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後宮の月


序章 



 「気のせいだとは思いたいが、あの巫女姫の存在が計画の障害になるかもしれんな」


「あなたへの予言めいた言葉は、さほど深刻ではありませんよ。
実際、近隣諸国の情勢を知る者であれば常識的に考えます。
西より来たる猛き獅子というのは、ダルヴァート帝国のことでしょうし、ファザイア様は『獅子帝』と呼ばれておりますからね。
ダルヴァート帝国は太陽神ヴァラスを信仰しておりますから、太陽に愛されたる者という言葉の解釈になるでしょう」


 宿に戻ったラシールは神殿で起こった出来事についてアシュランと話し合っていた。


「その辺はまあ納得しようと思えばできるが、わたしが気にかかるのは最初の部分だ」


「あの巫女姫を殺すってことですか?
ここに来るまで、あの〈月神の花嫁〉の存在すら知らなかったのですよ。
ルシャリーン姫のことは考えていましたがね」


「彼女はカルシアの後継者。
ヴァルーズに招けば、カルシアはダルヴァートを宗主国と認めるだろう。
だが、あの巫女姫に対する民衆の反応は脅威だ。
あの姫を中心に民衆が団結するとなると、カルシア併合は予想外に困難になる」


 ラシールは狭い部屋の中を行ったり来たりしはじめた。
その様子をアシュランは黙って見守る。

 やがて、ラシールは歩みを止めた。


「もう一度、あの巫女姫に会う必要があるな。今度は邪魔が入らない場所で。
このヤヴァシュの事情に通じている者を探せ、アシュラン。
状況によっては、計画を変更する。
それから帝都に連絡をとって、親衛隊を大陸街道沿いに配置するよう要請しろ」


「ヴァルーズにはすぐにでも使者をおくります。
あの巫女については、ヤヴァシュにいる知り合いにでも訊ねてみましょう。
密かに会う手筈を整えてもらえるかもしれません」


 アシュランが穏やかな口調で応じると、ラシールは不思議そうにその顔を見やった。


「ヤヴァシュに知り合いがいたのか?」


 アシュランはにこりと微笑み、ゆっくりと頷いた。


「はい。わたしは案外顔が広いのですよ。
ひととなりにについては少々難ありであすが、ヤヴァシュの事情には誰よりも通じています。
月の花嫁のことも、何か知っているかもしれません」



 翌日、アシュランに導かれてラシールはヤヴァシュの町に出た。


 ヤヴァシュは東西の国々を結ぶ大陸街道の中継地点にあたる。
様々な国の商人が集う隊商都市でもあるため、市場には千差万別の容姿をした人々で溢れかえっていた。


「それで、お前の知り合いというのは何者なのだ?」


 ありふれた傭兵の衣服に剣だけを帯びた服装のラシールは、狭い路地裏を歩きながらアシュランに訊ねた。

 するとアシュランは謎めいた微笑を浮かべて答えた。


「これぐらいの大都市になると、必ず地下世界が存在します。
今から会いに行くのは、そういった地下世界を統括している男の所です。
名前はルカイダと言います。
彼はヤヴァシュにいる泥棒や娼婦、スリや乞食の王なんですよ。
彼らを統治することで、安定した利益があがるそうです。
同士討ちや場所荒らしを防げますからね。合理的じゃありませんか」


「本気で言ってるのか、お前?
そんな者を野放しにしておいたら、罪人が増える一方だろう」


 憮然とした表情でラシールが言うと、アシュランは軽やかな笑い声を上げた。


「それを言うなら、国を動かす権力者の方がよっぽど狡猾で堕落した罪人ですよ」


 その言葉にラシールは呆れたようにアシュランを見た。


「それをお前が言うのか?」


「わたしは堕落しきってますからね。常に自覚することが必要なんです」


 石畳で舗装された細い迷路のような街路を何度も曲がり、最後には樽や荷馬車が詰め込まれたような袋小路に行き当たった。
その突き当たりには汚れきった布きれのような服を着た乞食が座り込んでおり、胡散臭そうに二人を見上げてきた。


「ルカイダに会わせてください」


 アシュランは前置きもなく、その男に要求を突きつけた。
乞食は黄色く濁った目でアシュランを見上げ、ぺっと唾を吐き出した。


「そんな奴はいねえよ」


 するとアシュランは厳しい声を出した。


「彼を知ってるわけですね。
わたしはあなたと問答をするつもりはないんですよ。
わたしが訪問することは、前から知らせてあります。
わたしを通さなければ、あなたの胴体は首を失うことになりますよ」


 アシュランの高飛車な言葉に、乞食は眉をひそめて骨張った手で胸元を掻いた。


「あんたがルカイダの知り合いだって証拠を見せてもらおうか」


 アシュランは奴隷の証である銀の首輪を外し、それを乞食に渡した。


「裏の名前を見なさい」


 乞食は首輪の裏に掘られている名前を見ると驚愕したように目を見開き、その名前とアシュランの顔を交互に見比べた。


「判った。あんたをルカイダの所に連れていく」


 乞食は呻くように言い、立ち上がって首輪をアシュランに渡した。
そしておもむろに壁際に積み上げてあった樽を移動させはじめた。


 しばらくすると、樽の後ろに木製の小さな扉が現れた。
腰を屈めてようやく通れるぐらいの扉であったが、不釣り合いなほど大きな錠が施されていた。


「ついてこい。この階段を下りると、ルカイダに会える」


 ルカイダはまだ四十代ぐらいの太った男だった。
鼻に大きな傷のある男は、寝椅子に深く腰掛け、人の良さそうな笑顔を浮かべて二人を応対した。
しかしその目は鋭く、冷酷にすら見えた。


「あの月神の化身に会いたいだって?
あの塔に入るのは至難の技だぜ。
内部には飢えた犬が放されてるって話だしな」


「飢えた犬?」


 ラシールが訝しげに問い返すと、ルカイダは大声で笑った。


「そう、厳重に幽閉されているんだ。
あの塔は、もともとキシュラ神に捧げる生け贄を閉じこめておいた塔だそうだ。
あの塔に外から入る扉はない。
ただ、神殿とあの塔は地下でつながっているから、入るとすればそこからだな」


「どうしてそこまでする必要があるんです?
シールウェ殿下は大公家の一員でしょう?
本来なら『月宮殿』で優雅な暮らしをしているはずですよ。
それがまるで囚人のような扱いを受けているところが解せませんね」


 アシュランが眉をひそめて首を傾げると、ルカイダはにやにやと微笑を浮かべた。


「聡いお前さんのこった。もうその答えを見つけたんじゃないのかい?」


 ルカイダの言葉に、アシュランは片眉をつり上げて見せた。

「情報が少なすぎます。あなたが出し惜しみするのなら、容赦しませんよ」


「綺麗な顔をして、怖いことを言うねえ。
まあ、心配するな。
お前さんのご主人様の名にかけて、教えてやれることは教えてやるよ。
あいつに逆らって得したことがないからな。
だが、おれの仕事に口出しはするな。
おれの邪魔をするやつは、みんなヤヴァシュの地下水道でネズミに食われることになっている」


冗談めいた口調とは裏腹に、ルカイダの目は残忍で冷たい光を放っていた。


「あの人はあなたの縄張りには興味ありませんよ」


 アシュランはにこりと微笑むと、厳しい表情をしているラシールに顔を向けた。


「何かお聞きになりたいことはありますか?」


「カルシア大公ヴァラームの後継者は、ルシャリーン姫に間違いはないのか?
他にも子がいるという可能性は?」


 ラシールは淡々とした口調でルカイダにたずねた。
 ルカイダは目の前に立つ見事な美丈夫を見つめ、そして微かに目を細めた。


「ああ。世継ぎはルシャリーン姫に間違いない。
かの姫と結婚する男が次期大公となるだろう。
ヴァラーム公の直系はルシャリーン姫、そして恐らくシールウェだけだ。
だが、大公はルシャリーン姫だけを自分の子として認めている」


「シールウェは公には認められていないということか。
なぜシールウェは神殿で生きることになった?
双子が不吉だから、追放されたのか?」


 腕を組み、盗賊の長を恐れる様子もなく見返すラシールに、ルカイダは興味深そうな視線を向けていた。


「大公家に伝わる伝説があるそうだ。
ニミラーン王国のように、双子が生まれると国が滅びると信じられている。
だから、双子の一人は、存在を抹消されてきたんだ」


「では、シールウェを拉致しても、文句を言う者はいないな」


 にやりと笑ったラシールに、ルカイダは呆気にとられたように言った。


「お前さん、あのキシュラの化身を誘拐する気か?
そんなことをしてどうする?
それに、大公は無関係を決め込むだろうが、大神官はそうはいかないぜ。
かなりシールウェにいれこんでるようだからな」


「シールウェ様が月神の化身であるから、大神殿は潤っている。
そう簡単に手放すはずはないということですか?」


 ルカイダは重々しく頷いた。


 ところが、ルカイダはアシュランを見て笑うと、ラシールの方に向き直って告げた。


「おもしろいから手伝ってやる。
腕の良い盗賊がいるから、紹介してやろう。
奴は何度も神殿に忍び込んで、膨大な宝石を盗んできている。
シールウェ殿下の部屋ともなれば、喜んで協力するだろう」


「何が望みだ?」


 ラシールが冷淡な口調でたずねた。
 ルカイダは椅子に座り直し、ぎろりとした鋭い両目でラシールを見上げた。


「なあ、戦が近づいている。
ダルヴァート帝国はカルシアを併合するつもりらしい。
大公が皇帝に従わなければ、獅子帝の軍はこのヤヴァシュを破壊するだろう。
ヤヴァシュはいい町だ。官僚はぼんやりしているし、貴族や神官たちは堕落しきっている。
でも町には活気があって、俺たちの仕事はしやすい」


 ルカイダはそこで言葉をきり、アシュランに片目をつぶって見せた。


「こんなヤヴァシュに、おれは愛着がある。
ダルヴァート帝国に従属するかどうかは、どうせ大公たち上層部の人間が決めるこった。
おれの望みは、このヤヴァシュが破壊されないことだ。
それをお前さんたちは皇帝に伝えてくれ」


「伝えたところで、聞き入れてもらえるかは分からんぞ」


 ラシールが困惑したような口調で言うと、ルカイダは大声で笑った。


「無茶な破壊をしなければいい。
おれたちの商売に支障がなければな。
それが交換条件だ。
どうする? 案内人がいなければ、塔の中にはまず入れないぞ」


 ラシールはしばらくルカイダの顔を見下ろしていたが、やがて頷いた。


「いいだろう。その言葉、確かに皇帝に伝えよう」


「契約は成立だな。偉大なるキシュラに栄光あれ」


 ルカイダはぺっと右手に唾をはきかけ、その手をラシールに差し出した。


「偉大なるキシュラに栄光あれ」


 ラシールも、ルカイダと同じようにして右手を差し出し、二人は固く握手をした。



 帰り際、ラシールとアシュランが来た時と同じ扉から出ようとすると、背後からルカイダが陽気な声で叫んだ。


「そうだ、ついでに皇帝に伝えてくれ。
もしヤヴァシュが崩壊したら、腕の良い暗殺者の全てが、あんたの命を狙うようになるってね」