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Short Story


2.3時のおかず?



 荒神会の総長・荒神勳の自宅は、都内から少し離れた鎌倉の閑静な山の麓にあった。

 組織を運営し、指揮するの若頭である鷲塚の役目であったが、月に2度、報告と顔見せを兼ねて、鷲塚は鎌倉の屋敷を訪れる。

 共に暮らし初めた最初の頃こそ都内のマンションに残っていた零だったが、正月に主だった幹部の前でのお披露目を済ませた後からは、鷲塚と一緒に鎌倉を訪れることも多くなった。

 しかしさすがに話の内容までは聞くことを許されず、鷲塚が仕事を終えるまでの間、零はしばしば応接間で待たされていた。

 薫がいれば楽しいお喋りに花が咲くのだが、産婦人科医として多忙な薫は不在の事も多い。

 お茶を持ってきた若い部屋住みの青年に声を掛けたのも、待ち時間の間、退屈を紛らわそうと思ったことがきっかけだった。

(──高校野球の選手みたい)

 がちがちに緊張している坊主頭の青年を見た時、零はそんな感想を抱いた。

 志郎という名の青年は、年齢を聞いてみると零と同い年で、数ヶ月前に荒神会に入門したばかりということだった。

 何度か訪問を繰り返しているうちに、志郎青年は礼儀正しさを保ちながらも、少しずつ零に打ち解けはじめた。

 部屋住みの組員は、兄貴分から命じられるあらゆる雑用をこなし、掃除や洗濯、炊事までもしなければならないと聞いた時、零は感心して呟いていた。

「凄いですねえ。海琉は、家事なんてしたことがないって言ってましたけど……」

「──そ、それは、若頭は特別な方ですから!」

 荒神会の中でも下っ端にすぎない自分と、頂点に近い鷲塚とでは格が違いすぎる。

 まさに雲上人である鷲塚の事を、いたってのほほんと語る零の笑顔を見てしまった志郎は、内心で激しい焦りを感じていた。

 にこりと微笑んだ零は、ふと興味を引かれたように志郎に提案した。

「あのね、志郎さん。このお屋敷のお台所を、一度見せてもらえませんか?」

「──え?」

「ほんのちょっとだけ。お邪魔になるようだったら、すぐに戻りますから」

「じゃ、邪魔だなんてと、とんでもない! 
 ただ、男ばかりのむさ苦しい場所なので──零さんにお見せできるほどのものでは……」

 しかし並々ならぬ零の熱意に負けた志郎は、結局、厨房に案内することになったのだった。

 そして、束の間の休憩でくつろいでいた男たちの、異様な奇声に迎えられることとなった。



「こんにちわ〜、お久しぶりです」

 鷲塚に連れられ、ほぼ一ヶ月ぶりに荒神邸を訪れた零は、応接間に一人で取り残されると、そのまま長い廊下を歩いて厨房に顔を出した。

「れ、零さん! お久しぶりです。今、お茶を用意しますね」

「あ、お気遣いなく。すみません、いっつもお邪魔しちゃって」

 ここのところ、薫がいない日が続いていたため、零はいつも厨房で若い部屋住みの組員と言葉を交わしていた。

 話題はいつも料理のこと──どこそこ産の牛肉が美味しいとか、あちらの日本酒を入れると味が引き立つとか、味付けはああして、こうして……など。

 他にも掃除や洗濯の仕方で意見を求められることもあった。

 ほとんど同じ年頃の若者が多いため、一旦仲良くなってしまうと、共通の会話ということもあって時間を忘れるほどに盛り上がった。

「おーい、志郎、アイス残ってねえの? 腹減っちゃった、俺」

「えーと、確かまだ残ってたよなあ」

 時計の針が三時を指した頃、厨房に入ってきた青年が言った。

 零が挨拶をすると、茫然とした後、慌てて頭を下げる。

 巨大な冷凍庫をのぞいていた志郎は、チョコレートアイスの入った箱を持ってくると、にこにこしている零に差し出した。

「こんなもので良ければ、零さんもいかがですか?」

「でも、皆さんのおやつなんでしょう? 足りなくなっちゃいませんか?」

「いえ、アイスならいっつも買い置きしてありますので。
 それに、零さんが作ってきてくれたクッキーもありますし」

 「いっつも」という部分を強調した志郎は、「じゃあ、いただきます」と微笑んだ零を見て、思わず頬を赤らめていた。

 零が棒付きアイスの封を切り、チョコレートアイスを口に含むと、どこからともなくゴクリと息を呑む音が聞こえてくる。

 その後、アイスを食べながら楽しいお喋りを続けていた零だったが、食べ終わった頃に壁時計を見上げ、椅子から立ち上がった。

「ごちそうさまでした──また、遊びに来ますね。お邪魔しました」

 そろそろ鷲塚が戻ってくる頃だと思い、応接間に向かい始めた零は、慌ただしい足音と、椅子を蹴倒すような騒々しい音を聞き、不思議に思って背後を振り返った。

「や、やべえ、想像しちゃった!」

 雄叫びのような声と、「俺が先だ!」と言い争うような声もまた聞こえてくる。

 何だろうと怪訝に思いながらも、零は原因が自分にあるとは思いもしなかった。



 それから後、荒神邸の厨房に出入りし始めた零は、三時になると決まっておやつを御馳走になることになった。

 しかも、何故か棒付きアイスが定番になりつつある。

 彼らはアイスがもの凄く好きらしいと納得した零は、志郎に勧められるがまま、様々なアイスバーを口にしていた。

 しかし、気のせいなのかもしれなかったが、厨房にいる組員の数が少しずつ増えてきたような気がする。

(みんな、お料理するの好きなんだ。
 ひょっとして、何も作れないのは海琉だけなのかなあ)

 男たちの視線が、アイスバーを銜える自分の唇に集中していることに全く気づかず、零はとんちんかんな事を考えていた。

(やっぱり、今の時代、男の人も家事ができなきゃいけないって、薫さんも言ってたもんねえ)

 今日のおかずは肉じゃがだと言っていた志郎の言葉を思い出し、零はしみじみと思った。

「零さん、よければ、もう一本──」

 いつの間にか厨房はしんと静まり返っていたが、それに気づかなかった零はきょとんと志郎を見返し、首を横に振った。

「一本で十分ですよ、志郎さん。
 そろそろ海琉が戻ってくる頃だし、これ以上食べたら、お腹が冷えちゃいそうだから」

 定刻になり、厨房を後にした零は、またいつものように男たちの騒ぐ声を聞いていた。

「もー、我慢できん。どけ、俺が先だ!」

「でかした、志郎! 今度はもっとぶっといヤツを用意しろ」

「バナナか、フランクフルトでもいいんじゃねえか?」

「うおお〜っ、俺にもリップサービスしてくれ〜!」

「兄貴〜、お願いですから、早く済ませてくださいよ〜」

 いつもながら何の騒ぎだろうと思いつつ、「まあ、いいか」と思い直した零は、鷲塚を待つために応接間へと戻っていった。



 その日、いつものように厨房に顔を出した零は、普段は見かけない中堅どころの兄貴分や幹部の姿まであることに驚いていた。

 普通の家庭の台所よりは遙かに広いが、それでも大の男が大勢集まると、荒神邸の厨房ですら狭苦しく思えてしまう。

「……あの、お邪魔みたいだから、今日は応接間で待ってますね」

 零が困惑したように告げると、志郎が大きく首を横に振った。

「いえ! 兄貴たちが、零さんに美味しいカレーの作り方を教えてほしいそうなんです」

 志郎がそう言うと、勢揃いした男たちが一斉に頭を下げた。

「──よろしくお願いします!」

「は…はい、カレーの作り方ですね」

 何故こんな事になったのだろうと思いつつ、頼まれたら嫌とは言えない性格の零は、一生懸命メモを取っている男たちの前で、カレーの作り方を講義する羽目になった。

 そして三時が近づき、異様な期待に満ちている男たちの注目を浴びながら、志郎が冷凍庫へと近づいた。

 恭しいほどの手つきでドアを開けた志郎は、しかし、目的のものが見つからず、思わず首を傾げていた。

「──あれ、買い置きしてあったアイス、どこにいった?」

 がさごそと奥の方まで探してみても、最近新発売になったチョコレートアイスの姿は、影も形も見当たらない。

「おい、志郎、どうした?」

「おかしいんですよね、昨日買ったばかりのアイス、どこに行ったんだろう」

「なんだと! てめえ、無いってぇのは、どういうことだ!」

 中堅の一人が立ち上がり、怒り狂ったような様子で志郎の頭を拳で殴った。

「──す、すみません、兄貴! でも、変だな、確かこの辺に……」

 首をすくめながら、冷凍庫を探している志郎を見て、零は慌てたように言った。

「あ……あの、私の事なら気にしないで下さいね」

 その途端、強面の組員は零に向かって愛想笑いをし、志郎の頭を小突いた。

「おい、何か代用品はねえのかよ?」

「はあ……確か──バナナならあったような」

「よし、それだっ! 取ってこい!」

 ひそひそと交わされる会話は、幸か不幸か零には届かなかった。

「どうぞ、零さん! こんなもので申し訳有りませんが、三時のおやつです!」

 差し出された立派なバナナを見つめ、零は戸惑ったようにかぶりを振った。

「え、でも……本当にお気遣いなく」

「いいえ、遠慮しないでください、零さん! 俺たちの気持ちですから!!」

 さすがに中堅ともなると、志郎とは比べものにならないほど押しが強い。

 逃げ腰になっていた零は、強引にバナナを手渡されてしまい、仕方なく皮を剥きはじめた。

 自分を見つめる組員たちの目が、期待に満ちているような気がするのは気のせいだろうか。

(──熱心にすすめるってことは、もの凄く美味しいのかな、このバナナ)

 そこまで勧められると食べないわけにもいかず、零は注目にさらされて緊張しながら、皮を剥いた先端を銜え、白い歯を立てた。

 その途端、「イテッ」という奇妙な声がどこからともなく上がり、横にいた男に叩かれる。

 もぐもぐと咀嚼し、呑み込んだ零に、目を輝かせた男が訊ねた。

「零さん──お味の方は?」

「え? ええ、とても美味しいですよ。大きいし、食べ応えはありますよね」

 こんなに見つめられていては、本当に美味しいのかどうかも判らない。

 それでも一応、零が感想を述べると、息を呑んで見守っていた男たちがどよめいた。

「おお〜、やっぱ大きい方がうまいってよ」

「くうぅ〜、たまんねえ──どけ、便所に行って来る」

 興奮している男たちを押しのけて、腰を屈めた男が慌ただしく厨房から飛び出してゆく。

 それぞれに盛り上がっている男たちを見つめ、内心で首を傾げながら、零は残りのバナナを口にしていた。

 その時、がらっと大きな音を立てて扉が開き、厳しい表情をした鷲塚が姿を現した。

「零──おまえ、こんな所で何をしている?」

 バナナを頬張ったまま振り返った零は、鷲塚がすっと鋼の双眸を眇めたのを見て、慌てて口に残っていたものを呑み込んだ。

「えっと……カレーの作り方の講習会──かな?」

「カレーだと?」

「うん。みんな、美味しいカレーの作り方が知りたいんだって」

 先ほどまでの騒ぎが嘘のように静まり返った男たちは、一様に表情を凍らせたまま、突然現れた鷲塚を茫然と見つめていた。

 荒神会の若頭が、まさかこのような場所に現れるとは、誰も予想をしていなかった。

 冷ややかに一同を睨み渡した鷲塚は、零が片手に持っているバナナに視線を向け、軽く片眉をつり上げた。

「──で、そのバナナは、カレーとどういう関係があるんだ?」

「これはね……ええと、3時のおやつだよ。
 凄く美味しいんだって──海琉も食べる?」

 零の言葉を聞き、鷲塚のこめかみがぴくりと引きつった。

「……ここは、いつから3時のおやつを食べる習慣ができたんだ?」

 地底から湧き起こるような恐ろしい低音を聞き、集っていた男たちの額からダラダラと冷や汗が流れ始めた。

 このまま何事もなく、鷲塚が零を連れ帰ってくれればいいと、誰もが神に祈った時、廊下の向こうから明るい声が響いてきた。

「いやあ、ほんっとにサイコー。
 太いのがお好きなら、俺のもどうぞって感じ」

「昼間っから気持ちよく抜かせてもらって、ごちそうさまを言わねえとな。
 3時のおやつならぬ、3時のおかずってことで……」

 先ほどトイレに駆け込んだ2人が、妙にすっきりしたような声で話し合っている。

 それを聞いた男たちは、内心で彼らを口汚く罵りながらも、声に出すことはできなかった。

 蒸し暑いほどだった厨房が、どんどん冷ややかに凍え、冷凍庫の中に閉じこめられてしまったような気分に陥ってくる。

 一切の表情を消し、冷酷非情な鋼の双眸で縮こまっている男たちを睨んでいた鷲塚は、大きなバナナを食べ終え、「ごちそうさまでした」と両手を合わせた零の腕をつかんだ。

「来い、零──帰るぞ」

「あれ? 今日は泊まっていくって、言ってなかった?」

 何がそれほど鷲塚を怒らせているのか判らないまま、零は引きずられるようにして車に乗せられていた。

 荒々しくドアが閉まり、思わず首をすくめていた零は、次の瞬間強引にうなじを引き寄せられ、荒々しく貪るような口づけを受けていた。

「──太いのが好きなんだろう、おまえは?」

 何が起こっているのか判らず、目を白黒させている零の耳元で、鷲塚が唸るように言った。

「──え? ……ええっ? ええーっ!? 何言ってるの、海琉?」

「帰ったら、嫌っていうほど銜え込ませてやる」

 恐ろしく獰猛な声音でそう宣告した鷲塚は、乱暴なほど強くアクセルを踏み込んでいた。

 
 その後、しばらくの間荒神本家の屋敷では、零の姿をみかけることは無かったという。


 そして──志郎が買い置きしてあったアイスクリームはどこに行ったかと言うと……。

 深夜、仕事帰りで非常にお腹を空かせていた薫お嬢様が、箱ごと私室に持ち込み、テレビを見ながら食べ尽くしてしまったということを、知っている者は誰もいなかった。



─ The End ─