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TearyDoll


5



 駅にたどり着いた咲妃は、改札口の所で待っていた友人に手を振って見せた。

「──どう、安斉さん、まだ来てない?」

 聖華女学園の中で、唯一自分の親友と認めている澤地亜美(サワチ アミ)にそう問いかけた咲妃は、にんまりと笑っている亜美の肩をつかんだ。

「いったーい、そんなにムキになんないでよ。
 心配しなくたって、まだ安斉さん来てないって」

 長身の咲妃を見上げた亜美は、ほっとしたような表情を浮かべた親友の顔を見て、くすくすと面白そうに笑い出した。

 小柄な亜美をじろりと睨んだ咲妃は、ブレザーのポケットから携帯電話と定期入れを取り出すと、そわそわとしたように改札口にかかっている時計を見上げた。

「ほんとにさー、咲妃のお兄ちゃん事、安斉さん知ってるのかなあ?
 もし知らなかったら、咲妃の計画、パアになっちゃうじゃない」

「知ってるに決まってるでしょ──お兄ちゃん、3年連続『ミス清塔』なんだから。
 あの当時は、安斉さん以上の有名人だったのよ」

 二つ折りの定期入れの内側に挟んである写真を、咲妃は亜美の目の前に突きつけた。

 そこには、目許まで覆う長めの前髪に黒縁の大きな眼鏡をかけている零と、まだ中学生だった頃の咲妃が仲良く撮されている。

「うわ、なーに、この眼鏡。これでホントに『ミス清塔』になれちゃうわけ?」

 清塔学園の文化祭名物である女装コンテストは、毎年その質の高さが有名であり、グランプリの『ミス清塔』にいたっては、ほとんどその辺の美少女アイドルよりも可愛いと評判だった。

 好奇心旺盛な少女たちにとって、『ミス清塔』と共に人気のある、美男子コンテスト『ミスター清塔』を見ることは、清塔学園の文化祭に行く最大の楽しみであった。

 そして、この二つのコンテストの目玉である両グランプリ受賞者同士のキスシーンでは、天地がひっくり返るほどの黄色い声が飛び交う。

 男同士のキスシーンでありながら、その2人がお似合いのカップルに見えてしまうこともしばしばで、日頃は少女たちの入り込めない男子校であるだけに、彼女たちの妄想ははち切れんばかりに刺激されるのだった。

 しかし──写真に写った零はどう見ても地味で冴えない男子高生であり、とても3年連続でグランプリを受賞した美少年には見えなかった。

「なれちゃうのよ──眼鏡取ったら、お兄ちゃん、もの凄く綺麗な顔してるんだもん」

 亜美の手から定期入れを取り返した咲妃は、兄妹で写った最後の写真をじっと見下ろすと、しっかりと場所を確かめるようにポケットに入れ直した。

 その時、ちょうどホームから下りてくる人波が改札口の方に押し寄せてきた。

 咲妃は背伸びをして、その中に片思い相手の安斉尚之(アンザイ ナオユキ)の姿がないかどうか探した。

 昨年の『ミスター清塔』である安斉は、聖華女学園でも人気が高く、何故かまだフリーということもあって、彼女の座を狙っている子は多いらしい。

 咲妃は、清塔学園の文化祭で安斉に一目惚れをし、ずっと片思いを続けていた。
 少しでも近くで彼の姿を見ていたいと思い、同じ予備校に入りもした。

 しかし、いつも飄々としている安斉は誰に対しても無関心で、声をかける隙さえも見当たらない。

(──でも、もしあたしが鳴川零の妹だって知ったら、少しは興味を持ってくれるかも……)

 そう思い、咲妃は今回の作戦を思いついた。

 亜美の言うとおり、もし安斉が零の事を忘れてしまっていた場合は、作戦は失敗する。

 非常に複雑な気分ではあったが、咲妃は、安斉が零の事を少しでも覚えていてくれるように祈るしかなかった。

「あっ、来た来た! 咲妃、安斉さん、後ろの方にいるよ」

 興奮した亜美の声に我に返った咲妃は、帰宅するサラリーマンに混ざり、さも面倒くさそうな顔をして改札口に歩いてくる長身の男子高生を認めていた。

 零で見慣れていた清塔学園の制服も、すらりと背の高い安斉が着ていると、格段に格好良く見えてしまう。

(──お兄ちゃん、わざと大きいサイズの制服着てたんだもん)

 華奢な体格を隠そうとしてか、ワンサイズ大きな制服を着ていた零はひどく野暮ったく見え、兄妹でもなければ、咲妃でさえ零が絶世の美少年であったとは気づかなかっただろう。

「行くよ、亜美!
 計画通りに成功したら、今度、マックでおごるからね」

「あたし、マックよりも、咲妃のお兄ちゃんを紹介してほしいなあ。
 今、東京から帰ってきてるんでしょ?」

「その話は後で! ほら、もうすぐ改札抜けちゃうじゃない」

 亜美の手を引いて慌ただしく走り出した咲妃は、ドクンドクンと音を立てて高鳴りだした心臓をなだめすかすように、深い呼吸を何度も繰り返した。



 時計の針が11時を回り、母親やまだ帰宅していない妹よりも先に入浴を済ませた零は、バスタオルを身体に巻き付けた格好のまま、濡れた髪を乾かしていた。

 できるだけ「女」に見えるよう、一時的に髪を長く伸ばしていた事もあったのだが、結局ショートヘアの方が自分らしいと思えた。

 そのせいで「男」なのか「女」なのかよく判らないと言われる事は多かったが、半陰陽として生まれてきた自分は、どちらでもなく、どちらでもある。

 鷲塚もまた、最初は零を「女」だと思っていたそうだが、調べてみると「男」だと判明し、本当はどちらなのかと疑った、と後から言っていた。

 ニューハーフ・パブ「クリスタル・ローズ」ではバーテンダーとして働き、喫茶店の「カッツェ」ではウェイトレスをしていたという零の奇妙な生活も、彼の疑惑を一層深めてしまったらしい。

 捕まえてみると「両性」であることが判り、鷲塚はそれで納得したらしかった。

 常人とは異なる肉体は、他人の目には奇妙で、醜くて、気持ち悪いと思われるに違いない。

 零はずっとそう思い続け、人目に裸体をさらすことに恐怖にも似た拒絶感を抱いていたが、躊躇いのない愛撫を受け、鷲塚の分身に強く貫かれ、深く一体となると──感じていたその恐怖はいつの間にか粉々に砕け散っていた。

 もちろん、明るい光の中で身体を見られる事には抵抗があり、限りない羞恥に襲われるのだが、見つめてくるのが鷲塚の鋼の瞳ならば、恐れはもはや感じない。

(でも……海琉って、ちょっとサディストなんだよね)

 鷲塚が囁く淫猥な言葉、そして自分が繰り広げた痴態を思い出しただけでも、顔から火がでるほどに恥ずかしくなってしまう。

 鏡の中に映る赤らめた自分の顔を見返した零は、首筋や胸元に散っていた花弁のようなキスマークが薄れていることに気づいた。

 毎晩のように繰り返し口づけられ、一生消えることはないのではないかと思えるほどくっきりと残っていた所有の証は、離れている時間を思い起こさせるほど、淡く消えかかっている。

 その痕跡にそっと指先で触れた零は、鏡の前で立ちつくしている自分の瞳が、わずかに赤みを帯びて濡れていることに気づいた。

(……知っていたか、欲情すると、おまえの瞳がわずかに赤みを増すことを?)

 耳元で笑いながら、低く囁く声を聞いたような気がして、零は身体を震わせた。

 零の身体を、すでに鷲塚は零自身よりもよく知り尽くしている。

 どこに触れれば零が身体をわななかせ、狂うほどの快楽に堕ちるかということも──。

 どくんと心臓が高鳴ったのと同時に、身体の奥に熱く痺れるような感覚が満ちた。

(だめ……これ以上思い出したら、眠れなくなってしまう──)

 実家に戻り、美弥子の手作り料理を毎日のように食べていると、様々なショックで衰弱し、痩せてしまっていた零の身体は、本来の健康を取り戻した。

 青ざめていた肌にも生気が戻り、色白で、肌理の細かい、透き通るような肌が蘇っている。

 零自身は「ちょっと太ったかもしれない」という程度にしか認識していなかったが、湯上がりということもあって少しふっくらとした頬には赤みが差し、生まれ持っていた麗質が流れ出すように輝いていた。

 愛される悦びを知った身体が、さらなる快楽を求め、誘いかけるように芳しく匂い立つ。

 それと共に、湧き起こる甘く淫靡な欲望が、夜になると零の肉体を幾度となく苦しめ、切ないほどに疼かせてはいたが──。

 と、その時、突然廊下に続くドアが開き、官能のさざ波を感じていた零は、切なさに潤んだセピアの瞳で、戸口に立っていた妹を驚いたように見つめたのだった。