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Short Story


3.お宝写真



 朝から眩しいほどによく晴れた日曜日、仕事中毒人間である鷲塚が、珍しく外出もせずに家にいた。

 ヤクザの若頭でもあり、大企業のトップでもある鷲塚は、それこそいつ休む暇があるのかと疑いたくなるほど多忙な日々を送っている。

 以前はホテル暮らしや外食することも多かったらしいが、零と暮らし初めてからというもの、出張以外で家を空ける以外は、きちんとマンションに帰ってくる日々を送っていた。

「そりゃ〜ね、家に帰ったら美味しいご飯ができていて、お風呂の用意もできていて、『おかえりなさい』のキスをしてくれる優しくて可愛い奥さんがいるんだから、ホテルに泊まるより全然居心地良いに決まってるじゃない。
 忙しくしてるとね〜、そういう生活に憧れるのよ、きっと。
 昔は絶対に独身貴族のままかと思ってたけど、この様子を見てると、良いマイホームパパになりそうよね──ちょっと意外だったけど」

 そう言って笑ったのは、鷲塚の元婚約者である薫である。

「……でも、いいのかなあ、こんな生活してて。
 ご飯作って、掃除して、洗濯して──私、それだけしかやってないんですよね。
 食事の量だって2人分でいいし、大人2人の生活だからそんなに部屋も汚れないでしょ?
 洗濯だって海琉のはほとんどスーツだからクリーニングに出しちゃうし、私の分なんて大した事ないし。
 空いた時間は好きな事してていいって言われてるんだけど……」

 零が困ったように呟くと、薫は驚いたように片眉を上げた。

「零ちゃん──もしかして、専業主婦生活が嫌になっちゃったの?」

「ち、違います! そうじゃなくて、私だけこんなに贅沢な生活してていいのかなあって、時々思っちゃうんですよね。
 海琉はあんなに忙しく働いているのに、私はここでのんびり暮らしてるでしょう?
 何か役に立ちないな〜って思うんだけど、私、何もできないし」

「なるほど……零ちゃんは海琉の役に立ちたいんだ、えらい、えらい。
 でも、とりあえずは今のままで別にいいんじゃない?
 海琉が外で気持ちよく働けるのは、零ちゃんのおかげだし。
 『内助の功』って言うじゃない?
 最近は共働き夫婦も多いから、あんまり聞かなくなった言葉だけど」

 零がいれたコーヒーを飲みながら、薫は神妙な顔でうなずいた。

 燦々と光が差し込む広大なリビングルームで、ただ今、零と薫はのんびりティータイムである。

 鷲塚は、何か仕事絡みの電話に対応するため、書斎の方に引っ込んでしまっていた。

「そういえば、実家の部屋を整理してたらね、すご〜くいいもの見つけちゃったんだ。
 せっかくだから零ちゃんに上げようと思って……」

 ハンドバッグを開けて分厚いシステム手帳を取りだした薫は、その中から一葉の写真を抜き出した。

「じゃーん! さて、これは誰でしょう?」

 差し出された写真を見下ろした零は、思わず首を傾げていた。

 そこに写っていたのは、艶やかな黒髪をショートカットにした美少女だった。
 白いブラウスからのぞく首は透けるほどに白く、折れそうなほどに華奢である。
 何を見ているのか、憂いを帯びた横顔は精緻なビスクドールのように端麗で、睫毛は頬に影を落とすほどに長い。
 唇はルージュを引いたように紅く、幼さと艶めかしさが入り混ざった美貌は、ひどく儚げで危うい雰囲気があった。

「すごーく綺麗な子ですねえ……ひょっとして、薫さんの小さい頃?」

 すると薫は声を立てて明るく笑った。

「残念でした〜、あたしが小さい頃は、色黒の小汚い野生児だったわよ。
 蛇の尻尾つかんで振り回してたらしいから、こんなんじゃありませーん。
 よく見てご覧なさいよ、すぐに判るから」

 くすくすと笑う薫を見返した零は、もう一度その写真に視線を落とした。

 見れば見るほど美しい少女である──薄幸の美少女といってもぴったりな雰囲気がある。

 しかしまじまじと写真に見入っていた零は、少女のけぶるような睫毛に囲まれた双眸を見た時、思わず大きな声を上げていた。

「ひょ、ひょっとして……海琉ですか!?」

「ぴんぽーん、大当たり〜! 生命って不思議よね〜、美少女が野獣に変化しちゃうなんて」

 けらけらと笑う薫の声を耳に入らず、零は思わず息を呑み込んでいた。

「これって、海琉がいくつの時の写真なんです?」

「10歳ぐらいじゃない? あの頃からすでに背は高かったから、大人びて見えるけど」

「10歳! 嘘……16歳ぐらいに見えますけど──つまり、まだ小学生ってこと?」

「そう。海琉君の小学生時代はねえ、苦難の連続だったのよ〜。
 一見、美少女に見えるから、変な男が寄って来ちゃってさあ。
 外見はそれでも、中身は今とあんま変わらないから、そういうヤツは半殺しにしてたわね。
 ある意味、今より怖いわよ──綺麗な顔した美少女が、無表情で、鉄パイプ持って強姦魔を血みどろにしちゃったんだから。
 警察から感謝状が送られて来た時には、親父殿も苦笑いしてたもの」

 さすが、外国産のDNA……恐るべし。

 欧米人の子供は確かに大人びて見えるが、それにしても10歳にしてこの色っぽさは──やはりただ者ではない。

「あの頃の海琉は、ほんとーに可愛かったんだけどねえ。
 その写真撮った時も、照れちゃてうつむいてるけど、そこが何ともいえず可愛いというかさ。
 お母さんが女物のブラウスを着せたくなっちゃうのも、判る気がするわ」

「──女物のブラウス?」

 そう言われてみれば、襟や胸元には宝塚の衣裳のように華やかなフリルがついている。

「お母さんのお願い攻撃に、海琉も断りきれなかったってわけ。
 最終的にはじゃんけんで負けて、強引に写真まで撮られちゃったというわけよ」

「死ぬほど嫌がってたんだけどね」と最後に付け加え、薫はいたって大らかな笑い声を立てた。



 それからしばらくして、勤務先の病院から緊急の呼び出しを受けた薫は、鷲塚と顔を合わせることなく帰っていった。

「──零。薫は?」

「電話がかかってきて、急いで帰っちゃった。
 相変わらず忙しそうだね、薫さんも」

 書斎からリビングに戻ってきた鷲塚に、コーヒーカップを片づけていた零は答えた。

 「ふーん」と気のない返事をしてソファに座った鷲塚は、テレビのリモコンを取り上げると、衛星放送で流れる経済ニュースを見始めた。

 鷲塚のために新しいコーヒーをカップに注いだ零は、それをリビングに運び、ソファ前のローテーブルに置いた。

 そして、彫刻のように整った鷲塚の横顔を、思わずまじまじと見つめてしまう。

(……鼻も高くて、彫りも深くて、すっごく格好いいけど──美少女には見えないよねえ)

 10歳の写真を思い出し、零が思わず首を傾げていると、それに気づいたように鷲塚が急に振り向いた。

「──何だ?」

「……え? あ…何でもない、ちょっと考え事」

 ごまかすように「あはは」と笑った零を見つめ、鷲塚は怪訝そうに片眉をつり上げたが、追求することなくテレビ画面に視線を戻した。

 鷲塚の横に座り、自分のコーヒーを飲みながら、零はもう一度ちらりと鷲塚を眺めた。

 確かに、一度見たら忘れられないほど秀麗な顔立ちであり、さらに印象的な鋼色の双眸と、誰もが圧倒されるような迫力の持ち主であるから、女性だけではなく、男性も見惚れてしまうに違いない。

 しかしあの写真のような、儚く、壊れてしまいそうな印象はまるで無かった。

 どんな攻撃をも弾き返してしまいそうな強靱さ、触れればこちらが斬れそうな鋭利さ、そして射すくめられるほど強い覇気が全身に漲っている。

 現在の鷲塚を、強姦目的で襲おうという命知らずな人間は──多分、いないだろう。

「零──俺の顔に何かついてるのか?」

 自分でも気づかない間に、また鷲塚をじっと凝視していたらしい。

 呆れたような鷲塚の声で我に返った零は、慌てて首を横に振り、そして手に持っていたコーヒーカップをテーブルの上に戻した。

「あのね……海琉の顔って、昔はすっご〜く可愛かったんだな〜って」

 エプロンのポケットに入れてあった写真を取りだした零は、不審げに眉根を寄せている鷲塚にそれを見せた。

 その途端、それこそ滅多に動揺を示さない鷲塚が、ぎょっとしたように鋼の双眸を瞠った。

「おまえ──この写真はどうした?」

 声さえも微かに引きつっているように聞こえる。

「薫さんがくれたの。実家のアルバムを整理してたら出てきたんだって。
 海琉が10歳の頃、こんなに可愛かったなんて、きっとみんな知らないよね。
 新堂さんたちに見せたら、凄くびっくりするだろうなあ」

 もう一度しみじみと写真を見下ろしながら、零がそう言った時、突然、鷲塚の指が伸びてきて、写真を奪い去ってしまった。

「零! おまえ、こんな恥ずかしいモノ、他人に見せる気だったのか?」

「ええ〜っ、可愛いから別にいいでしょ。
 薫さんからせっかく貰ったんだから、返してよ〜」

「いいわけがあるか!
 ……ったく、ネガも全部始末したと思ってたのに、どうしてこんなモノが残ってたんだか──」

 取り返そうと腕を伸ばす零から逃れるように、両腕を上方に伸ばした鷲塚は、腹立たしげに舌打ちをした。

 まさしく過去の汚点──葬り去るべき代物である。

 ソファに座っている零には届かないほどの高みで、鷲塚がその憎むべき写真を二つに引き裂こうとした瞬間、突然、零が驚くほどの大声を上げた。

「あああ〜っ!!」

 思わずドキリとして鷲塚が見下ろすと、セピアの瞳に涙を一杯に溜めて、零が悲しそうな顔をしている。

「海琉……それ、破っちゃうの?」

 うるうると潤んだ瞳で見つめられると、悪いことは絶対にしていないはずの鷲塚の良心が、何故かチクリと痛んだ。

 それでも指先に力を込めようとすると、零が必死で涙を堪えるように双眸を瞬かせた。

「──ネガも無くて、それが最後の一枚なのに?
 私、海琉の小さい頃の事なんて何も知らないから、薫さんからその写真もらえて、すっごく嬉しかったのに……破っちゃうの?」

「おまえ……こんなものが欲しいのか?」

 呆れたように鷲塚が問い返すと、零は素直にこくりとうなずいた。

「だって、その写真に写ってるの、海琉なんでしょう?」

「そうだ」と認めるのは非常に屈辱的ではあったが、一度は認めている以上、いまさら否定するわけにもいかない。

 逡巡する鋼の瞳と、一途に「欲しい」と訴えかけるセピアの瞳がぶつかり──鷲塚は自分自身の「負け」を悟った。

 危うく破かれそうになった写真を受け取った零は、「わ〜い」と子供のように喜んでいる。

「──零、それ……絶対に誰にも見せるなよ」

 どっと疲れが押し寄せてきたような気分を味わいつつ、ソファの肘掛けに頬杖をついた鷲塚が不機嫌な声で言うと、零はにこにこと笑いながらうなずいた。

「うん! 海琉が嫌なら、私だけの宝物にするね。
 ラミネート加工してもらって、部屋のどこかに飾っておこうかな〜」

 鼻歌を歌い出さんばかりに上機嫌な零を見やり、鷲塚は内心で「冗談じゃない」と思った。

 このまま部屋に飾られたりでもしたら、それこそ誰の目に触れるか判らない。

 たとえ明日、自社株が大暴落を起こそうと、この写真が人目にさらされる事に比べたら、その方が何百倍も気楽だと思えた。

 しかしそれを言っても零には通じないかもしれないとも思い直し、鷲塚の訓練された頭脳は急速に回転しはじめた。

 一瞬にして結論に達した鷲塚は、隣で無邪気に喜んでいる零の手首をつかんだ。

 驚いたように見上げてくる零を見返し、鷲塚は唇を薄くつり上げ、しなやかな身体をもう片方の腕で引き寄せた。

「……え? どうかしたの、海琉?」

 急に機嫌が良くなった鷲塚に恐れを感じ、思わず身を引こうとした零は、あっという間に逞しい腕に抱き上げられていた。

「おまえにその写真をやったんだから、俺にもお返しがあっていいはずだな?」

 じたばたともがく零を見下ろし、鷲塚が唇の片端に皮肉げな微笑を刻んだ。

「お返しって……だって、これ薫さんがくれたんだよ」

「写ってるのは俺だろう? つまり、肖像権は俺にある」

 くつくつと笑いながら、鷲塚は零をベッドルームへと運んだ。

 何が起こるのかと怯えている零を、鷲塚は綺麗に整えられたベッドに下ろした。

 そして、クローゼットの最上段の棚から、鷲塚は零を縛り上げる時に時々使っている赤いロープを取りだした。

 ぎょっとしてずりずりと後ずさる零に、鷲塚は甘く、残酷な微笑を向けた。

「おまえを裸に剥いて、これで縛ってから、ゆっくり写真を撮ってやる」

 ぴしりと両手でロープを引っ張った鷲塚を見上げ、零は必死で首を横に振った。

「やだ……いやだ──やめて…海琉……」

「だったら、俺の写真は破いてもいいんだな?
 俺にとっては、同じぐらい恥ずかしい写真なんだが」

 鋼の双眸を細めた鷲塚に、零は驚きに瞠ったセピアの双眸を向け、そしてしばらくしてからもう一度かぶりを振った。

「それも、いや……だって、海琉の写真、欲しいんだもの」

 泣き出しそうになっている零の前に膝をつき、鷲塚はその耳元に唇を寄せて囁きかけた。

「俺も、おまえの恥ずかしい写真が欲しい──零、それが交換条件だぞ。
 おまえが選べ、どちらにするのか……」

 耳朶をかすめる吐息を感じ、顔を羞恥で火照らせながら、零はふるふると身体を震わせた。

 鷲塚の子供時代の写真は欲しいが──どちらも選びたくない……選べない。

 それを承知で訊ねた鷲塚はくすくすと笑いながら、零の顔をそっと両手で包み込むと、唇に優しいキスを落とした。

「──どうする、零?」

 セクシャルな低い声音に惑わされ、零はじわりと涙の浮かんできたセピアの瞳を閉ざし、鷲塚の肩口に顔を埋めた。

「人に……見せたりしない……?」

「おまえが、その写真を誰にも見せなければな」

 獲物が罠に落ちてきた確信に、鷲塚は人の悪い笑みを唇に刻んだ。

「……海琉の…意地悪──」

「意地悪されても、おまえは俺が欲しいんだろう?
 どうする、あの写真、破り捨ててしまってもいいのか?」

 拗ねたように呟く零の柔らかな亜麻色の髪を撫でながら、鷲塚はだめ押しするように言った。

 広い胸に顔をつけたまま、いやいやするように首を小さく振った零は、鷲塚の手が服の中に滑り込んでも抵抗せずに大人しくしていた。

「──縛ってもいいのか?」

 白い肌を絡め取る赤いロープは、妖しく淫らな血のようにも思え、いつも以上に零を妖艶な存在に変える。

 迷った末にこくりとうなずいた零を見下ろし、鷲塚は喜悦の笑みを薄く浮かべた。

「どんな風に縛って欲しい? ──亀甲? それとも襷掛け?
 リクエストがあれば、おまえの好きなように縛ってやるが」

 いきなり上機嫌になり、それこそ鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気の鷲塚を恐る恐る見上げた瞬間、零はあの写真を見せた事を激しく後悔した。

「や、やっぱり……あの写真、薫さんに返そうかな〜」

「返品は不可。往生際が悪いぞ、零──ほら、手を出せ」

 赤いロープを持った鷲塚は、内心でほくそ笑みながら、ベッドから逃げ出そうとしている零を押さえ込んだ。

「やだっ! やっぱり、そんな恥ずかしい写真撮られるのは嫌っ!」

「おまえの可愛い姿を記念に撮っておくだけだろうが──俺の写真と同じだろう」

 手足をばたつかせて必死で暴れる零を、鷲塚は熟練した動きで封じ、くくり上げていく。

「──全然、違う〜っ!」

 ベッドルームに零の必死の叫びが響き渡ったが、助けに入る者はどこにもいなかった。

 そして、その後2人の写真がどうなったのか──それは、やはり2人だけの秘密であった。


 
 休日まで呼び出されて仕事をこなした薫は、星明かりが瞬き始めた空を見上げ、ふうっと煙草の煙を吐き出した。

 首をひねると、肩の辺りでグキっと嫌な音がする。

「あ〜、疲れた。今日はもう、さっさと帰って寝ちゃお〜」

 その時、ふと思い出し、薫は「あ…」と呟いて、唇に手を当てていた。

「しまった……零ちゃんに、あの写真は絶対海琉には見せちゃダメだって言っておくの、すっかり忘れてたわ。
 でも、今から電話しても──もしかしたら遅いかしらねえ」

 ぼりぼりと頭を掻いた薫はしばらく考え込んでいたが、「まあ、いっか」と肩をすくめ、そのまま駐車場に停めてある愛車に向かって歩き始めたのだった。


 ─ The End ─