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Fatal Doll



<79>



 一瞬、虚を突かれて沈黙した鷲塚は、どうやら零が心配して様子を見に来たのだと察し、思わず苦笑を浮かべていた。

「そんな事を俺に言うのは、お前くらいなものだ」

「……そんな事ないよ──きっと、みんな……心配してるから……」

 セピア色の瞳が、溢れ出す涙の中で揺らめく。

 泣き顔を隠すようにうつむいた零の顎を、鷲塚は指先で捕らえて仰向かせた。

 頬に唇を押しつけ、舌先でその雫を味わう。

「お前の躰の半分は、涙でできているんだろうな」

 何故枯れないのだろうと不思議になるほど、ほろほろとこぼれ落ちる零の涙をついばんでいると、むしろ胸の奥から笑いがこみ上げてくる。

 ゆうに二人分以上の涙が溢れ出てきているだろう。

 そのまま唇を滑らせた鷲塚は、手に触れる肌の感触や喘ぐような吐息を味わいながら、濡れた瞼や鼻の頭にまでキスを落とした。

 最後に互いの唇をもう一度深く結びつけ、温かく湿った零の舌を絡め取る。

「そういえば……すっかり忘れていたが──」

 ふと思い出し、ジャケットのポケットに手を伸ばした鷲塚は、放り込んだままになっていた零の携帯電話を取り出す。

 機種やナンバーを変更させるつもりだったが、その前に連絡を入れなければならない人がいたことを失念していた。

「お前が拉致された時、母親から電話があった。
 落ち着いたら電話させると言っておいたが……」

 あの時点では零がいつ戻ってくるのかさえ判らず、曖昧な言葉でごまかすしかなかった。

 こちら側の事情を鳴川美弥子はある程度察しているだけに、零が無事なのかを心配し、不安な日々を送っていただろう。

「──私、また……お母さんに心配かけちゃったんだね……」

 携帯電話を両手で握り締めた零は、うつむいたまま肩を震わせる。

 涙を拭うように目を擦った零は、そのまま腰を屈めて右手を伸ばし、床に落ちた芭月のショールを拾い上げた。

「……今から、電話してみてもいい?」

 鷲塚がうなずいて見せると、束の間、零は考え込むように眉根を寄せた。

「だけど……何て言えばいいかな……本当の事は、言えないし……」

 苦しみを打ち明けたくとも、真実を話すことはできない。

 零が巻き込まれた事件は、闇から闇へと葬り去られるべきもの。

 表向きは、何事も無かったかのように振る舞わなければならなかった。

「俺の母親が、危篤だったとでも言っておけ。
 それなら嘘をつく必要も無いし、向こうも深くは突っ込んでこないだろう」

「そうだね。それなら、本当の事だし……」

 鼻をすすりながら鷲塚から距離を置いた零は、海風にはためくショールを肩にまとい、空を見上げながらテラスの端へと歩いてゆく。

 華奢な後ろ姿を目で追いながら、鷲塚はフェンスに背をもたせかけ、両腕を組んだ。

 その時ふと、指先に残った冷たい感触を思い出し、手元に視線を落とす。

 何故、鷲塚響子は、最期の瞬間に手を差し伸べてきたのか──。

 誰か別の人間の面影を重ねて見ていたのか、それとも、零の願いに心が揺り動かされたのか。

『お願いです……一度だけでいいから……海琉をちゃんと見てあげてください』

 昏睡に陥っていたあの状況で、零の言葉を理解できていたとは思えない。

 今となっては確認する術も無いが、記憶にある限り、彼女に触れたのはあれが最初で最後だった。

 冷たい、死人の手──彼女が遺してゆくものは、子供の頃に聞いた怨嗟の声と、温もりを欠いた手の感触……そして、この身に流れる血だけか。

 胸の奥がひやりと微かな軋みを立てたとき、鷲塚は零に名を呼ばれ、我に返った。

「海琉……ありがとう。やっぱりお母さん、凄く心配してた。
 電話口で、また泣かれちゃった。
 だけど、響子さんの事を話したら、海琉の事も心配してたよ。
 傍にいるなら、支えてあげなきゃダメよ……って」

 半分泣きながら、半分笑う。

 無理を強いているのが判っているだけに、涙ながらに微笑む零の顔は、ひどく儚く、痛々しく見える。

 涙を堪えるように蒼穹を仰ぐ零の背中で、あたかも翼のようにショールがふわりと舞い上がった。

 その姿を見た途端、胸の奥に忍び込んでいた冷たさが、不意に灼けつくような熱へと変わる。

 引き留めておかなければ、地上から消えて逝きそうな錯覚──激しい焦燥感。

 もたつくショールを躰に巻き付けようと立ち止まった零に近づき、鷲塚はその細い背中に我が身を押しつけるようにして強く抱き締めた。

「零──もう、どこにも行くな」

 触れ合った場所から伝わる優しい温もりを、誰にも奪われたくない。

 その想いは強くなり、抑え込んでいなければ零の躰を砕いてしまいそうだった。

「うん……どこにも行かない──だから……私を、放さないで……」

 すすり泣く零の囁きが、切なる祈りのように響いた。




 キリスト教の洗礼を受けていた鷲塚響子の葬儀は、鎌倉にある荒神家の屋敷に近い小さな教会で執り行われた。

 喪主は鷲塚海琉──だが、響子の親族は、誰一人教会に現れない。

 荒神勲と妻の芭月、一人娘の薫、そして近親者以外では零だけが参列する静かな葬儀となった。

 真っ白な柩に眠る響子の顔は安らかで、埋め尽くす白薔薇の中で微笑んでいるようにも見える。

 祭司の終祷の後、柩に白薔薇を添えた零は、鷲塚の手で響子が大切にしていたウェディングドレスが収められるのを見て、涙を止められなくなった。

 零を娘の「琉花」だと思いこみ、思い出のドレスを着せて、少女のように微笑んでいた響子の笑顔と、白薔薇に飾られた遺影が重なって見える。

 ほんのひとときだったが、零は響子を「ママ」と呼んだ。

 本当の親子であるはずの鷲塚は、お互いを呼び合うことは一度もなかっただろう。

 鷲塚の冷徹な瞳に、別れの涙は無い。

 せめて響子の思い出が、少しでも鷲塚の心に残るようにと、祈らずにはいられなかった。


 そして葬儀の後、まるで一刻の猶予も無いというように、その日のうちに二人が住む都内のマンションに連れ戻された零は、落ち着く間もなくベッドに押し倒されていた。

 殺気立って見えるほど、鷲塚の鋼の双眸は底光りしている。

 ろくに抗うこともできないまま、間に合わせの黒い喪服を剥ぎ取られてしまう。

 強引なその手を押し止めるように「待って」と訴えようとしたが、零の言葉は切羽詰まったキスに封じられた。

 抑え込めないほどの激しい欲望が、戸惑いにおののく零の肌を灼き、求められているのだと否応なく思い知らされる。

「今はまだ、抱けなくてもいい。だが、お前の全てが見たい」

 剥き出しになった肩を掴まれたまま、低くくぐもった鷲塚の声が耳元に落ちると、甘やかな戦慄が零の躰を駆け抜けてゆく。

 どこよりも安心だと思える場所へ、鷲塚は零を連れて来てくれた。

 いつもなら、羞恥に震える零を、どこであれ貪欲に奪うというのに──。

 響子の葬儀が終わるまで留まっていた荒神本家の中で、北聖会の御山が死亡したというニュースは大きな話題になっていたが、零の前で一切口にしてはならないと、鷲塚は全員に厳命していたらしい。

 そして、響子の死にけじめをつけるためなのか、一度も零には触れようとしなかった。

 それは、衰弱した零に対する鷲塚の配慮であったのだろう。

 ほっと溜息をつき、全身から力を抜いた零は、両手を伸ばして鷲塚のうなじを引き寄せた。

「海琉なら……大丈夫……何も怖くない──。
 どんな事があっても、助けてくれるって、信じているから」

 これほどまでに強い結びつきを感じられるのは初めてだった。

 出会った頃から感じていた、鷲塚の中にある冷たい氷の壁がようやく開き、そっと迎え入れてもらえたような気さえする。

 頭で考えなくとも、無条件に信頼できると、体中の全ての細胞が叫んでいるようだった。

 抱き締められ、身も心も一つになる至福を求めて、恐怖や不安さえもが陽に溶ける雪のように消えてゆく。

「怖くなったら、噛みつくなり、引っ掻くなりしていろ」

 漆黒の喪服を脱ぎ落とした鷲塚は、そう言って唇の片端を歪め、意地悪く笑う。

 だが、言葉とは裏腹に、降り注ぐキスや愛撫の指先は、恍惚をもたらすほどに優しい。

 素肌が触れ合うたびに、互いの気が、ふわりと新たに結びつく。

 その奇跡のような感覚に酔いしれ、与えられる快楽に漂っていると、不意に胸の奥から嗚咽が噴き上がり、涙がこぼれ落ちた。

「辛いのか?」

 そう問われ、零は小さくしゃくり上げながら首を横に振る。

 ただ、嬉しかった。

 穢されたこの躰を、何も変わらないと言うように求めてくれる、鷲塚の存在が。

「ここに……戻って来れて、良かった──」

 様々な想いが胸の中でせめぎ合い、嗚咽となって、伝えたい言葉を奪ってゆく。

「何も考えずに、素直に感じていろ。
 ここには他に誰もいない。
 感じるまま、俺の下で狂え」

 耳の縁に舌先を這わせた鷲塚が、淫靡な囁きを吹きかけ、耳孔に濡れた尖端を差し入れてくる。

 ぞくぞくと甘い戦慄が走り、喘ぐように吐息をもらした零は、ざわめく肉体の感覚に心をゆだねた。

 全てを忘れられるとは思わない。

 だが、せめて二人で抱き合う時間だけは、あらゆる苦悩や嘆きから解放され、求められるがままこの身を捧げていたかった。

 ベッドサイドのルームランプと、窓から射し込むほのかな月明かりの中で、身に纏う全てを奪われた零は、上下する胸元に口付けられると、思わず鷲塚の黒髪をまさぐった。

 突起を舌先で転がされ、歯を立てられ、きつく吸われる。

 ツキンとした痛みはすぐに快感を呼び起こす刺激に変わり、ささやかに主張する小さな乳首は疼いて、もっと淫らな奥芯が蜜をこぼす。

「……ぁあっ……はぁっ…ぅんっ……」

 左右に開かされた膝の間に、鷲塚の右手が滑り込み、零の未熟なペニスを捕らえて愛撫する。

 胸の尖りをかすめるように舐められ、愛蜜の雫を塗り込めるようにして親指の腹で珠茎をいじられていると、鷲塚の躰の下で零は背をのけぞらせ、息を弾ませた。

「……ああっ…あ、ああっ……だめ……そんなに、したら──」

 下腹から生まれた情欲の炎が、全身を痺れさせ、蕩かそうとしている。

 零の官能を引き出し、身悶える様を楽しむように、鷲塚は時間をかけて口づけし、ついに淫蜜を滴らせる秘裂に指を滑り込ませた。

 その瞬間眉根を寄せ、わずかに身を強張らせた零は、それでも受け入れようと指先に意識を向ける。

 長く節張った指が一本……ついで、押し開かれるような二本目。

「……ああっ……はぁっ……あ、ああっ……」

 何の抵抗も無く、柔らかく鷲塚の指を迎え入れた秘唇は、掻き乱されると淫らな蜜音を溢れさせ、零に羞恥をもたらした。

「お前のここは、どんな風になってる?」

 ゆっくりと出し入れされる指の蠢きを感じていた零は、その言葉に思わず瞼をきつく閉ざすと、いやいやするように首を横に振った。

 中を乱されて、浅ましいほどに感じる──鷲塚の指が、敏感な場所を探り当てて擦るたびに、零の腰は波打つように揺れる。

 甘美な戦慄が、とろ火のように腰骨を舐め、快感が背筋を貫いてゆく。

「ああぁっ……いやっ……許して、そこは、もう……」

「言え。お前の女の部分が、どうなっているのか」

 恥じらう心を責めるように命じ、鷲塚は硬く凝った零の乳嘴に歯を立てた。

 痛みに震えた零は、被虐的な興奮に溺れながら、卑猥な言葉を口にする。

「海琉の指が……中を、ぐちゃぐちゃにして──熱くて、溶けてしまいそう……」

 羞恥が肌を紅潮させ、汗を滲ませてゆく。

 しっとりと汗ばみ、白々と艶めく首筋にキスを振らせた鷲塚は、そのまま零の唇を塞ぎ、舌を絡みつかせた。