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Fatal Doll



<73>



 白光が作り出した巨影が前進し始める。

 隙無く歩を進める高宮の手には拳銃が握られ、潜んでいる敵を探す威圧的な闘気と冷たい殺気が吹き出ていた。

 組織内きっての武闘派と謳われるその姿には、重戦車のごとき迫力がある。

 重機の陰から覗き見ていた新堂は、声には出さずに「怖え〜」と顔を引き攣らせた。

 三人の居場所を教えるため、新堂は高宮に呼びかけると、両手を挙げながらそろそろと立ち上がる。

 鷲塚は零の躰を抱え直し、新堂に気づいて歩み寄ってくる高宮の前に姿を見せた。

「若頭──撃たれたんですか?」

 血が滲む鷲塚の右腕に視線を走らせ、高宮は批判的な口調で呟いた。

 防弾用のジャケットを着せられた零にも目を向けると、さらに嘆息をもらす。

「早く病院に行ってください。
 ここの後始末はやっておきますから」

 素っ気ない声音で告げ、高宮は出口に向かって顎をしゃくった。 

「外にいた連中は?」

「抵抗するヤツは始末しました。
 もっとも、ほとんどが金目当ての連中ですから、すぐに大人しくなりましたよ。
 何でも、若頭のタマを取れば、ヤツらの言い値で報奨が出るそうです」

 皮肉げな高宮の言葉に、鷲塚は薄く嘲笑を浮かべる。

 次の瞬間、鷲塚の背後に漂っていた殺気が、急速に膨れ上がった。

 高宮の右手が跳ね上がり、トリガーを引く──轟く発砲音。

 反射的に右半身を開いた鷲塚の至近距離をかすめ、高宮が撃った銃弾が背後へ飛ぶ。

 短い断末魔の叫びと、床に落ちる激突音が続いた。

「ネズミが一匹残っていたようです。
 あれも、片付けておきますよ」

 淡々とした口調のまま、無表情の高宮が報告する。

 うなずいて見せた鷲塚は、左腕と肩で支えている零の躰のバランスを調整すると、出口に足を向けた。

「新堂、お前も来い」

 どうしたものかと困惑して立ち尽くす新堂を、鷲塚は歩きながら呼んだ。

 倉庫の外に駐められた車のリアシートに零を横たえ、鷲塚も後から身を滑り込ませる。

 助手席に新堂が乗り込むと、待機していた運転手は静かにアクセルペダルを踏んだ。

 意識の無い零の頭部を、鷲塚は己の膝の上に載せる。

 柔らかな亜麻色の髪に指を絡めると、知らず深い溜息がこぼれ落ちた。

 スピードを上げた車が倉庫を離れ、煌びやかな夜景に呑み込まれると、緩やかに安堵が全身に染み通る。

 零を奪われて以来、極限まで張り詰めていた緊張がようやく解けてくる。

 零の目許にかかっている髪を指先で払いのけ、そのまま滑らかな頬をたどっていた鷲塚は、呼吸を確かめるように口許にそっと指を当てた。

 温かな吐息──生きている。零はここにいる。

 膝の上にある温もりと重みを何よりも心地よく感じながら、鷲塚は鋼の双眸を閉ざした。

 


 掌にずしりとのし掛かる黒々とした拳銃に目線を落とし、翔太は溜息をついた。

 安価なマカロフ──闇市場で出回っている拳銃の中で、一番安い中国製のコピー品。

 とはいえ、殺傷力は十分だった。

 入手のしやすさが一番重要だったわけだから、何の不都合もない。

 弾倉には9ミリ弾が8発装填してある。

 幾度となくシミュレーションしたイメージを脳裏に描きながら、翔太はトリガーの曲線を指先でそっとなぞった。

(……彰丈さんには、悪いことしたな)

 先程まで、一緒に車の後部座席に座っていた功刀の顔を急に思い出す。

 鷲塚を呼び出した廃倉庫から、本家に戻るまでの道の途中で、功刀一人を下車させた。

『功刀さん──悪いけど、あんたの面倒を見れるのはここまでだ。
 俺は、母さんと二人で高飛びする。
 鷲塚は、多分、生き延びるはずだ。
 生きていれば俺に追っ手を差し向けるだろうし、父さんは裏切りを許さない。
 だから、俺たちはもう、この国で暮らすことはできないんだ』

 翔太の言葉を聞いても、功刀は特に驚いた様子を見せなかった。

 そして、今ある社会的地位も、何もかもを捨てて、一緒に逃げようと言ってくれたけれど……。

 その言葉通りに、衰弱しきった母親と3人で、どこか御山や鷲塚の手が届かない外国に逃げることができればどれだけ良かったか。

 大好きだったから、できることなら、もう少し近くで見ていたかった。

 だが、鷲塚はともかく、御山は……自分の父親は、どこまでも執念深い。

 裏切りは決して許さない。疑われる事さえ、死を意味する。

 北聖会の絶対的な帝王に、逆らうことは許されないのだ。

 だからこそ、これ以上、本来は何の関係も無い功刀を巻き込むわけにはいかなかった。

 功刀には、ずっと明るい太陽のように輝いていて欲しい。

 彼が信じる正義が眩しすぎて、汚れきった自分には居場所がなくて、結局、傍に歩み寄ることはできなかったけれど──。

 面影を打ち消すように翔太が瞼を閉ざすと、ぐったりと肩に寄りかかっていた母親の弥生が、細く掠れた声を上げた。

「……ごめんね、翔太──母さん……いつも、迷惑ばかりかけて……」

 今にも命が尽きてしまいそうな細い手が、拳銃を持った翔太の腕にかかる。

 マカロフをウエストに挟み込み、上からシャツを被せて隠すと、翔太は母親の肩をそっと抱き寄せた。

「心配しなくても大丈夫だよ、母さん。
 父さんも……きっと、判ってくれるからさ」

 緊張に強張りそうになる表情を緩め、いつも通りの笑顔を形作った翔太は、車を運転している男に視線を向ける。

 裏切りの疑惑をかけられ、御山に殺された上橋の舎弟。

 復讐心は、誰よりも強い──長年上橋の傍にいて、あの日は、上橋の帰りを組事務所で待っていた。

「翔太さん、あと5分で本家に到着です」

「判った。じゃあ、後は予定通りに頼むよ」

 助手席に座っている若い男も、上橋を慕っていた者の一人。

 翔太が計画を打ち明けると、誰よりも早く鉄砲玉になると志願した。

 復讐が叶うなら、死んでも良いと泣いてすがってきた。

 鷲塚を呼び出した時、廃倉庫の開門を任せた男でもある。

 彼の名前を、翔太は一度も聞かなかった。

 聞いてしまえば、決断に迷いが生まれそうで……。

 御山邸の正門から少し離れた所で車が停まると、母親と運転手を残し、翔太は自分と同じ年頃の青年と二人で降りた。

 警察が相変わらず張り込んでいるようだが、問題は無い。

 むしろ、そこにいてくれる事に感謝したいほどだった。

 深々と頭を下げる黒服の間を、何食わぬ顔で通り抜け、翔太は屋敷内に入る。

 そのまま真っ直ぐ、御山のいる部屋を目指す。

 緊張が高まる──同じように、強張った表情をしている青年の肩を、翔太は励ますように軽く叩く。

 予想通り、御山は、傍に誰も寄せ付けず、一人きりで書斎に籠もっていた。

 物思いに耽るように、手にした古いアンティークのペンダントを眺めている。

 翔太が青年と共に書斎に入っていくと、御山はひどく物憂げな視線を上げた。

「……戻ったのか」

「はい──全て、終わりました」

 抑揚の無い事務的な声で報告すると、急に年老いたように見えた御山の双瞳に、いつもの冷酷で嘲弄的な光が蘇った。

「それは本当か?
 いくら零が囮になっているとは言え、鷲塚はお前の手には余ると思っていたが。
 また騙されているんじゃないのか?」

 親子の情など欠片も無い、冷え切った声。

 嘲られると、胸の奥に痛みが走る。

 最後まで、御山は、鷲塚と息子の実力を比較し、翔太を認めようとはしないのだ。

「零さんの首に、爆薬を仕掛けておいたんだ。
 だから鷲塚は、手も足も出なかった」

 嘘はすぐに見抜かれる──だからこそ、真実の網を張り巡らせ、翔太は笑って見せた。

 御山はわずかに眉根を寄せると、写真入りのロケットに目線を落とした。

 弄ぶように掌でペンダントを転がしながら、物憂げな溜息をつく。

「可哀想に……それはそれは、無惨な死に様だ」

 まるで情感のこもっていない乾いた声音だったが、御山の視線は小さな写真の上から離れない。

 何故、それほど気にするのか──。

 隙だらけになっている無防備な父親を見下ろし、翔太は淡々と語りかけた。

「殺害の証拠は、こいつが持ってる。
 時間が限られていたから、あまり写りが良くないけど……」

 指示するように顎をしゃくると、ドアの前に控えていた青年がコンパクトデジタルカメラを取り出し、指先で操作する。

 その様子を見つめる御山の前に歩み寄った翔太は、さり気なくウエストに手を回し、マカロフを握った。

「──さよなら、父さん」

 頭の中で囁きかけ、トリガーを絞る。

 銃口が火を吹く──翔太に向けられた御山の双眸が、一瞬、驚愕に見開かれる。

 銃声と同時に、背後から飛びかかってきた青年が、翔太の手からマカロフを奪い取り、連続してトリガーを引く。

 デスクチェアに座っていた御山の胸が、何度も爆ぜ、鮮血が飛び散った。

「──誰か! 誰か、来てくれ!! オヤジが!!」

 大声で叫び、死にもの狂いで助けを呼びながら、翔太はマカロフを奪い返し、青年に銃口を向けた。

 全てを悟りきった少年のような微笑が、翔太の目を射貫く。

 青年の手でロックされていた書斎のドアが、外側からぶち破られる。

 トリガーを引く瞬間、良心が一瞬で凍りついた。

 北聖会の黒服の前で、殺害者に仕立て上げられた青年が崩れ落ちる。

「……オヤジ!!」

 哀れな生贄の返り血を浴びたまま、翔太は床に崩れ落ちた御山の傍に駆け寄り、絶叫して見せた。

 大切な父親を失った息子の、悲痛な叫びに聞こえるだろうか?

 真っ赤に染まった御山の躰を抱え上げ、すがりつきながら、「死なないでくれ」と死にもの狂いで叫ぶ。

 誰が殺したのか──その瞬間、真実は記憶から消滅する。

 演技であったことすら、忘れ去っていた。

「……しょ……翔太……」

 その時、御山がゆっくりと瞼を開き、焦点の定まらない瞳で翔太を見つめた。

 青ざめた唇からこぼれ落ちる声は、消えそうなほど掠れている。

「……褒めてやろうか……お前は……よく、やったと……」

 唇がわずかに歪み、皮肉げな微笑が浮かび上がる。

 御山の手から、最後まで握られていたペンダントが床に落ちると、翔太の目から涙が溢れ出した。

 御山の血で汚れた女性の儚げな微笑みは、とても悲しそうで……。

「──父さん……ごめん……」

 生き延びるためには、こうするしか無かった。

 誰かの命を犠牲にしてでも、功刀を守りたかったし、弱り切った母親を守るために、自分は生き残る必要があった。

 守るべきものが何一つ無ければ、父親と心中しても良かったのだが──。

 慟哭する翔太の背後で、北聖会の男たちが怒声を上げている。

 外には、サツが張り込んでいる。

 決して気取られるなと。

 北聖会の首領が、自宅内で銃殺されたなどと、今は知られるわけにいかない。