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琉花のひな祭り



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 3月3日は桃の節句──雛祭り。

 女の子のお祭りでもあるこの日、零は、琉花が生まれて以来初めて、親子3人でのんびりとした雛祭りを過ごせると思っていた。

 何しろ初節句から4年間、雛祭りの度に、荒神本家と鳴川家を交互に行ったり来たりしていたのである。

 荒神家にとっても、鳴川家にとっても、琉花は初孫であり、可愛い女の子であったから、初節句の日は両家共に異様な盛り上がりを見せた。

 結局、雛人形は母方である鳴川家から贈られることになったのだが、荒神家の方でも「琉花のために何かを贈ろう」ということになったらしく、豪華な市松人形と豪勢な祝宴が設けられることになったのである。

 荒神本家の大広間に雛壇が飾られ、お内裏様とお雛様よろしく緋毛氈の上に座らされた鷲塚と零であったが、そのうち長い宴会に飽きてしまった琉花が抗議するように泣き出してしまう。

 結局、男性陣は宴会を続行し、女性陣は零と琉花を挟んでお喋りに花を咲かせた。

 話題はもちろん育児のコツや、苦労話──育児に協力しない夫に対する愚痴までもが飛び出す。

 最終的には何の祝宴だったのか誰も判らなくなってしまうような初節句であったが、次の年は「内輪だけでのんびりと」ということで零は実家へ里帰りすることになった。

 それを寂しく思った荒神家から、「次の年はぜひうちで……」という申し出があり、琉花が2歳になった時はそちらに行くことになった。

 そして次は──という風に、毎年慌ただしい1日になるのだったが、今年こそは家族でゆっくりと過ごそうと思い、零は正月明けには両家にそう伝えていたのだった。



「ママーっ、おすしはねえ、ハートの形にして。
 それでね、ピンクのやつを上にたくさんかけるの」

 見た目が綺麗なちらし寿司を作っていた零の傍で、手元をのぞきこんでいた琉花が、ぴょんぴょん飛び跳ねながらそう言った。

「ハートがいいの? 菱形じゃなくて?」

 菱餅が食べたいと言っていたのを思い出し、零がそう聞き返すと、娘はにっこりと笑って大きくうなずいた。

「うん! だってねえ、パパ、ハートが好きって言ってたよ。
 バレンタインの時、シンちゃんにハート上げたら、パパも欲しいって言ってたもん。
 パパ、チョコ嫌いだからハート食べられなかったけど、おすしなら食べられるよね」

 琉花の言葉を聞き、零は思わず呆気にとられていた。

「もちろん作ってあげられるけど……琉花もハートでいいの?」

「るかも、ハート好きだもん。
 でも、今日はパパとママが仲良くする日なんでしょ?」

 小首を傾げて見上げてくる琉花を見下ろし、零は不思議に思って娘の目線に合わせて腰を下ろしていた。

「今日はね、女の子のお祝いだから、琉花のお祝いの日なんだよ。
 琉花が元気でいられますようにって、お雛様にお願いするの。
 パパとママも仲良くするけど、今日は琉花の事をお祝いする日」

「でも……今日はおひな様の日なんでしょ?」

 難しい顔をして考え込んだ琉花に、零は微笑みながらうなずいた。

 すると、琉花は零の手を握り、リビングに置かれていた雛飾りの前まで連れて行った。

「おだいり様とおひな様は、パパとママだって言ってたよ。
 おひな様の日なら、パパとママの日じゃないの?」

 手を握ったまま、琉花は雛飾りの最上段を指差し、不思議そうに零の顔を振り仰いだ。

「……ねえ、琉花──誰から聞いたの、それ?」

「シショーだよ。でも、パパもそうだって言ってたもん。
 それでね、おひな様の下にいる真ん中の人がるかで、となりがカオルちゃんとサキちゃんなの」

 呆気に取られている零ににこにこと笑いかけながら、琉花は三人官女を指差した。

「それでね、シンちゃんでしょ、シショーでしょ、タカさんでしょ、シャチョーでしょ、ゆーりせんせー」

 五人囃子をそれぞれに指し示しながら、琉花はさらに名前を呼んでいった。

 零は思わず「なるほど」と感心して聞いていたが、どうやって琉花に本当の「雛祭り」の意味を教えたら良いかと悩んでしまった。

 まだ幼稚園児の琉花には、本格的な桃の節句の由来を話しても判らないだろう。

 そう思い、零はできるだけかみ砕いた表現で説明を試みた。

「お雛様はね、琉花がいつも元気でいられますようにって、琉花を守ってくれてるんだよ。
 だから琉花は、今年も元気でいさせてねって、お雛様にお願いするの。
 お雛様にお菓子とかお酒とかをお供えして、みんなで一緒に御馳走食べて、『守ってくれてありがとう、今年もよろしく』ってお願いする日なんだよ、今日は」

「ふーん、やっぱりおひな様はパパとママみたいだね。
 いっつも、るかの事、まもってくれてるもんね。
 るかは、『ありがとう』と『よろしく』を言わなきゃいけないんだ」

 零の話を聞いて琉花は納得したような顔になり、にっこりと明るく笑った。

 間違いなく通じただろうかと不安になりつつも、零は琉花の笑顔につられて微笑んだ。

「──じゃあ、みんなを呼んで、『今年もよろしく』って言わなきゃね。
 るか、みんなを呼んでこようっと」

 そう言って、ぱっと零から手を離した琉花は、パタパタと軽い足音を響かせながら電話機の方へと走っていった。

(……え? みんなって?)

 思わず首を傾げた零は、琉花の楽しげな声を聞いて我に返った。

「──あ、シショー? あのね、今日はおひな様の日だから、るかの家に来てね。
 今日はるかが『よろしく』の日なの」

「シンちゃん、今日はおひな様の日だから、遊びにきて。
 ママがごちそう作ってくれてるよ……うん、美味しいよ、ピンクがたくさんのおすしなの」

 いつの間に暗記をしてしまっていたのか、琉花はそれぞれの電話番号に、メモリー機能すら使わずに電話をかけていった。

 さすが鷲塚の娘──と立ちつくしたまま感心をしてしまっていた零であったが、はっと重要な事に気づき、慌てふためいた。

(琉花〜、今日はホームパーティの準備なんてしてないよー!)

 零の計画によれば、今日はもうすぐ帰ってくるであろう鷲塚と3人で、ゆっくりと雛祭りを楽しむ予定であった。

 予想外の来客を想定し、ちらし寿司は多めに作ってはいたが、それでも琉花が電話をかけている人数には足りないかもしれない。

 琉花が楽しみにしているのだから、今さら断りの電話を入れるわけにもいかず、零は急いで料理メニューに変更を加える。

 3人目の人物に電話をかけている琉花の楽しげな声を聞きながら、零はバタバタと慌ててキッチンへと戻ったのだった。



「シショー、今年もるかの事、よろしくね〜」

「おっ、何だ、琉花が酌してくれんのか?」

 白酒の入った瓶を持った琉花が、古谷の傍に近寄っていく。

 古谷がいつ頃から琉花の「シショー」になったのかは判らないが、琉花は不思議なほど彼に懐いていた。

 見かけの怖さに反して面倒見の良い古谷であったから、琉花に会っているうちに意気投合したのかもしれない。

「零ちゃん、どうして琉花は『今年もよろしく』って言ってるの?」

 薫の問いに、零は苦笑しながら答えた。

「多分、私がうまく説明できてないんです。
 雛祭りの事、お世話になっている人に『よろしく』って言う日だって勘違いしちゃったみたいで。
 『パパとママが仲良くする日なの?』って聞かれたから、一応、琉花のお祝いの日だって教えてみたんですけどね」

「なるほど……でも、いいんじゃないの、パパとママが仲良くしてれば。
 それで琉花が幸せならさ──ねえ、新堂君?」

 黙々と甘いちらし寿司を頬張っていた新堂は、薫に話題を振られ、はっと顔を上げた。

「え? ──何か言いました、薫さん?
 それより零さん、すっごく美味しいですよ、このお寿司。
 ピンクのハートっていうのが、また可愛いですよね」

 全然話を聞いていなかったらしい新堂は、どっさりと桜田麩のかかったちらし寿司を平らげてそう言った。

「甘くなかったですか? あの子、分厚くなるほど振りかけちゃったから」

 自分でやると言い張った琉花に任せたてみたら、ケーキの型抜きでハート型にしたちらし寿司は、桜田麩によって見事に表面がピンク色になってしまったのだ。

「いえ、俺は全然平気です」

 満足げに笑った新堂のところに、琉花が「シンちゃん、今年もるかの事、よろしくね〜」とお酌をしに走り寄ってきた。

「何だ、そりゃ?」と聞き返した新堂に、琉花は一生懸命零から聞いた「おひな様の日」の説明している。

 微笑ましい二人の様子を見守っていた零は、ふと「平気じゃないのは──」と思い出し、隣に座っている鷲塚の皿に視線を向けた。

「──やっぱり、海琉には甘すぎたね」

 それでも半分まではどうにか頑張ったらしい鷲塚を見つめて微笑み、零はその皿を取り上げた。

 桜田麩のかかった上層だけを箸で取り除いてやると、ようやく鷲塚の箸が進み出す。

 その様子をじっと見つめていた薫は、隣に座っていた高宮に笑いながら話を振った。

「あたしだったら、『あたしが作ったものが食べられないわけ?』になるんだけど。
 零ちゃんって、海琉にホント甘いわよね〜」

 漆の盃に桃の花が浮かんだ白酒を無言であおっていた高宮は、にやついている薫を横目で眺め、溜息混じりに呟いた。

「薫さんが食事を作ってくれるなら、俺は最初から文句は言いませんよ」

 その言葉を皮肉と受け取った薫は、つんと顎を上げてそっぽ向く。

「あたしは零ちゃんと違って、料理は苦手なの〜。
 あんたの方が料理上手いじゃない。
 だから、あんたが作って、あたしが片付けた方が、お互いのためよ」

「まあ……それもそうかもしれませんね」

 納得して相づちを打ちつつも、たまには愛情のこもった妻の手料理を食べてみたいと思う高宮なのであった。



 その後、綺麗に飾り付けられた雛飾りを、琉花と共に見物していた薫と古谷は、荒神本家から贈られたという大きな市松人形を見て、好き放題な感想を言い合っていた。

「……でもさあ、これってなんだか、お菊人形みたいよね〜。
 あたしも昔同じようなのもらったけど、いまいち好きになれなかったわ」

 おかっぱ頭の娘人形を間近からしげしげと眺め、薫がそんな事を呟くと、古谷が呆れたような口ぶりで笑った。

「そもそもお嬢は、プラモデルとか怪獣の人形の方が好きだったじゃねえか」

「だって、日本人形って、ちょっと不気味じゃない──動き出しそうで」

「カオルちゃん、おきくにんぎょーって何ぃ?」

 大人二人の会話を聞いていた琉花が、薫のスカートをひっぱってそう訊ねると、薫は首をひねりながら答えた。

「お菊人形っていうのは、髪が伸びるっていうので有名な人形なのよ。
 確か……昔、菊子さんっていう女の子が大事にしていて、その子が亡くなった後、急に人形の髪が伸び始めたんだって。
 ──そうだったわよね、新堂君?」

 三人の傍に来ていた新堂に、薫が確認するようにそう聞くと、新堂は面食らったように瞬きをした。

「え? そうなんですか? 知りませんよ、俺、そんな話」

「髪が伸びる人形だってぇのは、有名だよな」

 記憶を思い起こしながら、古谷が呟く。

 すると琉花が薫からぱっと離れ、新堂の脚にしがみつきながら、きゃっきゃと笑った。

「こわーい。人形の髪がのびるんだって〜。
 るか、そんなのいらな〜い」

「こら、琉花! 人形を大事にしないと、祟られるぞ。
 夜になって琉花が寝た後、お雛様が悲しんで泣き始めたり、動き出したり……」

 古谷がそう叱って脅かすと、琉花は新堂の背後に回り込んで両脚にしがみつき、べーっと舌を出して見せた。

「シンちゃんいるから、るか、怖くないも〜ん」

「夜になったら、新堂、帰っちゃうだろうが」

「パパとママいるから、全然へーきだも〜ん」

「そんな事言ってると……お雛様がパパとママを連れて行っちゃうかもしれねぇぞ」

「え〜〜っ! そんなの、やだ〜〜!!」

 二人の間に挟まれていた新堂は、そのやり取りを聞いて、思わず苦笑をもらした。

「まあまあ、古谷の兄貴──そんな、大人げない……」

 新堂が宥めようとすると、古谷は片眉をつり上げ、凶悪な顔つきで睨み付けてくる

「お前は黙ってろ、新堂! これも教育的指導だ!!」

「古谷って、そういうの好きよね〜。昔から、教育係って感じ?」

 幼い頃、同じような事があったと思い出しながら、薫がけらけらと笑う。

 こうして、鷲塚家のひな祭りは、今年も賑やかに過ぎていくのであった。