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Fatal Doll



<7>



 広域指定暴力団「荒神会」の総本部事務所は、警察や一般人の目に留まらないように、東林総合警備株式会社の本社ビル地下に隠されている。

 東林総合警備株式会社は、かつて荒神会のフロント企業として設立されたが、今や主要都市に支社を構え、全国に支店や営業所を持つ巨大企業に成長していた。

 表向きは健全な企業だったが、本社の実態は謎に包まれており、その中でも最大のミステリーは、社長である東山慶司その人だと言われている。

 在学中に司法試験に合格、東大法学部を卒業後、東山は一年ほど都内の弁護士事務所で働いていたが、退職して法曹界から姿を消した。

 そして、次に表舞台に現れた時は、すでに東林総合警備会社の社長だったと言われている。

 一見、華やかな転身のようであったが、姿をくらませていた数年間、どこで何をしていたのかを知る者はほとんどいなかった。

 誰から見ても、爽やかで清廉潔白な雰囲気の東山だったが、裏に回れば常に良からぬ噂に取り巻かれている。

 彼の情報網は蜘蛛の巣のように張り巡らされ、政財界や霞ヶ関、警察や法曹界、芸能界や裏社会の事情にまで通じているようだった。

 そして、一般人の家庭事情にまで詳しいというのが、もっぱらの風説である。

 衝撃の一夜が明け、精彩を欠いた顔つきの新堂は、灰色のデスクに両肘を突いて顎を載せ、幾度となくため息をついていた。

 ぼんやりと一点を見つめる瞳は、虚ろで活気が無く、芯が抜けてしまったように背中が丸まっている。

 新堂がいる一帯だけ、どんよりとした重い空気が漂っており、総本部事務所に詰めていた若手の極道たちは、いつものように気安く声を掛けることができなかった。

 噂によれば、どうやら若頭の鷲塚に、根性焼きをされてしまったらしい。

 よくよく見れば、治療のためか痕を隠すためなのか、新堂の左手の甲には、肌色の絆創膏が貼られていた。

 その時、慣れた様子で事務所のドアを開け、東林総合警備株式会社社長の東山が颯爽と姿を現した。

 明らかに値の張る三つ揃いのスーツをまとった東山は、惚けている新堂に近づくと、正気づかせようと顔の前でひらひらと片手を振った。

「──どうしたんですか、新堂君? 噂通り、よれよれになっているじゃないですか」

「東山社長……おはようございます」

 目玉を動かして東山を見上げた新堂は、力無い声で形だけの挨拶をした。

「元気が無いですね。
 火傷が痛むなら、良い病院紹介しましょうか?」

 デスクの上に浅く腰掛けた東山は、指先で絆創膏をちょんちょんと突っつき、謎めいた微笑を浮かべた。

 フレームレスの眼鏡の奥にある双眸は、心配する言葉を裏切るように、悪戯っぽく輝いている。

 途端に新堂はむっつりとした表情になり、痛みに顔をしかめながら絆創膏を剥がした。

「結構ですよ──ったく、相変わらず耳が早いですね。
 騒がれたくないから隠しといたのに、バレバレじゃないですか。
 だいたい、ここに来たのだって、単なるひやかしでしょう?」

「おやおや……今日は不機嫌ですねえ、新堂君」

 東山はくすりと笑い、のんびりとした口調ではぐらかす。

 しかし彼の楽しげな表情を見れば、明らかに「そうだ」と認めているようなもので、新堂はますます憂鬱な気分になった。

 その後、まるで示し合わせたように、荒神会元幹部の古谷剛と、総長荒神勲の一人娘である前嶋薫が現れ、部屋の中は一気に騒がしくなった。

「新堂! 鷲塚に焼きを入れられたって?」

「──ホントだ。海琉も大人げないわねえ」

 挨拶する間もなく、新堂は二人に取り囲まれ、屈辱的な見世物になってしまった。

「……いったい、どっから聞きつけたんですか、あなた方は!?」

 さすがに苛立ち、新堂が声を荒らげて勢いよく立ち上がると、古谷と薫はそろって東山を指差した。

 きょとんとした二人の顔が、無性に癪に触る。

 そんな事を思いながら、新堂はいつになく険悪な表情で東山をじろりと睨んだ。

 東山は、悪意など欠片も無さそうな微笑を浮かべ、悠然とうなずいて見せた。

「東山さんにメールもらったのよ。
 出勤前だったから、のぞいてみようと思って」

 薫は大らかに笑いながらそう言い、火傷を負った新堂の手を取り上げた。

「それにしても……絶対、痕になるわよ、これ。
 レーザーで焼いても消えないだろうし、消したけりゃ、手術するしかないわね。
 それでも、完全に綺麗にするには無理よ、きっと」

 赤黒く腫れ上がったリング状の火傷を見つめ、薫は嘆かわしげな声で呟いた。

「そんなみっともない真似しませんよ。
 今さら、カタギじゃあるまいし……」

 新堂が苛立たしげに腕をひったくると、それを見てニヤニヤしていた古谷は、派手な紫色の上着から煙草を取り出した。

 すると、傍に控えていた若手の一人が、すかさず火をつけたライターを差し出す。

 荒神会の元幹部ではあるものの、現在の古谷は足を洗ったはずのカタギであり、会計事務所の社長という社会的肩書きもあったが、さも当たり前のように煙草を吹かす姿は極道にしか見えなかった。

「──で、何をやらかしたんだよ、新堂?
 零ちゃんの裸でものぞいたか?」

 楽しそうにからかってくる古谷に、思わず非難の眼差しを向けていた新堂は、脱力したように椅子に座り込んだ。

「そんな事しませんよ!
 何もしなかったから、こうなったんです。
 俺の気が緩んでいたから、零さんに迷惑かけちゃって……。
 ホント、自分が情けないですよ」

 深いため息をつき、デスクに突っ伏してしまった新堂を見下ろし、野次馬根性丸出しで集まっていた三人は思わず顔を見合わせた。

「──うるさい。何の騒ぎだ」

 その時、奥の部屋にいた高宮が現れ、叱責するようにじろりと一堂を睨んだ。

「新堂君が火傷したって聞いたから、様子見に来たのよ」

 二メートルを越える巨漢に見下ろされても、薫は怯むことなく答え、慌てて立ち上がった新堂の肩に腕を回した。

「あんまり酷いようだったら、一緒に連れて行こうと思ってたんだけどね」

 形の良い唇をつり上げて微笑んだ薫を見下ろし、高宮は訝しむように双眸を眇めたが、そのまま視線をずらして古谷に軽く会釈をした。

「しかし、何で新堂はここにいるんだ?
 零ちゃんの護衛してんだろ、お前?
 もしかして、その役、降ろされちまったのか?」

 古谷が顎をしゃくって訊ねると、新堂は目に見えて落胆し、がっくりと肩を落とした。

「──そうなるかもしれません。
 今日、来るなって言われちゃったし……」

 すると、意気消沈する新堂を励ますように、薫が背中を叩いた。

「しゃきっとしなさい、新堂君──ジメジメしてると鬱陶しいから。
 海琉が来るなって言ったのは、零ちゃんをお父さんのところに連れて行くためよ」

 その言葉を聞き、新堂はぱっと顔を上げて薫を見つめた。

「──本当ですか!?」

「聞いてなかったの?
 昨日、海琉が向こうの病院に行った時、お父さんに言われたのよ。
 近日中に、絶対、零ちゃんを連れて来いって」

 すがりつかんばかりに接近してきた新堂を見返した薫は、軽く肩をすくめながら複雑な表情を浮かべた。

「まあ、本当は、お父さんというより、お母さんの方が強硬に主張してるんだけどね。
『親の見舞いに一度も来ないとは、あるまじき事だ。
 極道のオンナとしての自覚が足りない。
 根性を躾直す必要があるから、連れて来い』……というわけ」

 自分の母親の真似をして、大きく胸をそらし、高飛車な物言いをした薫は、途端に青ざめた新堂の茶色い頭をポンポンと叩いた。

「──あ、姐さんが……零さんを!?
 そっちの方が大変じゃないですか」

「そうなのよ〜。
 今までは海琉が突っぱねてたんだけど、お母さんもついに痺れを切らしたわけ。
 最終兵器を持ち出してきて、海琉を脅したのね。
 あの人、海琉の弱み、いろいろ握ってるから」

 さほど重大事でもなさそうに笑った薫の言葉を聞き、それまで黙っていた東山が、興味深そうに口を挟んだ。

「……その最終兵器というのが気になりますね。
 会長の弱みというのなら、相当なものなんでしょうけど」

 うっすらと微笑を浮かべた東山に、薫は挑発的な視線を向け、ウィンクして見せた。

「教えてあげない──っていうか、あたしもよく知らないのよ。
 海琉とお母さんって、昔から冷戦状態でね〜。
 ま、お互いにあの性格だから、仕方ないんだけどさ。
 ある意味、似た者同士ってやつ」

「そんなに怖い人なんですか?」

 好奇心をそそられたのか、東山は煙草を吸っている古谷に水を向けた。

 古谷は煙草の灰を灰皿に落とすと、皮肉っぽい微笑を浮かべた。

「怒ると怖いぜ、姐さんは。
 俺も高宮も新堂も、本家にいた頃は怒鳴られっぱなしだったし。
 おっとりした零ちゃんじゃ、立ち向かえないかもなあ」