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Fatal Doll



<72>



 敵の混乱に乗じて、マガジンチェンジ──グロックの装弾数は17発。

 チェンバー内の1発を加え、合計18発の連続射撃が可能になる。

 グロックの利点はこの装弾数の多さだが、フルオートで弾幕を張れば、数秒で銃弾が尽きる。

 射撃術にどれほど自信があろうと、さらに破壊力の高い銃器であろうと、弾切れになれば不能の鉄クズと化す。

 どの程度の敵が残っているかカウントできないが、零を守りながらこの倉庫を脱出し、外に潜んでいる敵陣をかいくぐって行くには心許ない。

 ここまで乗ってきた車は、おそらく使い物にならないだろう。

 鷲塚と零を殺そうとしている翔太が、逃亡手段をそのままにしていくとは思えない。

 確実に生き延びるためには、今こそ援護が必要だったが、果たして間に合うか──。

 考えながら、右腕のワイシャツを引き千切った鷲塚は、手探りで銃創を確かめた。

 だらだらと流血が続き、ぐっしょりと右腕全体が血に濡れている。

 銃弾は貫通しているが、動脈は切れていない。

 動脈が切断されれば、鮮血が激しく噴き出し、秒読みで意識レベルが低下するだろう。

 ただ、本来の握力が落ちていた。

 痺れや痛みが出ては、命中精度が極端に下がる。

「海琉……どうしよう──止血しなきゃ……こんなに、血が……」

 切迫したように零が声を上げ、千切れた袖で傷口を押さえようとする。

 その時、正面で銃声が轟いた。

 爆発から逃れ、階段を上ってくる敵が残っている。

 神経を集中させながら、鷲塚は、焦ったように傷口を縛ろうとする零の手を押さえた。

「いい、構うな。縛ると、動きが鈍る」

「ダメだよ──放っておいたら……海琉、死んじゃう……お願いだから……」

 必死になって懇願する零の言葉を聞き流し、暗がりに身を潜めたまま、敵の出現を待つ。

 狙うのは、一撃で行動停止に追い込めるヘッドショット──眉間、眼窩、鼻腔。

 用心深く腰を低く沈め、そろそろと階段を上ってくる男の頭部がちらりと覗いた瞬間、無傷な左手で撃った。

 し損じたのか、反撃の銃声が次々に跳ね上がり、鷲塚の背後で零がひっと悲鳴を呑み込む。

 その時、やや遅れて一発の銃声が響き、思いがけないほど近くから新堂の叫び声が上がった。

「──零さん! 若頭! 助けに来ました!!
 外はもう、高宮の兄貴が制圧してます。
 残っているのは、ここにいるヤツらだけです!!」

 倉庫内に、本来いるはずのない新堂が、何故かいる。

 新堂の言葉は、場の均衡を揺るがした。

 圧倒的多数だからこそ優位を信じていた襲撃者は、形勢が逆転したことに動揺し、猛り立った闘争心を挫かれる。

「よ、良かった……新堂さん、来てくれたんだ……」

 零は涙声を震わせ、本気で喜んでいるが、高宮が外にいるという言葉は疑わしい。

 待機を命じていた場所からここまで来るには、車で5分以上かかることを考えれば、新堂がいつの間にか忍び込んでいたと考える方が妥当だろう。

 とは言え作戦は功を奏し、鷲塚と零を狙って一局集中していた襲撃者たちは、逃亡を計って分散し始めた。

 通用口の方で、複数の銃声が上がる。



 思いがけない新堂の叫び声を耳にした瞬間、助かったと思えた。

 絶体絶命の危機から脱したものの、鷲塚はファントムとの戦いで負傷し、二人は今なお襲撃者に囲まれている。

「構うな」と鷲塚は言っているが、きっと傷は深い。

 覆い被さってきた躰から漂う血臭や、手に触れた温かいぬめりが、零にそう教える。

 だから、不安だった。追い詰められたこの極限状態が、いつまで続くのかと。

 早く鷲塚の傷を治療しなければ、取り返しのつかない事になってしまいそうで──。

「助けに来た」と叫んだ新堂が頼もしく思え、不安と焦燥に締め付けられていた胸が軽くなる。

 緊張が少し緩んだせいか、涙まで滲み出す。

 だが、鷲塚は警戒を崩さず、ピリピリと神経を尖らせたまま様子を窺っていた。

 次の瞬間、乾いた破裂音がほとんど途切れることなく連続で弾け、金属の手すりに跳ね返った銃弾が、鷲塚の背後で飛び交った。

 頭を抱え込むような形で押さえ込まれたまま、零は壁際に押しつけられる。

 零を守る不自由な体勢で、鷲塚は反撃する。

 だが、階段を上がってくる襲撃者は、お互いが死角になっていることを利用して、徐々に距離を詰めてきているようだった。

 倉庫から逃げようとする者もいるが、諦めずに鷲塚の命を狙う者がまだ残っている。

 銃撃の応酬が続く──零をかばっている鷲塚は、その場から動くことができない。

(……もう、いいよ……もういいから……海琉、逃げて──)

 何度も口にした想いが、再び胸の中に去来する。

 きつく閉ざしていた瞼を開き、鷲塚の姿を瞳に焼き付けようとわずかに顔を上げた零は、通路の反対側にある階段から、別の男が駆け上がってくる姿を認めた。

「──海琉! 後ろ!」

 零は悲鳴を上げていた。

 勢いよく通路に駆け上がってきた男の手にも、やはり拳銃が握られている。

 右手から距離を縮めてくる男と連携し、もう一度二人を挟み撃ちにしようとしている。

 頭上の壁で、銃弾が弾けた。時同じく、右サイドからも銃声が轟く。

 鷲塚は、獣のごとき俊敏さで零を抱え込んで床に横転し、背後から現れた敵を撃った。

 男は一瞬仰け反り、よろめくように後退ったが、怒声を上げながら、再び拳銃を構えた。

 ほぼ同時に、右手から猛スピードで敵が迫ってくる。

 悲鳴が喉に絡まったが、声にならず、全身から冷たい汗が噴き出す。

 零は、死を覚悟した。

 背中にのし掛かる鷲塚の重みと、強靱な筋肉の躍動。

 耳元で交錯する激しい銃声。

 鼓膜を震わせる破裂音のどれが、誰のものなのか、何も判らなくなっていた。

 そして、唐突なまでの静寂──。

 しばらくすると軽快な足音と共に、耳馴染みのある声が頭上から降ってくる。

「……若頭! 零さん、大丈夫ですか!」

 反対側の階段から通路を渡ってきた新堂が、緊張に上ずった声を上げ、床に倒れている二人の傍らに屈み込んでいる。

 鷲塚の腕の間から、心配げな新堂の顔を見上げた零は、呆然としたまま声を出すことができなかった。

「間一髪だったな」

 胸の奥から長い溜息を吐き出し、零の躰に覆い被さっていた鷲塚が上半身を起こす。

「零、大丈夫か? 撃たれてないだろうな?」

 腹這いになっている零の躰を仰向けに返し、目を見開いたまま放心している顔を覗きこんだ鷲塚が、気遣うように問いかける。

 あまりにもショッキングな危険の連続に、ついに神経が麻痺してしまったのか、零は夢の中にいるような不安定な気分に落ち込んでいた。

「海琉……怪我、治さなきゃ……」

 真っ先にその言葉がこぼれたものの実感がなく、ほとんど無意識で、朦朧としていた。

 拳銃を握っていた鷲塚の左手が、零の髪を優しく撫で、頬へと滑り落ちていく。

(……助かったの……私たち……?)

 そう訊ねたつもりだったが、唇が震えるばかりで、声が出ない。

「他の連中は、外に逃げ出しました。
 この中に残っているのは、多分、俺たちだけです」

 新堂の報告が、随分遠くから聞こえてくる。

 鷲塚の胸に抱き寄せられ、安心させるような手つきで頭を撫でられると、零の意識はそのまま闇の中に引きこまれていった。




 気を失い、ぐったりと力が抜けた零の躰を支えた鷲塚は、神妙な顔つきで片膝を突いている新堂に目を向けた。

「外はどうなっている? お前のアレは、ただのブラフだろう?」

 新堂はわずかに首をすくめ、通用口にやましげな視線を向けた。

「バレましたか……実は、俺一人で飛び出してきたんです。
 高宮の兄貴には止められましたけど、零さんに爆弾と聞いたら、じっとしていられなくて。
 ああ、でも、走ってきたんで、翔太には絶対バレてないと思います」

 言葉通り、本当に「走って」来たのか、新堂の額から滝のような汗が流れ落ちている。

 最も原始的な移動手段だが、援護に間に合ったのは事実であるため、鷲塚は揶揄するように唇を歪めた。

 不意に新堂は、手にしていたベレッタを床に置いて両膝を突き、頭を下げる。

「すみません、若頭。
 たとえ命令でも……俺はどうしても、この銃で、零さんを撃つことはできません。
 若頭が死ぬなんて事も考えられません。
 二人を死なせるぐらいなら、俺は、自分の躰を盾にして二人を守ります。
 甘っちょろいと思われるでしょうが、そういう風にしか、俺は生きられません」

 切々と訴える新堂の言葉に、思わず嘆息が漏れる。

「守るつもりなら、銃から絶対に手を離すな。
 外の連中が飛び込んできたら、どうする」

 慌てた様子で、新堂がグリップを握り直す。

 零の躰を無傷の左腕で抱え直した鷲塚は、そのまま肩に担ぎ上げた。

 大量に放出されていたアドレナリンの効果が、新堂の出現で薄れてきたのか、撃ち抜かれた右腕に激痛が走る。

 焼き串を突っ込まれたようなその痛みを、奥歯を噛みしめて堪え、鷲塚は立ち上がった。

「新堂、下に降りるぞ。先導しろ」

「そ、その前に、若頭、その腕の傷を何とか──」

 鷲塚の銃創と、手にした自分のベレッタを見比べながら、新堂が躊躇しつつ声を上げる。

「傷口をきつく縛れ。圧迫すれば、多少は痛みがマシになる」

 頷いた新堂は、ベレッタをホルスターに差し込むと、ジャケットからハンカチを取り出した。

 細長く折り畳み、銃創に巻き付け、力を込めて縛り付ける。

 純白のハンカチが血を吸い、小さな点状から円形へとじわじわと黒ずみ始めた。

 苦痛がわずかに和らいだ右手に、鷲塚はグロックを握る。

 あと何人、襲撃者は残っているのか?

 こちらの人数は三人になったが、失神した零は戦力にはならず、むしろ防衛の難易度をさらに上げてくれた。

 新堂の援護で、どこまで敵の攻撃をかわせるか──。

 生者の気配が感じられなくなった階段を降りながら、戦術を考える。

 その時、鷲塚はふと眉をひそめた。

 近くに人間の気配が複数。倉庫の外に集合している。

 新堂のハッタリで逃げ出した襲撃者が、騙された事に気づき、舞い戻ってきたのか?

 突然、チェーンソーの回転音が鳴り、金属を断ち切る耳障りな高音が響き渡った。

 倉庫正面の大扉──機材やコンテナの搬出入に使用される巨大な扉のすぐ外側。

 重機の陰に身を隠すよう新堂に指示を出し、鷲塚は異変を観察する。

 鎖が切れる。

 ギシギシと軋み、小刻みに揺れながら、大扉が左右に開いてゆく。

 同時に、向こう側から目を焼くような白い閃光が放たれ、薄暗い倉庫内を照らし出した。

 逆光の中で、屈強な巨体が黒ずんだ影となり、大扉の中央を塞いでいる。

 新堂が持つ携帯電話が、突然、バイブレーションで着信を知らせた。

『まったく……随分、派手にやらかしたな』

 新堂が影に身を沈めて通話ボタンを押すと、高宮の呆れ果てたような声がスピーカーから流れ出た。