Rosariel.com
TearyDoll


59



 鉄パイプで襲いかかってきた少年の攻撃を、わずかに身じろぐだけでかわした鷲塚は、次の瞬間には鳩尾に重い膝蹴りを繰り出していた。

「──ぐはあっ!」

 踏み潰された蛙ような声を上げ、あっけなくコンクリートの床に沈む。

 ほとんど同時に殴りかかってきた少年を長い足で弾き飛ばし、鷲塚は冷めた双眸でバタフライナイフを構えている後藤を見返した。

「貴様と、そこにいる優等生には、きっちり落とし前をつけさせる。
 他の奴らと同じ程度で済むと思うな」

 鷲塚の深い低音はどこまでも冷淡だったが、その鋼の双眸は血に濡れた刃のように凄絶で残忍な光を放っていた。

「──ッ! て、てめえっ、なめてんじゃねえぞ、コラァ!!
 そのスカした顔を、切り刻んでやる!!」

 鷲塚の無駄の無い、ほとんど一撃必殺ともいえる攻撃に戦慄しながらも、後藤はあらん限りの勇気とプライドを奮い立たせて怒鳴りつけた。

 後藤の背後に控えている安斉は、血の気の引いた顔で両者を見比べながら、どうしようかと躊躇しているようだった。

 鷲塚は二人の少年を一瞥すると、唇の端をわずかにつり上げ、酷薄な微笑を浮かべた。

「最初は貴様らを皆殺しにしてやろうかと思ったんだがな──気が変わった。
 貴様らには一生、うちの組に貢いでもらう。
 処分はいつでもできるわけだからな」

 果たしてその言葉は慈悲と言えるのか──。

 殺意よりもなお恐ろしい冷酷な意思を感じ、安斉は思わず後退りしていた。

 ところが、後藤は狂気が弾けたかのような叫び声を上げ、バタフライナイフを振りかざしながら鷲塚に襲いかかっていた。

 刃が照明の光できらめき、一瞬、鷲塚が鋼の双眸を眇める。

 その瞬間、安斉は本能的に「今しか無い」と察し、攻撃に加わると見せかけて、倉庫の出口に向かって全力疾走した。

 後藤には悪いが、自分はこんな場所で潰されるわけにはいかない──!

 背後で上がった後藤の絶叫に心臓を鷲掴みされるような気分を味わったが、安斉は恐怖の化身から逃れるため、ただひたすら走り続けた。



 鋭利に輝くナイフを見据えた鷲塚は、突き出された後藤の腕を手の甲で弾くと、次の瞬間にはその腕を後方に捻り上げ、冷たいコンクリートの床に押しつけていた。

 腕を捻ったまま、膝に体重をかけ、後藤の動きを全て封じる。

「友人に見捨てられたようだな。
 だが安心しろ──二人仲良く制裁を受けてもらう」

 ゆっくりと、本来曲がるはずのない方向に後藤の右腕を捻っていきながら、鷲塚は言った。

 腕や背中の筋肉がギシギシと軋みを上げ、骨がミシリ…ミシリと鈍い悲鳴を上げる。

 あまりの激痛に叫いた後藤は、苦痛の涙を浮かべながら、必死で背後の鷲塚を睨みつけた。

「こっ…殺せ、俺を……殺せーっ!! 憎いなら……さっさと──」

「生憎、楽に死なせてやるほど、貴様らの事を気に入ってるわけじゃない」

 喉の奥で低く笑った鷲塚は、後藤の利き腕に最後の衝撃を加えた。

 バキッ……!と骨が折れる音が響いた途端、後藤の身体が跳ね上がり、獣の咆哮のような絶叫が喉から迸る。

 あらぬ方向にねじ曲がり、力なく落ちた右腕を、後藤は全身で庇うようにしながら床の上をのたうち回っていた。

 立ち上がってその様子を無感動に眺めていた鷲塚は、後藤の肩を靴の爪先で軽く蹴り、彼を仰向けにひっくり返した。

 大量の脂汗をかき、青ざめた顔色の後藤は、無表情な鷲塚の彫刻めいた顔を見返すと、全身を走る激痛に耐えるように唇を噛みしめた。

「──おまえ、家族は?」

 ホルスターから拳銃を抜きながら、鷲塚は平淡な口調で訊ねた。

「……っく……畜生──そんなモン、いねえよ!!」

「そうか──なら、おまえが消えても、心配するヤツはいないな」

 虚勢を張って大声を出した後藤を見下ろし、鷲塚は薄く微笑を刻んだ。

 銃口を後藤に向け、そのまま眉一つ動かす事なく、鷲塚はトリガーを引いていた。

「うぎゃあああッ!!」

 サイレンサーを装着していても消せない鈍い発射音に重なり、凄まじい断末魔のような悲鳴が空気を震わせる。

 そして──倉庫の中で反響が消え失せた後、その場は沈黙に包まれた。

 動かなくなった後藤を冷ややかに見下ろした鷲塚は、零が縛られていた椅子に歩み寄り、綺麗に切られているビニールロープを手に取った。

 強度を確かめるように、両手で二、三回引き延ばすと、鷲塚はそのロープを持ったまま踵を返し、倉庫の外へと向かった。




 東山のジャガーに乗って晴海埠頭を目指していた新堂は、ふてくされた様子で後部座席に座っている咲妃をバックミラー越しに確認し、何度目かになるため息をついていた。

「──間に合いますかね?」

 ステアリングシートに座る東山に問いかけると、東山はくすりと小さく微笑み、視線を前方に向けたまま軽く首を傾げた。

「さあ──到着してみると、全てが終わっていたという可能性は高いね」

 事も無げに言った東山は、さらに車のスピードを上げた。

 目指す空き倉庫の前に停車した途端、サイドウィンドウから外を見ていた新堂が、何かを発見したようにドアを突然開けて飛び出した。

「──新堂君!?」

 背後で東山の驚いたような呼び声を聞きながらも、新堂は目指す人物に駆け寄っていった。

 新堂の方に向かって死に物狂いで走ってくるのは、忘れもしない安斉尚之という名の高校生の姿だった。

 突然、目の前に躍り出てきた新堂に驚愕し、安斉は勢い余ってたたらを踏んだ。

「てめえ、よくも零さんを──てめえだけは、絶対に逃がさねえ」

 激怒した新堂の殺気に気圧されていた安斉だったが、ここで捕まれば後が無いことを悟って強く睨みつけた。

「うっせーよ、あんたには関係ないだろうが!
 俺は零さんのことがずっと好きだった。
 だから、どんな事をしてもあの人を手に入れたかっただけだ!!」

「バカが……零さんが愛してるのは若頭だけだ。
 あの人は自分の意志で若頭の傍にいるんだ。
 それを無理矢理引き離して──零さんが幸せだって思えるわけねーだろうが!」

 苛立たしげに、そして苦しむように吐き捨てた新堂に、安斉は嘲るような視線を向けた。

「じゃあ、何か? ヤクザと一緒にいれば、零さんが幸せになれるって?
 それこそ、ありえねーっしょ?」

「そんな事、他人が決めることじゃねえよ。
 とにかく、ここから逃げ出したいんだった、俺を倒してから行くんだな」

 挑発するように指で安斉を手招いた新堂は、唇に好戦的な微笑を浮かべた。

 身長は高いが、ファッションモデルのように細身の新堂は、鷲塚に比べれば遙かに倒しやすそうで、勝算があるように思えた。

 そう考えた安斉は、素早く新堂の顎目がけてパンチを繰り出した。

 安斉の拳を見切って身を引いた新堂は、そのままカウンターで無防備な腹部にパンチを突き出す。

「──がはっ!」

 反射的に腹筋を締めて防御したものの、新堂の拳が綺麗に決まり、安斉は苦痛に呻きながら前屈みにうずくまった。

「ほら、どうした? 逃げるんじゃなかったのか?」

 新堂は安斉の前髪を片手でつかみ上げ、少年の整った顔立ちを見下ろしながら冷めた口調でそう訊ねた。

 そして、そのまま頬めがけて右ストレートを繰り出す。

 パンチの衝撃で後方に吹っ飛んだ安斉は、粗い呼吸を繰りかえしながら、切れて血が流れ始めた唇を手の甲で拭った。

「……殺してやる──てめえは……絶対に殺してやる!!」

 安斉はギラギラと殺気を放つ双眸で新堂を睨みつけ、ナイフを取りだしていた。

「どうしよーもねえバカだな、おまえは。
 イキがって使い慣れねえモン振り回しても、ケガすんのはおまえだぜ?」

 額に落ちかかってきた前髪を掻き上げ、新堂はにやりと不敵な笑みを浮かべた。