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春光の出会い


<Gift>



 春の光の中を颯爽と歩く俺はいつもと違う。

 なにせ卒業式のために深伸(ミノブ)が買ってくれたスーツを着て、キャンパスを歩くのは最高の気分だ。
 なによりもこれから卒業祝いを兼ねて深伸と一緒に食事に行くんだから、俺の機嫌は上昇気流に乗っている。

 明日からの俺は三島組二代目見習いとして、深伸について修行するんだ。
 これからはいつも一緒、接待にだってついていけるんだぜ。
 ずっと気になっていた深伸に纏わり付くホステスたちを片っ端から排除してやる。
 深伸の隣は俺のもの! だれにも譲らない。

 俺は明日から始まる深伸とのパラダイスを思って浮かれていたんだ。


「樺耶(カヤ)さん、卒業おめでとうございます。
 明日からはずっと一緒ですね。びしびし扱きますからそのつもりで……」

「深伸〜、扱くって…おまえ、こんなところで恥ずかしいじゃないか」

 樺耶は顔を真っ赤にして俯いてしまった。

 卒業式という特別な日、俺は今夜の甘〜いふれあいを思ってハートマークを飛ばしていたんだ。

「樺耶さん、俺を煽っているのか? お望みならこの場で扱いてやっても構わないが」

 ポッポッ! 

 真っ赤を通り越して茹蛸になってしまう樺耶は、柳田(ヤナギダ)の言葉を肯定しているのが丸分かりだ。

「バカ〜…」

 誤解を与えないために言っておくと、今二人がいる場所はレストランに向かうエレベーターの中だったりする。
 当然他に乗り合わせている者はいないが、いつだれが乗り込んでくるか分からないのだ。

 そして互いの唇が今にも触れ合おうとした瞬間、無粋な電子音が狭いエレベーターの中に響き渡った。

 ため息を吐きながら樺耶が柳田から離れると同時に、待っていたようにエレベーターも目的のフロアに到着していた。

 携帯電話の通話ボタンを押した柳田が、待合所になっているフロアの片隅に移動するのを横目に樺耶は化粧室に向かって歩き出す。

 さっきのエレベーターでの会話だけで、反応しかけている欲望を抑えるために。


「は〜、俺、こんなんで大丈夫なのか?」

 鏡に映る顔は母親譲りの大きな黒い瞳が印象的だ。

 だが柳田のように男らしいという言葉からはほど遠い。
 そんな容姿が子供の頃は嫌いだったが、それでも柳田が好きだと言ってくれるから今は気にならなくなっていた。

 身を翻して化粧室の扉を押した瞬間に、ドンとなにかにぶつかった衝撃を感じる。

 急いで飛び出してみると、案の定そこには人が倒れていた。

「あっ! 大丈夫ですか? 怪我はありませんか?」

 間が悪いことに扉の向こう側を歩いていた人物を突き飛ばす形になってしまった。

 武道を極めた普段の樺耶なら扉の向こうの気配を読めたはずなのに、今の樺耶はさっきまで欲望を処理していたために集中力を欠いていたのだ。

 もしかしたら当たり所が悪かったのかもしれない、そう思った樺耶は尻餅をついている亜麻色の長い髪の人に走り寄って肩を揺すっていた。

「大丈夫、少しぼんやりしていただけだから気にしないで」

 顔を上げたその人が温かみを持ったセピア色の瞳を優しげに細めて微笑かけてくるのに、樺耶は思わず見惚れてしまっていた。

 友人の大和一樹の美貌とは一味違う幻想的で儚げな美しさは、見るものすべてを惹きつけて離さないことだろう。

 樺耶の脳裏を賛辞だけが飛び交っている。

「き…れ…い…お姉さん、すっげ〜美人だな〜〜〜」

 賛辞の言葉は無意識に出たもの、言葉遣いもすっかり地に戻っている。

 そんな樺耶の言葉に驚いたように瞳を見開くその人は、次の瞬間にはニッコリと花が綻ぶような微笑を浮かべていた。

「フフフ、ありがとう。こんなにキュートな男の子に誉めてもらえて嬉しいよ。
 あっ、男の子なんて失礼だったかな?」

 小首を傾げると、可愛らしさまで加わるから不思議だ。

 そんな表情をするとますます身近な存在に感じて、樺耶もそれに勇気付けられて微笑を向けた。

「俺の方こそぼんやりしていたようで、すみません! 
 それにぶしつけなこと言ってしまって、明日から社会人なのに恥ずかしいです。
 怪我はないですか?」

「本当に大丈夫、私の方こそごめんね。
 え〜と明日から社会人って? もしかして失礼なこと言ったのは私の方なんじゃない?
 男の子なんて言ってごめんね」

 手を差し出して起こしてやりながら樺耶は大きく首を振った。

「俺のこと実年齢で見てくれる人なんていないんですよ。
 それに俺、可愛いって言われるのは嫌いじゃないから・・・子供の頃は嫌いだったけど、今は大好きな人が好きだと言ってくれるから俺の自慢。
 でも明日から俺が生きる場所ではきっとこの顔は邪魔になるんだろうな」

「そんなことないよ、きっと愛する人が好きだと言ってくれたらそれでいいんだと思う。
 私だってそれだけで生きていけるもの。
 どんな場所で生きるにしても、愛する人がいれば幸せなんだ」

「お姉さんのことすごく気に入っちゃったよ。
 俺、三島樺耶(ミシマ カヤ)、今日大学を卒業したばかりのピカピカの二十二歳。
 良かったらお姉さんの名前を教えてくれないかな? それとも恋人に怒られる?」

 いつのまにかタメ口になっているが、そんなことにも気付かないほど樺耶は浮かれていた。

 それくらい目の前にいる美しい人のことを気に入っているのだ。

「樺耶くん? って呼んでいいのかな?
 私は鳴川零、よろしくね。樺耶くんと友だちになれて嬉しいよ」 

「俺も、俺も、すっごく嬉しい! 零さんって呼んでいいんだよな?」

 名前を教えてもらって舞い上がっている樺耶はすっかり浮かれてしまっていた。
 浮かれるあまり、またまた周りの気配に気を配ることを忘れていたのだ。

「わあ〜〜〜、なにすんだよ!! 離せっ! 離せよ!!」

 突然後ろから拘束されてバタバタと暴れだした。

 当然、零は樺耶の後ろから近付いてくる人影に気付いている。
 まさかこのような暴挙に出るとは思っていなかったのだが。

「海琉、止めて! なぜそんなことをするの? 彼は私の友だちなんだよ」

「零、 おまえはまだ自分の立場を自覚していないようだな。うっ!」

「おっさん! ずいぶんなごあいさつじゃねぇーか!
 黙って聞いてりゃ、何てこと言いやがる。零さんはものじゃないんだ!!
 立場もクソもあるはずないだろうが!」

 合気道のコツを利用して、樺耶は鷲塚の腕から逃れ逆にその手を拘束していた。

 心の中を覗くなら、

『やった〜、深伸、かっこいい俺を見てくれ!』

だろうか。

 もっとも心の中の呟きが終わらないうちに別の所から伸びてきた腕に掴まってしまうのだが……。

「樺耶さん、あなたはいったいなにをしているんです? ちょっと目を離すとこれですか?
 いい加減大人におなりなさい」

「なにすんだよ!! 離せ、俺は零さんを守るんだから!」

「いいんですよ、あなたが守らなくても、彼女にはちゃんと守ってくれるナイトがいるんですから。
 この場合お邪魔虫はあなたのようですよ」

「えっ、な〜んで〜?」

 突然の柳田の言葉に今まで暴れていた樺耶は動きを止めて、目の前に佇む零とその肩を抱くようにして睨み付けてくる男を見つめた。

 言葉ではもの扱いしながらもその様子は優しさと愛情に溢れていて、さっき樺耶が背中で感じた殺伐とした気配は消えている。

 クエスチョンマークを盛大に飛ばしながら樺耶は零の様子を伺った。

「お久しぶりです、鷲塚さん。うちのが大変失礼なことを致しました。お詫びを…」

「なに言ってんだよ! 俺、なんにも悪いことしてないぞ。失礼なのはあっち!
 いきなり後ろを取るんだからな……」

「ふっ、真剣勝負の世界で簡単に後ろを取られるおまえが悪い。
 零に見惚れているからそんなことになるんだ。

 柳田、これが噂の二代目候補か?
 フッ、おまえもこんなやんちゃなガキのお守りは大変だな。
 せいぜい躾を間違えないことだ」

「ご忠告痛み入ります。せいぜい立派に躾ましょう。
 ただ、お言葉を返させていただけるなら、二代目としては未熟でも俺がすべてを捧げた伴侶です、ガキ呼ばわりは訂正願いましょうか。
 あなただって大切になさっている鳴川さんをガキ扱いされるのはお嫌でしょう?」

「ああ、その点は詫びておこう。
 だが今後零に近付くことは許さない、しっかり首輪をつけておくことだ。
 二度目は後ろを取るだけではすまないぞ。零、行くぞ」

 困ったように男たちの様子を見つめる零はどうしたらいいのか分からないようだ。

「海琉…私……」

「なにをしている、予約に遅れてしまうぞ」

 有無を言わさず引きずられて行く零が、後ろ髪を引かれているようにすまなさそうな視線を樺耶に送るのが印象的だ。

 その様子を見て黙っていられる男などいないはず、いや男だけに限らないのかもしれないが。

「おい! 待てよ、おっさん!」

「なんだ? まだ用があるのか?」

 樺耶の声に、凍てつくような空気が漂うほど鷲塚の視線が鋭くなる。

「俺が零さんと友だちになるためには、あんたの許しがいるのか?」

「どう言うことだ?」

「俺さ、零さんのことがすっごく気に入ったんだよね。
 これからも時々一緒にケーキ食いに行きたい。
 なんてったって深伸はケーキ嫌いだから付き合ってくれないんだよな。
 それに深伸ってこれでやきもち焼きだから、俺の友だちって少なくってさ。
 その点、零さんなら深伸も反対しないと思うんだよな」

「ほう〜、柳田はそんなにやきもち焼きなのか? 心の狭い男だな」

「そうなんだよ、って、それはいいんだよ!
 そんだけ俺のことを愛してる証拠なんだからさ。
 それで俺が零さんと仲良くすること認めてくれるのか?」

「ふんっ、認めるわけにいかないな。
 いくらガキでも男には違いない、零に及ぶ危険は事前にすべて排除することにしている」

「ガキガキ言うな!!
 俺には親父とお袋が付けてくれた、ついでに言えば深伸がだ〜〜〜い好きな樺耶って言う名前があるんだよ!
 不本意だけどあんたにも呼ばせてやるよ。
 だから、俺と零さんの親睦を邪魔するなよな」

 かなりハチャメチャな理屈である。
 否、理屈にもなにもなっていない。

「おまえが零を襲わないという保証がどこにある?
 その保証があるのなら認めないでもないが」

 睨み合う鷲塚と樺耶の姿は、おそらくこれから先何度も見かける光景になるだろう。

 荒神会と三島会、二つの組織の頭として……もっとも樺耶自身は鷲塚の正体にいまだに気付いていないのだが。

 そんな二人をハラハラと見守る零と、おもしろそうに高みの見物を決め込む柳田の様子も対照的だった。

「あんたが俺に欲情しないくらいには確かだな。
 俺には深伸っていう最愛にして最高の恋人がいるんだぜ。
 何年かかって手に入れたと思ってるんだ?
 俺は深伸以上にいい男を知らないぜ。

 それに俺、可愛いものや綺麗なものには目がなくてさ。
 でもそれって恋愛感情じゃないから安心していいぜ。
 それにあんまり心が狭いと愛想つかされるぜ。
 まあ、あんたが俺に欲情するって言うんなら信用できないだろうけどさ」

 眼光鋭い鷲塚と真っ向から睨み合う樺耶は視線を逸らさなかった。
 少しでも逸らしたら負けだとでもいうように。

「フッ、柳田、前言撤回だ。楽しみな二代目だ、大事に育てるがいい。
 今後はいい関係が築けるかもしれないな。
 柳田の坊や、不本意だが零の友人として認めてやろう。
 どう考えてもおまえに欲情しそうにはないからな、だがくれぐれも言っておくが零を泣かすんじゃないぞ」

「ふんっ、泣かすのはあんただろう?
 ってことで、零さん、今度一緒にお茶しような。
 連絡するよ、でもどこにしたらいい?」

「うん、私も楽しみにしてる。連絡はね……」

 そんな二人の間に割って入ったのは、意気投合する零と樺耶の様子に苦虫を噛み潰したような表情に変わっていた鷲塚ではなかった。

 意外なことに今まで傍観に撤していた柳田だったりする。

「それは俺を通してもらおうか。
 樺耶さん、あなたは明日から二代目見習いとして忙しい日々が始まります。
 あなたのスケジュール調整はすべて俺の仕事、自由なんてないんですよ」

「え〜〜〜、俺、自由時間ってないのか〜〜〜? 一樹や勇喜とも遊べないのかよ〜〜〜」

「そうなりますね、一人前の組長になるためには甘えを捨ててもらわないと。
 さあ、食事に行きましょうか?
 すでに予約時間を二十分も過ぎている。
 鳴川さんと一緒に出かけたかったら、俺を満足させることですね。
 それでは鷲塚さん、鳴川さんにご面会をお願いする時は俺からあなたに連絡させていただきますので、それでよろしいですか?」

「ああ、そうしてもらおう。邪魔をしたな、楽しい食事を楽しむといい。零、行くぞ」

 柳田の言葉に納得したらしい鷲塚は零の肩を抱いて歩き出した。

 樺耶は柳田が決めたことに不満を感じながらも、こういう態度に出た時に逆らっても聞き入れられないことを知っている。

 それで安心できるのならいいのかな。
 結局樺耶は、大好きな深伸兄ちゃんには甘いのだ。
 どんな無理難題を言われても許してしまうほどに。

「深伸、俺、腹へった。早く飯食って満足させてくれよ」

「空いたのは腹だけか? 満たすのは空腹だけでいいのか?」

「バカ〜…おまえで満たしてよ。分かっているくせに……」

 甘えるように柳田の腕に指を絡めて樺耶は幸せそう微笑んだ。

 柳田の腕が背中に回されるのを感じながら静かに瞳を伏せていく。

 樺耶にとっての幸せなひと時、明日からは修羅の道が待っている。



 エレベーターの中で肩を抱かれた零は、鷲塚を見上げると先ほどから疑問に思っていたことを口に出した。

「ねぇ〜、海琉、樺耶くんたちを知っているの?」

「ああ、あれは三島組という俺の同業者だ。
 六年くらい前までは敵対関係にあった組織なんだが、ある事件をきっかけに今は友好関係にある。
 さっきの坊やと一緒にいた男が実質的に組を仕切っている柳田、そして坊やは組を継ぐ二代目だ。
 俺たちの世界では有名な話だが、あの坊やは組を継ぐ代わりに柳田をほしがったらしい。
 まあ純愛だな、それこそヤクザな世界には似合わない話だ」

「ふ〜ん、だから樺耶くんと友だちになるのを反対しなかったの?
 それとも私を信じてくれた?」

「そうだな、あれはおまえの害になる男ではないからな」

「どういうこと?」

「言っていただろう? 俺が坊やに欲情しないくらいには、おまえをそういう意味では見ないと。
 あの坊やは子供の頃からずっと柳田一筋だ、一説によると柳田を押し倒してものにしたとか。
 それに…俺に後ろを取られて逆を取るなどそう簡単にできることじゃない、それだけでも見所はあるんだろうな。
 俺におまえがいるのと同じように、あの二人は完全な一対なのかもしれない。
 だから俺も安心できるんだ」

「でもそこには私の意思は含まれていないんだね?
 私は海琉を愛しているのに、海琉は信じてくれないの?」

「そうじゃない、そうじゃないがおまえが魅力的すぎるから血迷う輩に頭を痛めているんだ。
 いいか、俺だけを見ろ。いつも俺だけの言葉だけを信じて疑うな。裏切りは許さない」

「うん、私は海琉を裏切ったりしない。
 どうしても信じられないのなら、私を海琉で縛ればいいよ。
 私は海琉に与えられるものなら喜んで受け入れる、切れない鎖ならもっと幸せ。
 海琉…愛している。
 私を離さないで…あなたに縛り付けて」

「零…おまえだけを愛している」

 見つめる鷲塚の瞳の中に愛しさが溢れ出すのを見つけた零は艶やかな微笑を浮かべた後、セピア色の瞳を静かに閉じたのだった。

 王子さまのキスを待つ白雪姫のように……。