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Fatal Doll



<75>



 苛烈なその言葉は、あまりにも鋭すぎて、胸の奥深くにまで突き刺さってくる。

 鷲塚なら、本当にその言葉通りに行動するかもしれない。

 御山から受けた陵辱に対する、怒りや屈辱、そして悲しみを晴らすために、復讐を望めば、その願いは叶えられるのだろうか?

 だが、争乱の中で鷲塚がまた傷つくことになったら、もし死んでしまったら……。

 その仮定だけは、想像することさえ耐えられない。

 もう十分過ぎるほど──否、流れてはならない血さえもが流された。

 果てのない復讐の連鎖に呑み込まれてゆけば、この先、大切なものが失われてゆくかもしれない。

「私は……海琉の傍にいたい……それだけでいい……」

 だから、胸の奥底で揺らめくほの暗い炎は、誰にも見せないよう、封じ込んでおかなければいけないのだろう。

 自分自身が急に怖くなり、零がしがみつくと、鷲塚は抱き留めたまま嘆息をもらした。

「言っておくが──お前がどれだけ『触るな』と拒絶しても、俺はお前を抱かずにはいられないだろう。
 傍にいるだけというのは、できない相談だ。
 それを判って言ってるんだろうな?」

「……判ってる。私も…海琉に……抱いてほしい」

 穢された躰でも良いなら……それでも、求めてくれるのなら──。

 そう思うにも関わらず、零の躰は無意識のうちに硬くなり、小刻みに震え始めていた。

 本能的な怯えを感じ取ったのか、鷲塚は「今は休め」と低く呟く。

 ひどく重苦しい沈黙が流れた時、コンコンと病室のドアがノックされる音が響いた。

 鷲塚が厳しい目線をそちらに向けると同時にドアが開き、薫がひょいと顔を覗かせた。

「玄関入った途端、零ちゃんの悲鳴が聞こえてきたから、様子を見に来たの。
 もしかして、お邪魔だったかしら?」

 むしろほっとして、鷲塚から身を離した零は、心配そうな薫に首を振って見せた。

「──ごめんなさい、薫さん。驚かせてしまって……」

 不服そうな鷲塚の気配を感じつつも、零は病室に入ってきた薫に謝った。

「零ちゃんは、謝らなくてもいいのよ。何も悪いことしてないんだから」

 温かみのある穏やかな微笑を零に向けた薫は、腰に手を当てて鷲塚の前に立つと、やや硬い声音で訊ねた。

「お邪魔じゃなければ、ちょっと零ちゃんと二人で話をしてもいいかしら?」

「邪魔だ」

「あら、そう──だけど、高宮が戻ってきているのよ。
 大至急報告しなきゃいけない事があるらしいけど……じゃあ、ここに呼んでくる?」

 あからさまに邪険にされても、薫は気を悪くした様子もなく、「仕方ないわね」と肩をすくめて見せる。

 その言葉を聞いた鷲塚は、わずかに逡巡するように瞳をそらすと、いかにも気が進まないというような顔つきでベッドから降りた。

「ああ、そうだ。『お水の爺さん』に、傷の治療もしてもらってきて」

 部屋から追い出そうとするように、ひらひらと片手を振る薫に、シャツを羽織った鷲塚が冷ややかな視線を向ける。

 鷲塚は、ベッドの上から二人のやり取りを見守っていた零を見下ろすと、小さく溜息をついた。

「零──何かあったら、すぐに呼べ。薫に遠慮するな」

「やーね。あたしが、零ちゃんを泣かせるような真似、するわけないじゃない」

 いつもと変わらぬ薫の軽口を聞き、思わずくすりと笑ってしまうと、そんな零の顔を見つめていた鋼色の瞳がわずかに和む。

 安堵の色。

 不安定な精神状態の零から目を離すことを、危惧していたのだろう。

 鷲塚が病室から出て行くと、薫は、零がベッドに座りやすいようリクライニングと枕の位置を調節し、ベッドサイドに引き寄せた椅子に腰を下ろした。

「こんな小汚い部屋でごめんね、零ちゃん。
 ここは『大水病院』って呼ばれていて……いろいろ訳ありの、表立って治療ができない極道な患者を、こそっと診療している病院なのよ。
 海琉がどうしても零ちゃんの傍にいるって言い張るから、シングルベッドを二つ並べて、無理矢理ダブル仕様にしたってわけ。
 それでも海琉には小さいし、零ちゃんにも狭かったかもしれないけどね」

 そう言って、部屋の中をぐるりと見回した薫は、零を気遣うような淡い笑顔を浮かべる。

 零を見つめる薫の瞳は揺らがず、真っ直ぐで誠実な想いが伝わってきた。

「だけど、ここは他の病院よりもずっと安全な場所だから、安心していいわ。
 零ちゃんの体力に問題が無ければ、すぐに帰れるし。
 零ちゃんが一番安心できるのは、やっぱり、海琉と一緒に住んでるあの部屋でしょう?」

 確かに、見知らぬ病室で過ごすより、早く帰りたいと思う。

 あの部屋に帰れば、守られているとずっと強く実感できるだろうし、何よりも今までと変わらない日常に戻れそうな気がする。

 こくりとうなずいて見せると、薫は零の手の甲に掌を重ね、そっと握り締めた。

「零ちゃんに今必要なことは、安心できる場所でゆっくり休むことなの。
 まずは、疲れが取れるまで眠って、ちゃんとご飯を食べること。
 困ったことや、苦しくなることがあったら、何でも相談して。
 あたしは……それにお母さんもね、全面的に零ちゃんの味方になるって決めたから、たとえ海琉と対立することになっても、零ちゃんを守る」

 真顔になった薫の双瞳は、ひどく真剣で、その奥底に深い悲しみや憤りを宿しているように見えた。

 心配してもらっている……心配されている。

 それはつまり、薫も零に何があったのか、すでに知っているということで──。

 不意に心が乱れ、動悸がした。

「ありがとうございます、薫さん。
 助けてもらえたから、もう大丈夫です。
 私、大した怪我もしなかったし……」

 掌に滲み出した冷や汗を握り締め、できるだけさりげない口調で言葉を返した零は、薫の顔から目を背けるように病室のドアを見つめた。

「……そういえば、新堂さんは?
 私を守ろうとして……撃たれてしまって──大丈夫なんでしょうか?」

 襲撃された時の記憶を思い出し、青ざめると、立ち上がった薫は安心させるように零の肩をさすり、落ち着いた声で答えた。

「新堂君は、もう元気になっているから心配しなくていいわ。
 今も、この病室の外にいて、零ちゃんを守ってるのよ」

「……本当に? じゃあ、新堂さんにも、会えますか?」

 はっとして訊ねると、薫はどうしようかと考え込むように小首を傾げた。

「零ちゃん、新堂君に会いたい?」

「顔を見て、安心したいんです。
 ずっと、死んでしまったんじゃないかって思ってて、生きてるって判っても、心配で……。
 私の目の前で……新堂さん、ファントムに……撃たれてしまったから……」

 口ごもりながら、零が気持ちを伝えると、薫は判ったと言うようにうなずき、ぽんぽんと軽く肩を叩いた。

「じゃあ、呼んで来るわ。
 だけど、今日は疲れてしまうかもしれないから、話すのはちょっとだけね」

 恐らく薫は、零の精神状態を見定めにやって来たのだろう。

 いつも朗らかで、思った事を言いたい放題に喋る薫が、今日は一つ一つの言葉を選びながら話しているように見える。

 それだけ心配され、気を遣われているのだと思うと、心がまた憂鬱に沈みそうになる。

 だが、薫の背後から現れた新堂の姿を見た時、心にのしかかっていた重荷の一つが、確かに消えてゆくのも感じた。

 以前より頬のラインがシャープになっているようにも見えたが、新堂の目つきや足取りはしっかりとしていて、命の危険があるようには見えない。

「新堂さん……良かった。本当に、無事だったんですね」

 心底ほっとして呼びかけると、新堂は戸惑いに瞳を揺らし、唇を引き締めた。

 何と言葉を返して良いのか、判らないとでも言うように。

 零を一瞥したきり、新堂は沈鬱な顔でうつむいていたが、突然、床に両膝を突いて土下座をした。

「零さん……申し訳ありませんでした。
 俺は、あなたを守りきれず……護衛として、何の役にも立たなくて……」

 深々と頭を下げるその姿を見下ろし、一瞬呆然としてしまった零は、慌てて声をかけた。

「土下座なんて、止めてください、新堂さん。
 怪我をしたのは、新堂さんだって同じなんですから……。
 新堂さんが無事で、ちゃんとこうして顔を見られて、やっと安心できました。
 何が起こったのか、あの時は全然判らなくて、私、新堂さんが殺されたんじゃないかって……ずっと、怖くて……」

 あの襲撃が起こるまでは、何の不安も無く、いつものようにリラックスした雰囲気で新堂と車に乗っていたのだ。

 だが、謎めいた黒い車両が後方から迫ってきた時から、全てが一変した。

 あの時までは、自分たちが凄惨な事件に巻き込まれてゆくとは、想像もしていなかった。

「俺が、油断していたんです。
 若頭に、あれほど警告されていたのに、俺は危険を察知できなかった」

 悔恨の呟きは、重く、苦しい。

 零が拉致されてから、きっと新堂は自責の念に苦しみ続けていたのだろう。

「新堂さんのせいじゃありません。
 私が……寄り道しなければ……真っ直ぐに帰っていれば……もしかしたら、何も起こらなかったかもしれないし」

 とはいえ、入念に計画された襲撃だった事を考えれば、いずれいつかは狙われたに違いない。

 だが、いったい誰が、都会から離れた暴力とは無縁のホスピスに、恐ろしい敵が潜んでいると考えるだろう。

 瞳を宙にさまよわせた零は、ふと、「琉花ちゃん」と呼んで笑っていた鷲塚響子の顔を思い出した。

 あの美しく、哀しい人は、少しでも元気にしているのだろうか──?

 不意に、彼女に会いたいと痛切に思った。

 その瞬間、涙が溢れ出てくる。

 今なら、もっと違う想いを、彼女に感じることができるだろう。

「……薫さん──響子さんは……あの後、意識は戻ったんでしょうか?」

 零が問うと、途端に薫の顔が驚きに強張り、意思の強い瞳が悩ましげに伏せられた。

「響子さんは……今、危篤なの。
 お母さんが付き添っているけど……昏睡状態が続いていて、もういつ亡くなってもおかしくない危険な状態でね。
 正直言うと、今生きているのが、不思議なほどなのよ」

「海琉は? 響子さんに、会えたんですか?」

 零を見返す薫の顔が、まるで泣き笑いのように歪む。

「海琉は……零ちゃんの方が、ずっとずっと大事なの。
 零ちゃんを探していた時、ちらっと病室に寄ったみたいだけど、それだけで──。
 それどころじゃないって判ってるから、あたしも、言えなかったし」

 本当に言い辛い事だったのか、薫の声音はきれが悪く、葛藤に満ちている。

 だが、このままでは……きっと、後悔する。

 もしかしたら、鷲塚響子が今にも途切れてしまいそうな命を繋いでいるのは、二人を待っているからではないのかと、零は唐突に思った。




 ドアに施錠した「大水病院」の薄暗い手術室で、鷲塚は高宮からの報告を受けていた。

 高宮の話に耳を傾けながら、大水治朗院長がオペ台に並べていった抗生剤や鎮痛消炎剤のバイアルから、液体をシリンジに吸い上げ、自らの手で注射する。

 銃弾が当たった瞬間は、興奮状態でさほど痛みを感じなかったが、時間が経過するにつれ、血流の脈動と呼応するように傷口が激痛を発する。

 輸血や、緊急手術が必要になるほどの重傷でなかった事だけは、幸いだったが。

「現在、確認を進めているところですが、北聖会の内部でコトが起こったようです。
 本家の動きが非常に慌ただしい。
 幹部連中がそろって本家に召集されています」

「──御山が死んだか?」

 高宮の報告にさほど驚きもせず、右腕に巻いた包帯を解いた鷲塚は、疼痛と痺れが残る右手の動作を確認した。

「何故、そう思うんです?」

 わずかな沈黙の後、高宮が訝しげに聞き返してくる。

「俺が田中翔太の立場なら、そうする。
 御山の支配から逃れるためには、御山を殺るしかない。
 その後、自らが支配者になるか、離脱するかは……あのガキ次第だな」