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TearyDoll


35



「ヤクザだって事は知っていたけど、彼は芹沢恭介って名乗っていたもの。
 私が知っているのはそれだけよ。
 どこの組かなんて教えてくれなかったし、訊くことも許されなかった。
 今回だって、私が<コロッセウム>のメンバーだって知って、久しぶりに連絡がきたぐらいなんだもの」

 見苦しく暴れる事の不利を悟り、彼女は肩をそびやかすように背筋を伸ばすと、乱れていた両足を綺麗にそろえた。

 東山を見上げる目つきが、険悪なものから、無意識に媚態を含んだものに変化する。

「なるほど──ということは、君は御山会長にうまく利用されていたわけだな。
 ところで、そろそろ君の名前を教えてくれるかい?
 IDを調べればすぐに判ることだが、私としては、君の口から名前を聞きたい」

「……人に名前に聞く時は、自分から先に名乗ったらどうなの?」

 東山の様子を黙って見守っている高宮と新堂を睨みつけ、綾子は高慢な口調でそう言うと、細い顎をつんとそらした。

「失礼──私はこういう者だ。
 君が事情を説明してくれないと、この<コロッセウム>の警備を任されている私の立場もまずいことになる。
 悪いようにはしないから、私に協力してはもらえないだろうか?」

 自分の名刺を取りだした東山は、両手を動かせないでいる綾子の目の前にそれを提示した。

「──東林総合警備株式会社……社長?
 どうしてそんな人が、ヤクザなんかと一緒にいるのよ?」

 怪訝そうに瞳を細めた綾子を見つめ、東山はにこりと微笑んだ。

「それは君だって同じ事だろう?
 君のような女性がどうして御山のようなヤクザと一緒にいたのか、私は不思議に思ってしまうけれどね。
 もっとも、私の方は仕事上仕方なくお付き合いしているという程度だ。
 どうせならこんな強面の兄サンではなく、君のような美しい人とお付き合いしたいところだが」

 敵意の無い優しい微笑と、ゆったりとした口調に警戒心を解いたのか、硬く強張っていた綾子の身体から少しずつ力が抜けていく。

 その様子を見つめながら、高宮は一瞬、瞳だけで天井を仰いだ。

 理知的で端整な顔立ちと、その語り口に騙され、誰もが東山の本性を見失ってしまう。

 そもそも、頼みもしないのに東山自ら率先して喋り出したということは、彼自身が御山に出し抜かれた事に、相当頭に来ているという証拠でもあった。

「私の名前は、白井綾子──コロッセウムのメンバーになって、もう2年になるわ」

「その頃から、綾子さんは御山会長と付き合いがあったのか?」

「それが知りたいなら、この手錠を外してくれないかしら?
 ……手首が痛くなっちゃったわ」

 男を惑わすような流し目で東山を見上げた綾子は、悩ましげにため息をつきながら軽く手首を振った。

「いいとも。君が私に協力的である限り、危害は加えないと約束しよう」

 東山の言葉に、新堂が驚いたように目を見開いた時、背後のドアが開いて薫が現れた。

「……あらまあ、どうやらあたしの出番は無さそうね」

 小さく呟いた薫は、部屋の中を見渡すと、嫣然と華やかに微笑んだ。

 突然現れた薫を見た途端、綾子の表情が再び険しくなった。

「──誰よ、この女?」

「あたし? あたしはねえ、前嶋薫──あなたと同じ、ここのメンバーなの。
 東山さんがこちらに来てるって聞いたから、一緒に地下で遊びましょうって誘いに来たのよ」

 ふふふっと何か企むように笑った薫は、メリハリのあるゴージャスな肉体を誇示するように、腰に手を当てて背中を反らした。

「……地下ですって?」

 <コロッセウム>の地下に入れるのは会員の中でも特別優待のVIP会員だけであり、その言葉に綾子のプライドは刺激されたようだった。

「ねえ、東山さん──こんな人放っておいて、遊びに行きましょうよ。
 古谷さんも待ってるって言っていたわよ」

 薫の言葉を聞き、東山は首を傾げたが、ややあってから苦笑した。

「お言葉は嬉しいけれどね、薫さん──一応、私は今、仕事中なんだよ」

「あら、いいじゃない。そこの怖〜いお兄さんたちに任せちゃえば。
 拷問とか、自白剤とかかけちゃえば、嫌でもペラペラ話し出しちゃうわよ。
 そうなると、あなたのそのお綺麗な顔も使い物にならなくなっちゃうかしら?
 でも、いいわよね──また、整形すれば」

 無邪気とさえ言えるほど優しく、艶やかな笑顔をみせた薫とは対照的に、薫を見上げる綾子の表情は殺気立つ夜叉のように恐ろしいものに変わった。

「……こえ〜、薫さん。出る幕ないっすね、俺達」

 感心したようにぼやいた新堂を見下ろし、高宮は呆れたように嘆息した。

「感心してどうするんだ、おまえ?
 それより、若頭から御山のチャカ、預かってきたんだろう」

「あ、そうでした──俺が持ってるのと同じ、19口径のベレッタです。
 金属探知器に引っかからずに通るのはまず不可能でしょうから、やはり<コロッセウム>内部に内通者がいるって可能性が高いみたいです」

 新堂から拳銃を受け取った高宮は、掌に収まるほどのそれを見下ろしていたが、そのまま東山に手渡した。

「御山が持っていた銃だ。
 誰がこれをヤツに渡したのか、女から聞き出せ。
 それが判ったら、おまえも、この女も、無傷で家に帰してやる」

 ドスの利いた太く、低い声で高宮が淡々と告げると、薫を憎々しげに睨んでいた綾子の顔が一瞬にして蒼白になった。

 彼女を憐れむように見やり、東山は嘆かわしげにため息をつきながら、手の中に収まったベレッタを綾子に見せた。

「聞いただろう? 君が協力してくれないと、私も同じように酷い目に遭うことになる。
 実際、私が管理しているビルの中で、こんな拳銃が持ち込まれたとあっては、私の責任が問われることになるんだよ。
 君だって、不運にもヤクザ同士の争いに巻き込まれただけなんだから、それ以上傷つく必要はないと思うけれどね」

 ふっと笑った東山は、手の中の拳銃を鮮やかに構え、銃口を綾子の額に向けた。

 びくっと大きく身体が跳ね、綾子は恐怖を湛えた瞳を見開き、声を震わせた。

「──なっ、何をするつもり!? 危害は加えないって、言ったじゃない!」

「引き金を引けば、こんな小さなピストルでも簡単に君の命は奪える。
 今回は御山に殴られただけだったが、彼の機嫌がもっと悪ければ、君は殴られるだけではすまなかったかもしれない。
 彼は残酷な男だからな──見捨てた者に対しては、何をしたって良心は痛まないだろう」

 淡々とした告げ、東山は女を憐れむように微笑んだ。

「だったら、君も彼に義理立てする必要はどこにも無いだろう?
 それに、御山が銃口を向けたのは、荒神会ナンバー2である若頭の愛人だ。
 何も起こらなかったからといって、若頭がこのまま知らん顔をするはずはない。
 君が素直に話さなければ、それこそ薫さんが言ったように、拷問でも自白剤でも使うだろう。
 御山と同じか、それ以上に、あの若頭も冷酷だよ」

 綾子は目を見開いたまま、呆然と呟くように言った。

「……荒神会のナンバー2? あの子が、その愛人ですって?」

「そう、彼女は若頭にとって、何者にも勝る大切な存在だ。
 彼女を傷つける存在を、彼は絶対に許さないだろう。
 綾子さん──君だって、エレベーターで突き飛ばした事がばれたら、どうなるか判らないよ」

 すっと銃口を下ろした東山は、眼鏡の奥の怜悧な双眸を細め、一瞬冷ややかに光らせた。

 その言葉にはっと息を呑んだ綾子は、狼狽したように視線を床に落とした。

「──東山社長……エレベーターで零さんを突き飛ばしたって、どういう事です?」

 腕を組んで様子を見守っていた新堂が、剣呑なものを含んだ声で訊ねた。

 東山は、新堂を振り返って小さくくすりと笑うと、拳銃を高宮に手渡し、スーツから携帯電話を取りだした。

「……私だ──<コロッセウム>の管理室に映像を送ってくれ」

 一通り電話で指示を出した東山は、無表情を保つ高宮と、興味津々といった薫、そして苛ついた様子を隠そうともしない新堂を見渡した後、背後のモニターを示した。

「口で説明するより、それを見た方が早いだろう。
 ねえ、綾子さん、君の元愛人が住んでいるマンションの警備も、実は私の会社が請け負っていたんだ。
 エレベーターやホールの中は、監視カメラが常に作動している状態だから、そこで何があったか全て録画されるようになっている。
 だから、君と零ちゃんのやり取りも、最初から最後まで、ビデオで残っているというわけだ。
 その映像を今からここに送ってもらうわけだが──若頭に見せたら、どう反応するだろうね」

 決定的な脅し文句は何一つ言わないというのに、東山はじわじわと真綿で首を絞めるように、綾子を恐慌状態へと追い込んでいった。

 その言葉の一つ一つが彼女の不安を煽り立て、自ら恐怖に陥るようにし向けられている。

 華やかな美貌から血の気が引き、紙のように真っ白になった綾子は、椅子の上でガタガタと小刻みに震え始めていた。