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TearyDoll


55



 零がテーブルを立ってから10分が過ぎた時、鷲塚の携帯電話に着信があった。

『──久松です……お食事中に申し訳ありません』

 車を運転しながら連絡を入れているのか、久松の声は時々揺れ、周囲の騒音に掻き消されることもあって聞き取りづらかった。

 零を自宅に帰して以来、陰ながらボディガードを任せている男からの電話に、鷲塚は思わず眉をひそめていた。

 トイレに行っただけというには、零が戻ってくるのが遅すぎる。

 そろそろ様子を見に行こうかと考えていた矢先であっただけに、嫌な予感がした。

『零さんが……先ほど店を出て、タクシーに乗り込みました。
 尾行中なのですが、この事を若頭は、ご存知なのかどうかと思いまして──』

「何だと……?」

 一瞬、疑惑に駆られて問い返した鷲塚だったが、すぐに行動を開始していた。

 個室を出て、零がいるはずのトイレに向かった鷲塚は、そこに姿が見えない事を確認すると、電話を繋いだまま店長を呼びだした。

「連れがいなくなった──最後に姿を見かけたヤツを探せ」

 怒りと苛立ちを押し殺した鷲塚の形相におののき、店長は慌てふためくように店員に声を掛けに行った。

「久松、零を絶対に見失うな。
 俺が指示するまでは黙って尾行して、何かあったら連絡しろ」

 一旦電話を切った鷲塚は、すぐに零の携帯電話に電話をかけた。

 ところが電源を切ってしまっているのか、すぐに留守番電話サービスにつながってしまい、鷲塚は零の様子を思い返しながら舌打ちをした。

(──零がおかしくなったのは、あの電話がかかってきてからか……)

 電話を終えてキッチンから出てきた零の顔は憂いに満ち、心ここにあらずといった様子でぼんやりしているようだった。

 それに気づきつつも追求しなかった己の迂闊さを呪い、鷲塚はぎりっと奥歯を噛みしめた。

(だが……相手は何者だ?)

 突如としてどす黒い疑惑が胸の奥に湧き起こるのを感じ、鷲塚は自家用にしているメルセデス・ベンツのボディを拳で殴りつける。

「このタイミングで御山が手出しをするはずはない……か──」

 最も油断のならない敵の冷ややかな嘲笑が脳裡をかすめたが、鷲塚は彼が最後に残した言葉を思い出していた。

『……特に若い者の扱いには注意することだ──間違えると始末が悪いからな』

 安斉という高校生は、本当に零を諦めたのか──。

 微かな懸念でしかなかったものが、徐々に増殖して、猜疑を深めてゆく。

 鷲塚はステアリングシートに身を沈めると、エンジンをかけながら携帯電話を操った。

 何度目かのコールの後、緊張感の無い明るい声が応じた。

『はいは〜い、薫でーす』

「おまえに聞きたい事がある。
 零の妹を送っていった時、あいつはちゃんと電車に乗って帰って行ったのか?」

『──咲妃ちゃん?
 いいえ、駅まで送っていったんだけど、そこで友達と待ち合わせしてるって言うから、私は帰って来ちゃたわよ』

「……その友達が何者なのか、おまえ、聞いたのか?」

『聞かないわよ、そんな事。
 でも、彼氏なんじゃないの、きっと──あの気の強い子が、照れてたから』

 薫の言葉に、鷲塚は思わず鋼の双眸を閉ざし、唇から飛び出しそうになった悪罵を辛うじて飲み込んだ。

 鷲塚が黙り込んだことを訝しむように、薫が問い返してきた。

『ねえ、海琉──咲妃ちゃんがどうかしたの?』

「妹の方じゃない。零がいなくなった。
 どうやら妹か、あるいは別の誰かに呼び出されたようだな」

『な……大変じゃない──早く零ちゃんを探さなくっちゃ!』

 慌ててまくし立てる薫の声を煩わしく思い、鷲塚は唐突に通話を切っていた。

 その後、情報収集の要でもある東山に連絡を入れると、少し驚いたような声で反応があった。

『──はい、東山です』

「鷲塚だ──私用だが、おまえに調べてもらいたい事がある」

『どうやらお急ぎのようですね。零ちゃんにまた何かありましたか?』

 穏やかな口調で応じる東山の察しの良さに苦笑しつつ、鷲塚は車を発進させながら答えた。

「零がいなくなった。
 どうやら妹を拉致されて、呼び出された可能性がある。
 おまえは鳴川咲妃の足取りと、彼女の同行者を探ってくれ」

『……なるほど。分かりました、大至急、調査させます。
 それと、古谷さんもこちらにいますから、私から伝えておきます。
 この後、連絡されますよね?』

 現時点での情報を東山に伝え終えた鷲塚は、零を追いかけている久松に再度電話をした。

「──久松、今、どこにいる?」

 ちょうど赤信号で停まっているのか、久松の声は先ほどよりも落ち着いていた。

『晴海通りに入ったところです。
 零さんの乗ったタクシーは、晴海埠頭に向かって真っ直ぐ走っています』

「そのまま追え。俺もすぐにそっちへ向かう」

 電話を切った後、鷲塚はベンツのスピードを一気に加速させた。




 零が連れて行かれたのは、晴海埠頭からは少し外れている倉庫エリアだった。

 他に車も人も見当たらない静まり返った場所に下ろされた零は、焦燥感がさらに強まっていくのを感じていた。

(──こんな所に、本当に咲妃が……)

 倉庫の入口に取りつけられた大振りの南京錠を、後藤と呼ばれていた男が手早く外す。

 ぞっとする耳障りな音を立てて、扉が左右に軋みながら開いた。

 薄暗い照明で照らし出された内部を見た瞬間、零はそこが貨物船によって運ばれた貨物の集積場なのだと察した。

 左右に配置された貨物と、移動用に使用される重機の間に、ぽっかりと口を開けたような空間がある。

 そこに十数人の男たちが、皆一様に嫌らしいニヤニヤ笑いを浮かべて待ち構えており、彼らの手には物騒な鉄パイプが握られていた。

 瞬間的に恐怖に支配され、零は声にならない悲鳴を上げた。

 その途端、両脇から安斉と後藤に両腕をつかみ取られ、左右から抱えられるようにして歩かせられる。

 彼らの強い力の前には、腕を振り払って逃げることも、その場に立ち止まることすらもできなかった。

「──嫌っ! どうして……君は、私を、騙したの……っ!?」

 安斉に引きずられるまま、零は涙を溜めたセピアの瞳で彼を睨み、叫んでいた。

 細く尖った悲鳴を心地よく聞きながら、安斉は残酷な獣じみた微笑を浮かべた。

「騙してなんかいないよ。
 大人しく言うことを聞いてくれたら、咲妃ちゃんは帰してやるって。
 ただまあ……あんたの彼氏にはコケにされたから、ちょっとやり返してやりたくってね。
 復讐っていうヤツ?
 で、ここにいるヤツらも、手伝ってくれるんだってさ」

 男たちに囲まれるようにして、零は照明の真下に置かれた椅子に強引に座らされた。

 逃げられないようにビニールロープで後ろ手に拘束され、椅子に固定される。

「──あんたの彼氏をボロボロにした後で、あいつの目の前で犯してあげるよ、零さん。
 狂っちゃうぐらいに気持ちよくしてあげる。
 そうなったらもう……俺からは離れられないよね?」

 蒼白になった零の顔をのぞきこみ、安斉は低く笑い出す。

 その瞳の奥にある残忍性は衝動的でアンバランスなものであり、鷲塚の抱え込んでいる底知れない闇とは全く別のものだった。

「止めて──バカな事をしないで!
 こんな事をしたら……君たち、本当に海琉に殺されてしまう!
 あの人の怖さが、君はまだ全然判っていないんだ!!」

 恐怖を上回った激情が沸き起こり、零は叱咤するように叫んだ。

 その途端、周囲にいた男たちが嘲るように下卑た高笑いを響かせる。

「随分余裕だよな、お姉さん──自分や彼氏の事より、俺達の方が心配か?」

 安斉の隣に立っていた後藤が、くつくつと喉を鳴らして笑った。