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TearyDoll


20



 暖かい揺籠の中で眠っているような、そんな安心感に満たされている。

 その心地良さに酔いしれたように小さな吐息をもらした零は、身じろぎをして、寝返りを打とうとした。

 ところが、急に身体を捕まえられ、自由が失われてしまう。

 うとうととしながらも瞼を上げた零は、自分が鷲塚に覆い被さるようにして眠っていた事に気づくと、慌てて身体を起こそうとした。

「こら──暴れると、落ちるぞ」

 からかいを含んだ声でたしなめられ、零は鷲塚の胸に引き寄せられたまま、きょろきょろと辺りを見渡した。

 自分がどこにいるのか判らず、頭の中は混乱している。

「あれ……ここ、どこ?」

「おまえが泊まっていた安ホテルだろうが。
 まったく、もう少しマシな所は探せなかったのか? 狭くて仕方がない」

 そう言い、広い胸郭から深いため息を吐き出した鷲塚は、零のうなじを引き寄せ、まだ戸惑っている零の唇に軽くキスをした。

 駅前の安いビジネスホテルのシングルルームに宿泊していたため、部屋は狭苦しく、ベッドもまたシングルサイズである。

 零一人なら余裕もあったが、体格の良い鷲塚が眠るには、シングルベッドは小さすぎた。
 2人一緒となればなおさらである。

 その結果、零は鷲塚と折り重なるようにして眠っていたのだが──。

(……重かったよね、きっと)

 そう思い、謝ろうと思った瞬間、零はお互いが全裸のまま、肌と肌とを触れ合わせるようにして眠っていたことに初めて気が付いた。

 夜明け前に抱き合い、きっとそのまま眠りに落ちてしまったのだろう。

 冷静になって思い出してみると、身を隠したくなるほどの羞恥に襲われ、零は顔を赤らめた。

「ご、ごめんなさい……重いよね──今、着替えてくるから……」

 頬を染め、慌てふためいている零を下方から見上げていた鷲塚は、不意に抱き寄せる腕に力を込め、空いている手で白い身体を撫でた。

「確かに少し重くなったな──だが、前より抱き心地は良くなったぞ」

 見る見る内に、零の顔は耳朶まで紅潮した。

 両腕を突っ張らせ、もがくように腕の中から逃れ出た零は、くつくつと可笑しそうに笑っている男の声を背中で聞きながら、バスルームへと走り込んでいた。

 ユニットバスで着替えを済ませた零と入れ替わりに、鷲塚がシャワーを使う。

 勢いよく流れ出る水の音をぼんやりと聞きながら、零は、これが現実に起こっている出来事なのだと改めて自分を納得させた。

 すると、徐々に疑問もまた湧き起こってくる。

 何故、鷲塚はこのホテルに突然現れたのか、この部屋に入れたのか。
 そして──エレベーターで出会った女性は、一体どうしたのか。

 身支度を整えている鷲塚の姿を見つめたままベッドに座り込んでいた零は、重苦しい気持ちに襲われ、表情を曇らせていた。

(海琉──あの人はいったい…誰なの?)

 鷲塚の愛を信じたいと思う一方で、それでもあの美しい女性の姿がしこりとなって、零の心に暗い翳りを落とす。

 全てを持ち合わせた鷲塚のような男には、精神的にも肉体的にも未完成な自分より、彼女のように自信に満ちた美しい女性の方が相応しいのだろう。

 本当は、自分に向けられる愛情だけで満足して、それ以上のものを求めてはいけないのかもしれない。

 だが、鷲塚が言ったように、ただ一人愛されたいと願う自分がいる。

 幸せな家庭も、子供も──自分は何も与えられないというのに。

 セピアの瞳を翳らせ、重いため息をつきそうになっていた零は、突然顎を強くつかまれ、そのまま顔を仰のかされていた。

「──おまえ、また何を考えていた?
 帰ってから嫌だとわめいても遅いんだぞ、零」

 全てを見透かそうとでもいうように、鋭く眇められた鋼の瞳を見返し、零はぽつりと呟いた。

「私ね、本当は、真っ直ぐに海琉の部屋に帰ろうと思ってた。
 でも、エレベーターで女の人に会って……その人が、海琉に呼ばれたって聞いたから──」

「──女?」

「そう……私が、あの人から海琉を盗ったんだって言ってたよ。
 もし、あなたにとって私は大勢の中の一人でしかないなら、もう一度独りで頑張って暮らしていこうって思ってた。
 あなたが綺麗な人と過ごすのを、私はきっと見ていられないし、辛くて……泣いてしまいそうだから。
 あの部屋に──海琉が他の女の人を呼ぶのは、私はやっぱり耐えられないと思う」

 零の言葉を聞き、鷲塚は怪訝そうに眉をひそめた。

「あの部屋の存在を知っている女は──せいぜい薫ぐらいだぞ。
 俺があそこに住んでいることを知っている奴の方が少ないんだからな。
 付き合っていた女たちとはホテルしか使っていないし、俺から住所を知らせることは絶対に無い。
 そもそも、昨日は、女どころか誰も呼び出したりはしていないぞ」

「──で、でも、部屋の鍵を持っていたんだよ、あの人」

「その鍵は、本当に俺の部屋の鍵だったのか?」

「それは……判らないけど。
 あの人が部屋に入る前に、エレベーターのドアが閉まっちゃったし……」

 懐疑的な鷲塚の表情を見て、零は思わず口ごもっていた。

 鷲塚の部屋にあの女性が入るところを見たわけではないから、断定はできない。

 しかしマンションのエントランスセキュリティを解除したのは、間違い無く彼女の鍵だった。

 訳が分からなくなり、ますます混乱してきた零に、鷲塚は少し呆れたように言った。

「おまえ、騙されたんじゃないのか、その女に?」

「──え?」

 意外な言葉に驚愕し、零は呆気にとられて男らしい秀麗な顔をぽかんと見返していた。

 鷲塚は唇を歪め、やや皮肉っぽい笑みを浮かべた。

「関係のあった女とは手を切ったが、中には面白くないと思っている奴もいるかもしれない。
 住所は教えていないが、調べようと思えば調べられるからな。
 エントランスを開けるのは、他の部屋の鍵でもいいわけだ。
 世間知らずのおまえを騙すのは、気が抜けるほど簡単だろう?」

 その説明を聞き、ますます自信がなくなった零は、思わず首を傾げていた。

「そうなのかな……判らなくなってきちゃった」

 鷲塚は苦笑し、軽く嘆息をもらすと、躊躇いがちに揺れる美しいセピアの瞳を見下ろした。

 零を見つける前の鷲塚は、確かに複数の女たちと関係があり、一夜限りの関係を含めるとそれこそ数え切れなかった。

 しかし揉め事を引き起こしそうな女とは最初から関わり合いにもならなかったし、ほとんどが遊びと割り切った女たちだったのだ──そして、彼女たちとの関係はすでに清算済みである。

 彼女たちのプライドは高く、零に嫌がらせをするとは思えないのだが──。

「騙されたかどうかはともかく、その女の言葉より、俺の方を信用しろ。
 とにかく、この話の続きも後だ──帰るぞ」

 疑惑を深めつつも、鷲塚は当惑している零の腕を引き、ベッドから立ち上がらせた。

「おまえの荷物は?」

「これだけ。後は……帰ったら、送ってもらうことにしてあるから」

 自分自身の言葉に気恥ずかしさを覚え、ボストンバッグを指し示しながら零が照れ笑いを浮かべると、鷲塚はあっさりとうなずいてバッグを取り上げた。