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TearyDoll


25



 久しぶりに与えられた快楽に、肉体の方がついに音を上げてしまったのか、零はそのまま気を失うようにして深い眠りに落ちていった。

 規則正しい寝息を立てながら、まるで死んだように昏々と眠り続けた零は、それから数時間ほど経ってからようやく目を開けた。

 広々としたベッドに横たわっていることを自覚しつつも、そこが鷲塚の寝室であると気づくまでには少し時間がかかった。

(……昨日帰ってきて、ホテルに海琉が迎えにきてくれて──今朝、ここに戻ってきて……)

 あまりに目まぐるしい展開に、零の記憶が混乱しそうになる。

 寝返りをうち、天井を見上げながら記憶をたどっていた零は、鷲塚が残した言葉を思い出してしまい、思わず両手で顔を覆っていた。

(今夜は眠らせないって……そんな事されたら…私、本当に死んじゃうよ──)

 恥ずかしさに消え入りたくなる一方で、気怠い身体が火を噴くように熱くなる。

 鷲塚の欲望を受け入れた前後の秘花が、まだ熱を持ったように重苦しく、切なく疼いていた。

 自分の身体だというのに、まるで身体だけが意思を離れてしまったような不安と、心許なさを感じた零は、ベッドの上でゆっくりと上半身を起こした。

 しばらくぼんやりと窓の外を見つめていた零は、晴れ渡っていた青空にいつの間にか薄雲がかかり、遠くの方にはさらに暗い雲が立ちこめていることに気づいた。

 時計が置かれていないため時間を確認することはできなかったが、それでもずいぶん長い時間眠り込んでいたのだと悟る。

 その時、眠った事で調子が戻ったのか、不意に身体が空腹を訴えかけてきた。

「……お腹空いたな──」

 膝を抱えて座り込んでいた零は、膝の上に顔を乗せたまま、ぽつんと呟いた。

 考えてみれば、東京に戻ってきてから、何も食べ物を口にしていなかった。

 精神的なショックで食欲が失せていたというのもあるが、そのまま普段は熟睡しているような時間に鷲塚に抱かれ、睡眠不足のままさらに受け入れさせられた。

 様々な要因が重なって疲労していた身体も、深く眠った事で復調し、体内時計のリズムも元に戻ったのだろう。

(海琉が朝食用意してくれたけど、結局食べられなかったし……。
 ──何か、まだ残ってるかな)

 いまだ眠気の覚めない重い瞼をこすりながら、零はベッドから下りた。

 鷲塚のバスローブを着たまま、ぺたぺたと裸足で寝室からリビングルームへと出た零は、オープンキッチンのカウンターの向こう側に立っている人物を認めた瞬間、思わず硬直していた。

「あ……零さん──え、え〜と、おはようございます」

 相変わらずスタイリッシュなスーツを着こなした新堂が、一瞬驚いたように目を見開いて零を見返し、そして慌てたようにすぐに視線を逸らした。

 焦った様子で新堂は挨拶をしてきたが、どこを見てよいのか迷うように顔を背けている。

 甘いハンサムな顔が何故かわずかに紅潮しているように見え、零はふと自分の格好を見下ろしていた。

 その途端、零は思わず小さな悲鳴を上げ、どう見てもサイズが大きすぎるバスローブの胸元をきつく両手でかき合わせた。

「──ご、ごめんなさい! すぐに、着替えてきます!」

 眠気は一瞬にして遠く彼方に弾け飛び、零は羞恥に顔を赤らめながら、ほとんど悲鳴のような声でそう言った。

 寝室にあるクローゼットに飛び込んだ零は、大きな全身鏡に映った自分の姿を確認すると、再び消え入りたくなるような羞恥に陥った。

 無意識に襟元を整えていたため、大きく胸元がはだけてしまっていたわけではないが、それでも首筋から胸元にかけて、白い肌の上に淡い花びらのようなキスマークが散っている。

(……どうしよう──新堂さんに見られちゃったかな……)

 もしかするとキスマークには気づかなかったかもしれないが、それでも足首まで届く鷲塚の長いバスローブを着ているのだから、何があったのか、だいたいの想像はつくだろう。

「新堂さんが来たことも気づかずに……私、ずっと眠ってたんだ──」

 穴があったら入りたいというのは、まさにこういう気分なのかもしれない。

 鏡の前にしゃがみ込んでしまった零は、頭を抱え込んだまま、しばらく動けなかった。

 しかしいつまでもそうしているわけにもいかず、零はため息をつきながら、着替えを探した。

 これ以上キスマークをさらしたくないと思い、シルバーホワイトのシルク・ニットに、ホワイトジーンズを合わせる。

 七分袖で、首もとを覆うタートルネックのシルバーニットは、鷲塚が施した所有の刻印を、何とか人目に付かないように隠してくれた。

 情け無い表情をして鏡に映る自分自身を見つめた零は、もう一度嘆息をもらすと、覚悟を決めてリビングルームへと戻った。

 寝室のドアを開けた途端、空っぽの胃を刺激するような香りがした。

「──零さん、コーヒー淹れましたけど飲まれます?」

 おずおずとリビングに現れた零に、新堂が明るい口調でそう訊ねてきた。

 ふんわりと鼻孔をくすぐるコーヒーの芳香と、新堂の朗らかな笑顔に励まされ、少し躊躇いながらも、零はやっと微笑むことができた。

「ありがとうございます──とってもいい香りですね」

「零さんが実家に戻っている間に、コーヒーだけはいろいろ補充しておいたんですよ。
 ──零さん、カフェオレが好きなんですよね?
 カッツェのマスターが、そう言っていましたけど」

 カップにコーヒーを注いでいる新堂の言葉に、零は驚いてセピアの瞳を見開いていた。

「新堂さん……カッツェに行かれたんですか?」

 アルバイトをしていた喫茶店の名前を聞き、零は思わず問い返していた。

「ええ、まあ……何というか、俺もコーヒーは好きなので。
 零さんがウェイトレスしていた喫茶店がどんな所なのか、ちょっと興味もありましたし。
 偶然通りがかったついでに、覗いてみようと思ったんです」

 零にはそう説明しつつも、本当は確信犯的に『カッツェ』に立ち寄ったのだ。

 零がいなくなって何やら寂しかったというのもあるが、それ以上に零の事をもっと知りたいという目的意識もあった。

 お喋りなマスターの丹波と話しつつ、様々な情報を引き出していた新堂は、しかしその辺の事情は曖昧にぼかして零と会話を続けた。

「マスターが心配してましたから、一応『元気そうだ』と言っておきましたよ。
 零さんが好きなコーヒー豆までもらっちゃいましたけどね」

「……やっぱり、一度きちんと挨拶に行かなければだめですね。
 バタバタと帰っちゃったから、マスターに心配させっぱなしだし……。
 『クリスタル・ローズ』のママたちも、私が顔を出さなくて、きっと心配しているはずだから」

 ダイニング・テーブルについた零は、呟くようにそう言い、淡い微笑みを唇に乗せた。

 セピアの瞳が憂いに翳るのを見取った新堂は、零の前にコーヒーカップを置き、慌てたように言った。

「『クリスタル・ローズ』の方へは、古谷さんがいろいろ説明してくれたはずですよ。
 あと、真那っていうニューハーフが、薫さんと長々と話し込んでいきましたし。
 だから、挨拶回りは、もう少し落ち着いてからでも大丈夫だと思います」

 安心させるようにそう言った新堂を見上げ、零は少し明るく微笑んでうなずいた。

 以前よりもふっくらとして、さらに柔らかく、繊細な印象になっている零の美貌を見下ろしていた新堂は、コーヒーカップに自分の分を注ぎながら、照れたように咳払いをした。

「俺もそうですけど……でも、零さんが実家から帰って来なくて、一番心配していたのは、やっぱり若頭だったと思いますよ。
 零さんがいなかった間、ずーっとこの部屋に帰らず、ホテルに泊まってましたから。
 薫さんは、零さんがいなくて寂しいから、若頭はホテル暮らしをしているんだって言ってましたけどね。
 よかったです──零さんが、ここに戻ってきてくれて」

 新堂の言葉に、零は目を瞠った。

「──海琉が……?」

 肯定するようにうなずいた新堂は、急に生真面目な表情を浮かべて零の前に歩み寄ると、すっと頭を下げて深く一礼をした。

「──お帰りなさい、零さん。本当にお待ちしていました」