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TearyDoll


7



 予約しておいたレストランで鷲塚を待っていた前嶋薫は、緊張した面持ちで現れた新堂を見上げ、不審そうに首を傾げた。

「──すみません、薫さん。
 若頭なんですが、ちょっと予定がずれ込んでしまって、あと1時間ぐらいは遅れるとのことです」

「ふーん、電話も入れられないぐらいに忙しいわけ。
 ……まあ、いいけど」

 呆れたように呟き、腕時計で現在時刻を確認した薫は、直立不動で立っている新堂に正面の椅子を示した。

「座んなさいよ、新堂君。
 海琉が来るまで、あたしに付き合ってほしいわ」

 そう言い、ボーイを呼んでワインリストを持ってこさせた薫は、困惑したように立ちつくしている新堂に悪戯っぽく笑いかけた。

「──心配することないわよ。
 海琉が君をここに寄こしたってことは、あたしの機嫌をとっとけってことでしょう?
 それに、今新堂君が帰っちゃったら、あたしは寂しい人待ち女になっちゃうじゃない。
 そんなの、いやーよ──そうなったら、あたしはさっさと帰るからね。
 海琉がここに来た時、あたしがいなかったら、君が怒られる羽目になるんだから」

 薫の言葉に動揺した新堂は、仕方がないと諦めたように、指差された席に座った。

「──で、君は何を飲みたい?
 海琉が来るまで、二人で好きなものをじゃんじゃん注文しちゃいましょ。
 遅刻するあいつが悪いんだから、気にすることはないわよね〜」

「……自分は車なんで、アルコールは遠慮しときます」

 やや引きつった愛想笑いを浮かべた新堂は、華やかにドレスアップしている薫を見つめた。

 何かあったのかと訊いてよいか否かを逡巡している新堂を見返し、薫は軽くウィンクをする。

「今日はね、海琉と二人で婚約解消祝いをする予定だったの。
 と言っても、ディナーを持ちかけたのはあたしなんだけどさ。 
 零ちゃんがいなくなって、ちょっとあいつもめげてるんじゃないかなあ、と思って気を利かせてみたんだけどね。
 ──あの子、まだ実家から帰ってきてないんでしょう?」

 新堂は納得したようにうなずくと、やや情け無さそうな表情を浮かべ、小さくため息をついた。

「若頭は相変わらずって感じですけど……めげてるのは俺の方ですかね。
 何だかちょっと寂しいっていうか──まあ、あの事件の後処理とかで毎日忙しいから、あんまり考えてる時間はないんですけど。
 北聖会との関係が緊張してから、若頭は前以上に忙しくなってしまって、本当に寝る暇さえないって状態なんです。
 零さんを実家に帰したのは、奴らの目を彼女に向けさせたくないって意図もあったようだから、この時期に零さんがいないのは良かったのかもしれませんが──」

 先日、世間を騒がせていた外国人による強盗事件は、広域指定暴力団「北聖会」の傘下組織九頭竜組が関与していたと判明したが、結局、その事実が明るみにでることはなかった。

 もっとも九頭竜組が直接関わっていたというよりは、組長の息子である九竜裕吾が独断で計画し、手足となる実行犯を組織したという方が真実に近い。

 さらに彼は、薫と共に外出していた零を拉致し、閉鎖された工場の地下室に監禁するという事件をも引き起こした。

 九竜裕吾から零を奪い返すまでの過程で真相を見抜いた鷲塚は、北聖会のトップである御山会長と連絡を取り、ほとんど脅迫まがいの裏取引の末、沈黙を守る事を約束したらしい。

「問題を引き起こした九竜裕吾やその手先への制裁は、下部組織への見せしめのためにも北聖会が行いたい」

 事件を知らされた御山会長は、鷲塚にそう返答をした。

 もし荒神会が九頭竜組に報復を加え、事件が白日の下にさらされれば、組織のトップである北聖会の面子は潰れる。

 社会に大きな衝撃を与えた残虐非道な事件であったがゆえに、本当に何も知らなかったとしても、ただ「知らなかった」と言うだけでは済まされない気配があった。

 警察は北聖会を徹底的に捜査するであろうし、最悪は組織の解散ということもありえる。

 その可能性は荒神会とても同じであったが、少なくとも世間は、北聖会に対してはより冷ややかな視線を向けるはずだった。

 ──身内の行動を監視できず、そのあげくライバル組織に制裁を委ねたのかと。

 そして、御山会長のその言葉に対して、鷲塚は幾つかの条件を提示した。

 工場を爆破させる等の騒動を起こした荒神会の行動は、全て北聖会が処理する。
 荒神会の縄張りで起こった事件の損害賠償もまた北聖会が行う。
 北聖会の責任下で九頭竜組は完全に解散させる──など。

 鷲塚の横暴ともいえる条件を、御山は承諾した──承諾せざるをえなかった。

 もし拒否すれば、荒神会の組員に生け捕りにされた実行犯たちが、そのまま警察に突き出されることになっていたのだ。

 彼らが自供すれば、必然的に九頭竜組は解散させられることになる。

 さらに、社会の害悪と大宣伝させている暴力団に事件を解決してもらった警察もまた、世間の失笑から逃れるため、一次団体である北聖会に厳格な捜査を行うだろう。

 北聖会が蒙る被害を最小限に食い止めるためにも、御山は鷲塚の条件を呑むしかなかったのだった。

 零が拉致されたと知り、新堂はまさに死に物狂いで行方を追っていたのだが、鷲塚のように報復を考えている精神的な余裕はなかった。

 せいぜい、誘拐犯をコンクリート詰めにして、海に沈めてやろうと思っていたぐらいである。

 だからこそ、「犯人を絶対に殺すな」と鷲塚に命じられた時には腹を立てもしたのだが──まさか、一刻の猶予もなかったあの短時間で、鷲塚がそれほど綿密で冷徹な計画を立てていたとは想像もしなかった。

 拉致事件の捜索は誰しも行うだろうが、その事件を逆に利用して、宿敵である北聖会に打撃を与え、且つ荒神会の後ろ暗い行動をも闇に葬るという戦略は、おそらく鷲塚以外の誰も考えなかったに違いない。

 九竜裕吾の仕掛けた罠に引っかかり、零から視線を逸らしたわずかな間に拉致されてしまったショックは、誰よりも強く鷲塚が感じていたはずである。

 時に冷酷でさえある鷲塚が、どれほど零に惹かれ、愛したのかは、事の始まりから傍で見ていた新堂が一番良く知っていた。

 だが、愛する者を奪い去られて感情は揺れ動いたとしても、その冷静な理性と明晰な頭脳は決して曇ることはないのか──。

 全てが解決し、自分自身の気持ちもようやく鎮まった時、新堂は器の違いをまざまざと見せつけられたような気分に陥り、しばらく憂鬱になりもした。

 深い森の中で倒れた一本の樹木を闇雲に歩いて探していた自分と違い、鷲塚はまさに鷲のごとく遙か天空の高みから地上を見下ろし、目指すものを見いだしていた。

 そして、その周囲で起こった事象を全て把握し、そこから起こる未来すらも予測していた──例えて言うなら、二人の間にはそれほどの差があったのだ。

 一週間前の気持ちを思いだしてしまい、思わず深いため息をついた新堂を見つめ、薫はくすりと鮮やかな唇をつり上げた。

「でも、海琉だって、やっぱり寂しがってるんでしょう?
 2、3日前に電話で喋った時、声が何となく苛立たしげだったもの」

「さあ、どうなんでしょう……でも、若頭、零さんがいなくなって以来、あのマンションには一度も帰ってないんですよ。
 前と同じように、ずっとホテルに泊まってるし──。
 もちろん、忙しいからっていうのもあるんでしょうけどね」

 少し躊躇った末にそう告げた新堂に、薫は柔らかな巻き髪のかかった肩をすくめて見せた。

「あいつの場合、『仕事が忙しい』って言うのは、ほとんど言い訳なのよ。
 忙しいには違いないけど、それだって、自分自身で忙しくさせてるようなものなんだから。
 零ちゃんがいなくて寂しいから、結局、海琉は仕事に逃避してるんでしょ。
 マンションに帰ったら、なおさら思い出しちゃうから──だからホテル泊まりやってんのよ。
 それでも、海琉は、絶対に自分からは『寂しい』なんて、口が裂けても言わないわね」

 注文した赤ワインの注がれたグラスを指で回しながら、薫は淡々とした口調で説明した。

 「さすが医者」と安直な理由で薫の心理分析に感心した新堂は、運ばれてきた料理を見ながら、やるせない嘆息をもらした。

「若頭に煮え湯を飲まされた御山会長が──妙な事を考えなきゃいいんですけどね。
 若頭が零さんを大切にしてるって言う事は、もう完全にばれてますから。
 北聖会を介入させた事で、ウチはほとんど傷つかなかったけど、でも若頭の弱点がばれちゃったのは……まずいんじゃないかって俺は思うんですよ」

 大々的な抗争にまで発展する可能性のあった事件を、最終的にはほとんど全責任を北聖会に押しつける事で難を逃れた荒神会であったが、新堂は一抹の不安を感じていた。

 北聖会の最高権力者である御山会長が、鷲塚の事を蛇蝎のごとくに憎悪しているというのは──極道世界では周知の事実である。

 どれほど楽観的に考えても、執念深い御山がこのまま黙って引き下がるとは思えなかった。