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TearyDoll


11



「気を付けて行ってきてね。
 最近は、ちょっと駅前の方が危ないって話だから」

「大丈夫だって──咲妃だって、予備校の帰り道、ずっと1人なんでしょう?
 僕の方が、咲妃よりずっと背も高いしね。
 じゃあ、行ってきます」

 不安そうな顔つきで玄関までついてきた母親の顔を振り返り、零はにこりと笑った。

 駅の方へと降りてゆく緩やかな長い坂を歩きながら、零はほとんど高いビルの無い住宅街を見渡した。

 昔から住んでいる人々の家は屋敷というぐらいに大きな住居が多かったが、最近になって建て直された家は、カラフルな洋風のものが多い。

 漆喰で塗られた白壁が続いたかと思えば、突然色鮮やかなガーデニングが施された綺麗な花の生け垣が姿を現す。

 大きな犬が大声で通りすぎてゆく人に吠えかかったり、野良猫が細い路地を悠々と行き来する姿も見られた。

(──何だか、やっぱり落ち着くよね。
 生まれ故郷に帰るって、こういう気分なのかな)

 高校を卒業するまでは見慣れた光景であったのだが、2年間ほど東京暮らしをした後で見てみると、切ないほどに懐かしい気分になった。

 咲妃とよく遊んでいた公園の前で立ち止まった零は、誰も遊んでいない砂場を見つめ、その前にあるブランコに視線を向けた。

 夜になるとさすがに子供の姿は見られないが、昼間はいつも近所の子供達で賑わっている。

 砂場やブランコ、象の形をしたすべり台──それぞれに楽しい思い出があった。

(いつもここで、咲妃と遊んでたな……かくれんぼしたり、鬼ごっこしたり──)

 「お兄ちゃん、お兄ちゃん」といつも慕ってくれていた幼い妹の姿を思い出し、ふっと淡い微笑みを浮かべた零は、煌々と冴えた光を放っている月を見上げた。

 最近、咲妃に避けられてしまっていると感じるせいか、幼い頃の記憶がひどく懐かしかった。

 閑静な住宅街を通り過ぎ、幹線道路に沿って駅前にたどり着いた零は、コンビニエンスストアで目的の牛乳を買った。

 そのまま来た道を戻ろうとも思ったのだが、雑然と賑わう駅前の雰囲気を見ていると、不思議なほど心が騒ぎだす。

 派手なネオンの看板が掲げられた雑居ビルや、たむろする高校生、仕事帰りのサラリーマンの姿は、零が働いていた「クリスタル・ローズ」周辺の町並みを彷彿とさせた。

 規模は小さいが、ここには都会の縮図がある。

 天を突くほどの巨大なビルはないが、それでも零の脳裏には、鷲塚のマンションから見下ろした東京の夜景が鮮明に浮かび上がった。

(……ここはとても懐かしくて、大切な場所なのに──こんなにも私は東京に帰りたいって、海琉に会いたいって思ってる。
 咲妃には言えなかったけど……もう、帰ろうかな)

 自分から妹に説明しようと思っていたのだが、声をかけるのを躊躇ってしまうような壁が咲妃に感じられるため、零は言い出すことができないでいた。

 小さくため息をついた零は、とぼとぼとした足取りで歩き始めた。

 しかし突然、背後から聞き慣れた明るい笑い声が響いてくる。

 はっと顔を上げて振り返った零は、ちょうど予備校から帰ってくるところであった妹を見つけると、思わず嬉しくなって声をかけていた。

「咲妃! ちょうど良かった、一緒に帰ろう」

 零が片手を振ると、咲妃は驚いたように立ち止まり、傍らを歩いていた安斉の顔を見上た。

「──お兄ちゃん、どうしたの、こんな所で?」

 何故か困惑したように声をかけてきた咲妃の問いに、零は牛乳パックの入った袋を見せた。

「牛乳が無くなってたから、買いに来てたんだ。
 咲妃が勉強する時、必要なんでしょ?」

 ふわりと優しく微笑んだ零は、咲妃の横に立っていた男子高生の顔を見上げた。

 彼は、かつて零が着ていたものと変わらぬデザインの制服を身につけていたが、街灯しかない薄暗がりでさえ、その整った容貌が見て取れた。

 180センチは越えているだろう長身の少年は、不躾なほどに零の顔をじっと見つめている。

「……お兄ちゃんがわざわざ買いに来なくても良かったのに。
 携帯に電話してくれれば、あたしが買って帰ったわよ」

 かすかに憮然とした口調になった咲妃は、目を逸らさずに零を見つめている安斉を横目で見やると、諦めたようにため息をついた。

「咲妃の……友達?」

 黙っている少年を怪訝に思いながらも、零は柔らかく笑いながら首を傾げた。

「そう、清塔学園の安斉さん──予備校が一緒なの」

「うん、懐かしい制服だなあって思った。
 僕もね、中高とずっと清塔に通ってたんだよ」

 零がそう言うと、安斉はゆっくりとうなずいた。

「知ってる──あんた、清塔では有名だったからね……鳴川零さん。
 清塔のミスコンで、3年連続グランプリ取ったの、あんただろ?」

 思ってもみなかった事を告げられ、驚いてセピア色の瞳を大きく見開いた零は、恥ずかしさのあまり顔を赤らめて視線を伏せていた。

「あれは……何というか、冗談みたいなものだから。
 みんなが面白がって勝手に投票しちゃって、からかわれた僕としては不本意だったんだけど」

「なんで? こんな間近で素顔みたのは初めてだけど、やっぱり納得するね。
 あんた、すっげー綺麗な顔してるもんな。
 高校時代にあんたと重なったのは1年の時だけだったけど、本当はその時に『ミスター』になりたかった。
 そうすれば、堂々とあんたとキスできたのにな」

 うつむいた零の顔を覗き込むように腰を屈めた安斉は、悪戯っぽく笑いながら、零の細い顎に片手を伸ばした。

 とっさに身を引いていた零は、戸惑いながらも、わずかに瞳を怒らせていた。

「──そういう冗談言うのは、やめてくれるかな」

 安斉は軽薄な調子で唇をつり上げると、微笑を浮かべて零の顔を見下ろした。

「へえ、そういう顔もするんだ、あんた。
 てっきり大人しくて、男に絡まれても何もできないタイプだと思ってたんだけど。
 それとも、今は妹がいるから、頑張っちゃってる?」

 くすくすと笑った安斉は、困惑したように瞳を揺らした零を、突然真剣な眼差しで見つめた。

「言っとくけどさ、俺は冗談言ってるつもりはないぜ。
 マジであんたにキスしたかったのに、『ミスター』になり損ねて悔しかったからな。
 さすがに諦めていたら、偶然、あんたの妹に出会った。
 我ながらラッキーって思ってたんだぜ」

 その言葉を聞くうち、見る見る顔を青ざめさせていった咲妃には気づかず、安斉は驚愕したように立ちつくしている零から目を離そうとはしなかった。

「でもさ、こうして見ると、あんたら兄妹って全然似てないな。
 どっちかってーと、零さんの方が聖華の制服似合いそうじゃん、美少女系で。
 妹と男女反対だったら、ちょうど良かったかもしんないね」

 悪気は全く無さそうなあっけらかんとした口調で安斉が言った瞬間、不意に咲妃が何も言わずに走り出していった。

「──咲妃っ!」

 我に返った零は、踵を返して追いかけようとしたが、その手首を後ろから安斉がつかんだ。

「待てよ──せっかくあんたに会えたんだから、俺はもう少し話がしたいんだけど」

「……悪いけど、咲妃をあのまま放っとけないから!」

 強い力で握りしめてくる手を必死で振り切り、零はどんどん遠ざかっていく妹の背中を見つめると、追いかけるように慌ただしく走り出した。