。

(……腰抜けめ。出張ってくれば、ここでケリをつけてやったものを)

 だが、もしここの場に御山がいたなら、人質の交換取引は頭から成立せず、零を取り戻すことは叶わなくなる。

 心中で悪態をついた鷲塚は、アドレナリンによって攻撃的になっている己自身を制した。

 リーダーが翔太であるなら、襲撃のタイミングは、人質を交換した直後か。

 鎖が巻き付けられ、南京錠が掛けられた廃倉庫の通用口を、案内人が開ける。

 錆び付いた軋み音を立てて鉄製の扉が開くと、白熱灯に照らされた空間に、田中翔太が一人で立っていた。

「──翔太!」

 功刀が焦燥に満ちた声を上げる。

 その呼び声に応じるように、翔太は挨拶でもするように片手を挙げて見せた。

 功刀の背中に銃口を押し当ててまま、鷲塚は倉庫に足を踏み入れ、内部を観察する。

 圧縮された廃材がうず高く積まれ、搬入・搬出用重機や大型機械が並ぶ。

 倉庫正面の大扉の前には、口が開いた空のコンテナ。

 面積の広い倉庫ではあるものの、内部には障害物が多い。

 あたかも金属の密林──狩るか、狩られるか、争うには最適の場所であるとも言える。

 次の瞬間、鈍く空気を震わす音と共にスポットライトが点灯し、闇のわだかまった中空を明るく照らし出した。

 倉庫の天井を横断する2カ所のランウェイ。

 スポットライトが設置されているランウェイとは反対側の、ちょうど真ん中辺りに、天井クレーンのワイヤーロープが吊り下がっている。

 両手足を縛られ、片フックに引っかけられて空中に浮かんでいるのは……見間違いようもなく零だった。

 宙吊りにされている零は意識が無いのか、ぐったりと項垂れている。

 瞬時に天井クレーンの構造を確認し、双眸を眇めた鷲塚は舌打ちをする。

 煌々とスポットライトで照らし出された零は、素人でも撃ち落とせそうな格好の標的になっていた。

 鋼線を寄り合わせたワイヤーロープが簡単に切れない以上、クレーンの操作室に入り、ランウェイ上の滑車台を稼働させ、手元まで引き寄せなければならない。

「──どういうつもりだ?」

 功刀の背中を押し、翔太との距離を半分に縮めたところで、鷲塚は問いかけた。

 すると薄笑みを浮かべていた翔太は、ズボンのポケットから取り出した銀色の鍵を、顔の横で振って見せる。

「時間稼ぎが必要になるかなあと思ってさ。
 これは、あのクレーンの鍵。
 母さんと功刀さんを返してくれるなら、あんたにあげるよ、鷲塚さん。
 それで、あんたが零さんを助けている間に、俺たちは遠くまで逃げる。
 零さんを助けた途端、撃ち殺されちゃたまらないからね」

 悪びれた様子も無く笑った翔太は、思わせぶりに鍵を掌に握り込むと、そのまま拳をポケットに突っ込む。

「零は生きているんだろうな?」

 中空に視線を走らせた鷲塚は、ぴくりとも動かない零を見る。

「騒いだり、暴れたりすると怪我しちゃうから、軽い鎮静剤を打ってある。
 そんなに心配しなくても、もうすぐ目を覚ますよ」

 零を振り仰いだ翔太は肩をすくめると、鷲塚に向き直った。

「……で、母さんは?」

「車の中だ。母親は先に渡してやる。貴様の手下にそう言え」

 翔太は、倉庫の通用口で棒立ちになっている案内人に顎をしゃくった。

 男は背を向け、田中弥生が残る車に向かって駆け出してゆく。

 携帯電話に連絡が入ると、翔太はわずかに安堵の表情を浮かべた。

「それじゃあ、俺は鍵をここに置く。
 あんたは、功刀さんをそこに立たせたまま、この鍵を取りに来て」

 クレーンの鍵と功刀の身柄を交換した後、翔太は外に逃げ、鷲塚は零を助けに操作室へと上がる。

 鉄製のランウェイ下部に設置されている操作室に駆け上がるまで、約30秒──零をこの腕に取り戻すまでには、最低でも5分は必要だろうか。

 もっとも、何事もなければという条件付きではあったが。

 顔を動かさず、目線だけで素早く距離を測った鷲塚は、了承の印に頷いて見せた。

 結論が決まっているのなら、今さら無駄な駆け引きをして時間稼ぎをするより、さっさと幕を上げてしまった方が良い。

「言っとくけど、俺は丸腰だからね。
 鷲塚サンにも、そういう物騒なモノは、持ってきて欲しくなかったなあ」

 天井クレーンの鍵をコンクリートの床に置いた翔太は、わざとらしい笑みを顔に貼り付けたまま、両手を挙げて見せる。

 功刀の背中から銃口を離した鷲塚は、翔太の胸に照準を変えた。

「……鷲塚さん──お願いですから……」

 ぎくりとしたように顔を青ざめさせた功刀が、懇願するように小声で囁きかけてくる。

 翔太を殺害しないと、功刀に約束をした。

 その上で、功刀に協力させているのだが、そもそも最初から、バカ正直に約束を守るつもりは鷲塚にはなかった。

 利用できるものは全て利用する。

 だが、害悪にしかならないなら、処分が必要になる。

「功刀。お前は、翔太と共に行け。俺の事は構うな」

 感情を消し去った声音で告げると、その言葉に安堵したように功刀は頷き、決意を固めたように唇を引き締めた。

 翔太と共に逃げ切れると、功刀は本気で考えているのだろうか。

 たとえ鷲塚が手を下さずとも、裏切ったと知れれば、御山自身が報復の魔手を伸ばす。

 鷲塚とて、零の出生の秘密を知る功刀や、零を散々傷つけた翔太を、このまま野放しにしておくつもりはさらさら無かったが──。

 擦れ違い様、翔太は足を止め、鷲塚にだけ聞こえる小声で囁いた。

「鷲塚サン──御山は、俺が殺る。だからもう、あんたは手を出すな」

 言葉を返す間も無く、翔太は再び歩き始める。

 鷲塚が振り返るのと同時に、翔太もまた向きを変え、功刀の方へと後退りをしてゆく。

 その顔には全てを諦観したような微笑。

『カッツェ』で見かけた時のような怯えた表情は消え失せ、獲物を狙う鋭い眼光が閃く。

 そして、その左手には、小型の発信機。

 黒い発信機の中央には、赤いボタンが埋まっていた。

「零さんの首に、爆薬が仕掛けてある。
 あんたの手下が俺たちを追いかけてきたら、即座に吹き飛ばすから注意して」

 真実か、それともブラフか──これほど零と離れていては、確かめようがなかった。

 だが、翔太に手出しができないにも関わらず、銃弾はまだ飛んで来ない。

 銃撃戦に翔太を巻き込むことを、ヤツらは恐れている。

 その瞬間、翔太は身を翻し、立ち竦んでいる功刀の腕を掴んで、倉庫の通用口に向かって走り出した。

 ここで翔太の背を撃てば、己自身に隙が生じる。

 本能的にその場から素早く飛び退った鷲塚は、逃げ去る翔太と功刀には目もくれず、反対側へと走った。

 コンクリートの床に飛び込み、一回転しながら、落ちた鍵を片手ですくい上げる。

 サイレンサーを装着した鈍い銃声の連続……跳弾の雨。

 ランダムな射撃をかわせたのは、狙撃者たちの不意をついたため。

 だが、疾走し、重機の陰に身を投げ出す直前、肩口に炎が走り抜けた。

 振り返り様、スポットライトの背後から鷲塚を射撃してくるヒットマンの影を見定める。

 網膜を焼くスポットライトを狙い、トリガーを引く。

 ガラスが弾け飛び、零の姿が闇に包まれる。

 標的を見失い、ランウェイを移動する狙撃者の足音を聞きながら、鷲塚は零を拘束するクレーンの操作室に目指した。

 救出方法をシミュレーションしている時間は無い。

 無駄弾を使わず、やたらに撃ってこないところをみると、狙撃手はプロに違いなかった。

 そして、標的はあくまでも鷲塚──零ではない。

 本能に突き動かされるまま、鷲塚は壁際に設置されたランウェイへと繋がる鉄の階段を駆け上がった。

 幸いだったのは、階段の手すり下の一面が、落下防止の金網になっていたことだろう。

 そうでなければ、まず間違いなく狙い撃ちにされているところだった。

『ただちに援護に向かいます』

 騒乱に気づいた東山が、鋭い声音で話しかけてくる。

「来るな──今、動けば、翔太と出くわす。
 翔太は零に爆薬を仕掛けていった。
 零から取り去るまで、そこを動くな」

 獣のように身を沈めたまま、東山と言葉を交わす。

 愕然とした東山の気配が伝わる中、苛立ったように高宮の声が降ってきた。

『退避してください。零さんのためだけに、命を捨てるつもりですか!』

「その価値が無ければ、ここには来ない。
 俺の邪魔をするな、高宮──東山にも、そう伝えろ」

 ジャケットに仕掛けておいた小型マイクをむしり取り、周囲の動きを探る。

 息を潜め、足音を殺しながら階段をそろりと上がる。

 前方に殺気……壁際に身を寄せ、手にしていた小型マイクを放り投げる。

 落下音と同時に、天井クレーンのランウェイ上に潜んでいた男が立ち上がり、吠えた。

「死ねや、鷲塚!」

 ダブルハンドで拳銃を構えた大柄な体躯。プロではなく、こっちはただの極道か。

 上半身は防弾着でガードされている可能性が高い。

 下方から、頭部よりも狙い易い急所は──。

 鷲塚は、隙だらけの男の股間をターゲットに、トリガーを引いた。

 ──絶叫と血飛沫(しぶき)。

 なだれ落ちてくる巨体をかわし、階段上に落ちてきた敵のマカロフを奪う。

 武器は多い方が良い。一人は始末したが、まだ敵は多い。

 踊り場で折り返し、最後の階段を上がる途中、下方から狙われ、大腿に衝撃が走った。

 アドレナリンの興奮は、肉体から痛覚を奪い去る。

 かすり傷だと感じながら、背後の敵を仕留めた鷲塚は、操作室のドアに鍵を差し込んだ。

 内部に気配──ノブをひねり、手前に引くと同時に、ドアに身を隠す。

 操作室の中から乱射してくる男の影が、窓ガラス越しに揺れる。

 男が飛び出してくる直前、鷲塚はガラスを撃った。

 蜘蛛の巣状にひび割れたガラスの向こうで、頭部を撃たれた男がくずおれる。

 背後で、再び階段を駆け上がってくる足音がリズミカルに響く。

 動かなくなった死体を引きずり出した鷲塚は、新たな狙撃者が出現するのと同時に、下方に向かって投げ落とした。

 オートマチックの銃声。転がり落ちる死体が、被弾し、階段の上を不格好に弾む。

 様子を探るように顔を出した狙撃者の額に、鷲塚はトリガーを絞った。

 零を、この腕に抱き留めるまで……死ぬわけにはいかない。