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BloodyDoll


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 大理石の貼られた床の上に、血のように赤い絨毯の道が続く。

 足音を吸収し、消し去ってしまう廊下を先導するように歩いていたジェイラス・ローウェルが、不意にビジネスの話題を打ちきって振り返った。

「──カイル、この屋敷はアルラウドがメインで使っているが、ここの警備体制は万全だ。
 先月だけで3回もヒットマンに狙われた君を招くには相応しい館だろう。
 不自由があるようなら、遠慮なく執事に言ってくれたまえ」

 世界有数の大財閥ローウェルの次期総帥となるジェイラスの言葉に、鷲塚海琉は唇に皮肉げな表情を形作った。

「俺の命を狙っている奴の検討はついているが、わざわざアメリカまでヒットマンを送ってくるかどうかは謎だな。
 それも恐るべきローウェルの館に──喧嘩を売っても、勝ち目はない」

「リーダーたる者は油断をしてはならないのだよ、カイル。
 ──それが何時、どこであろうとも」

 濃いブラウンの髪と瞳を持ったジェイラスは、いつもは穏和にさえ見える秀麗な顔から微笑を消し、鋭く鷲塚の鋼の瞳を見返した。

 ──ローウェルの玉座を次ぐ者に相応しい、厳格で老成した支配者の容貌。
 帝王と呼ばれるサイラス・ローウェルの長子であり、後継者となるべく育てられた男の顔には、まさしく帝王の血が色濃く受け継がれていた。

 27歳という若さでは考えられないほどの威厳と風格を備え、グループ内でその名に恥じないほどの統率力を発揮しているジェイラスは、しかし異母弟のアルラウド・ローウェルの話題になった途端、年相応の表情を浮かべた。

「君にアルを紹介しようと思ったのだが、どうやらまた温室に逃げ込んでいるようだな。
 あいつはどうしようもないほど気まぐれだが、父と私の泣き所でね。
 20歳も年の離れた弟なんて、ほとんど息子のようなものなんだが、あの父にとっても溺愛の対象なのだよ。
 父や私が甘やかしたものだから、ずいぶんと我が儘に育ってしまった」

 仕方がないと言いたげに苦笑を浮かべたジェイラスは、ほとんど表情を変えず、冷たい大理石の彫像のように秀麗な鷲塚の顔を見やり、軽くウィンクを送った。

「君に無礼を言う事もあるだろうが、どうか子供の戯言だと思って聞き流してくれ。
 ──もっとも、本当に子供だと思ってしまうと、痛い目をみるのだが」


 眩い陽光に満たされた温室に入った途端、むせかえるほどの薔薇の香りが鷲塚の身体を包み込んだ。

 そして目を射る鮮烈な深紅の花。
 血を思わせる花弁の連なりが、温室全体にあたかも波のように広がっていた。

「この温室は、もともとアルラウドの母親が造らせたものなんだ。
 彼女はイングランドのドーンデイル伯爵家から父に嫁いだのだが、明らかな政略結婚を嫌い、今は実家に戻っている」

 濃厚な薔薇の芳香に一瞬の目眩を感じ、鷲塚は鋼の双眸を閉ざした。

 その時、花壇の奥から微かなすすり泣くような声が聞こえてきた。
 長く尾を引く震える喘ぎに、くすくすと楽しげに笑う声が重なる。

 薔薇の茂みを抜けると、そこに青く澄んだプールと大理石の噴水が現れた。

 最初に見えたのはプールサイドにイーゼルを立てた若い男の姿だった。
 彼はキャンバスに丹念に筆を走らせている。

 そして画家の視線の先には、籐製のカウチに座った全裸の黒人の姿があった。
 筋肉で造形されたような逞しい男は、膝の上に儚いほどに白く華奢な青年を抱き、その膝裏を押さえてしなやかな下肢を高く掲げさせている。
 そして、下方から猛々しい欲望を、白々と輝く双丘の狭間に突き立てていた。

 ギシギシとカウチが軋みを上げ、その音と重なるように白皙の美貌を持った青年の唇からあられもない嬌声が上がった。

「ああっ…はっ……あっ──もう…もう……ゆるして──っ」

 大きく身悶えた青年は、後頭部を黒人の肩口に押しつけ、くっと細い顎を反らした。
 耐えきれないほどの快感を感じ、極みに達しながらも、露わになった男の証を銀色のリングで封じられ、身の内に渦巻く欲情を解き放つことが許されない。

 後ろ手に縛られ、封印を解くことが叶わぬまま、美貌の青年はその苦悶から逃れようと、容赦なく己を穿つ牡の楔に肉体を擦りつけていた。

 淫らな舞踏を眺めながら、密やかに笑い合う声がある。

「──やっぱり、サテュロスに犯させようか。
 美女と野獣……というより天使と悪魔だね」

 驚くほど幼い響きを持つ残忍な声が上がり、パシャンと水の撥ねる音が聞こえた。

「君は残酷だな、アル。
 そろそろ私の可愛い奴隷を解放してやってくれないか」

「まだダメだよ……フェビアンが全てを写し取るまではね」

 くすくすと笑ったアルラウド・ローウェルは、背後に現れた兄のジェイラスと鷲塚の姿を認めると、鮮やかな紺碧な瞳を笑みの形に細めた。

 プールサイドに腰掛け、両足を水の中に浸していた美しい少年は、険しい表情を浮かべたジェイラスの顔を見ても狼狽えることなく、無邪気な微笑みを浮かべた。

「──ジェイル……珍しいね、帰ってきたんだ」

「アルラウド、ここで何をやっている?」

「見ての通り、絵を描いてもらっているところだよ。
 フェビアンは新進気鋭の若手画家で、僕が彼の絵を気に入ったら、援助するという約束をしたんだ」

 悪びれもせずに答えたアルラウドは、癖のある黄金の巻き毛を片手で梳き上げると、ほっそりとした喉を反らして軽やかに笑った。

 まだ7歳という幼さにしては異常なほどに大人びて、早熟なアルラウドは、教会に捧げられた天使の彫像のように可憐な美貌を持ちながらも、すでに瞳の中に高慢な支配者の光を宿していた。

 温室に射し込む陽光によって黄蜜色の髪は燦と輝き、鮮やかな南洋の海を凝縮したかのような瞳はサファイアよりもなお青い。

 同じ父親の血を引きながらも、アルラウドは兄のジェイラスとは全く似ていなかった。
 恐らく、高貴な美貌を持つ母親の血を色濃く受け継いだのだろう。

 無邪気に笑うアルラウドを問いつめることを諦めたのか、ジェイラスは弟の傍近くに置かれた籐のカウチに座っていた中年の紳士に視線を向けた。

 灰色がかった黒髪と、黒に近いブラウンの瞳、口髭を綺麗に整えた男は、ジェイラスの顔を見返すとおどけたように両手を広げてみせた。

「怒らないでくれ、ジェイル。
 新しく飼い始めたペットを見せに来ただけだったのだ」

 端正な容貌をしながらも、どこか崩れた感じのある頽廃的な雰囲気の男に、ジェイラスは蔑むように冷淡な一瞥を与えた。

「──エドワード・ローウェル。今後、アルラウドに近づかないでもらおう。
 明日中にこの屋敷から出ていきたまえ」

 従兄に当たる血族の名を呼び、尊大な口調で命令したジェイラスは、途端に不服そうな表情を浮かべた幼い弟を厳しく睨み下ろした。

「エディの新しいペットが綺麗だったから、絵にしていただけじゃないか。
 それに、彼は僕の客であって、ジェイルのじゃない」

 温室の薔薇と同じほどに紅い唇を尖らせ、アルラウドは窺うように鷲塚を見上げた。
 その瞬間、不意に紺碧の瞳が驚愕したように見開かれ、続いて興味を引かれたというように碧眼が細くなった。

「アルラウド、この屋敷の権限はまだ私にある。
 私が望まない客を泊めることは許さない。
 ──今すぐに追い出さないだけでも、ありがたいと思うのだな」

 最後の言葉はエドワード・ローウェルに向けられたものだったが、ジェイラスの視線はその後若い画家と、絡み合っている二人のモデルに注がれた。

「──あれも、おまえの客なのか、アル?」

 新たなる人目を気にせずに情事を続け、歓を極めた黒と白の美獣を厭わしげに見つめたジェイラスは、呆れ果てたと言わんばかりに訊ねた。

「あっちの黒人はフェビアンのモデルだよ。
 僕が頼んで連れてきてもらったから、後で報酬を上げないとね。
 抱かれている方はエディが最近拾ったペットで、名前はシリル」

 水辺から優雅に立ち上がったアルラウドは、もはや全てに興味を失ったというように両手を天に突き上げて大きく背伸びをすると、瞳を煌めかせて鷲塚の正面に立った。

「──それより、こっちの人を紹介してよ、ジェイル。
 兄さんがこの屋敷に人を招くなんて、本当に珍しいじゃないか」

 長身の鷲塚を大きく仰いだアルラウドは、薔薇色の唇を美しくつり上げた。

 ジェイラスは濃いブラウンの瞳で弟を見下ろすと、軽く嘆息し、戦くような瞳で自分を見つめている若い画家を顎で示した。

「紹介は後だ、アル。それより、さっさとこの場を片づけてしまいなさい」

「……仕方がないなあ」

 華奢な肩を優美な動作ですくめて見せたアルラウドは、小首を傾げて悪戯っぽく笑いながら鷲塚に片目を瞑って見せた。

「ジェイルは堅物だからつまんないだろう?
 滞在中は、僕が楽しませてあげるよ──いろいろとね」