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TearyDoll


8



 旺盛な食欲を見せていた薫は、料理に手も付けずに悩み込んでいる新堂を見つめ、やや呆れたように告げた。

「──ねえ。どうせ今悩んだところで、御山の腹ん中が読めるわけじゃないんだから、君も食べちゃいなさいよ、新堂君。
 辛気くさい顔されると、あたしまで凹みそうだわ。
 それに、女を喜ばせるのがホストの仕事でしょう?」

「何度も言いますが、俺はもうホストじゃないんです」

 ジャニーズ系の甘いマスクに苦笑を浮かべた新堂は、吹っ切るように短い息を吐き出すと、テーブルに置かれていたナイフとフォークを手に取った。

「あ〜あ、零さんのオムライスが懐かしいなあ。
 実家が楽しくて、こっちに戻って来たくなくなっちゃった、なんて事はないですよねえ」

「花嫁修業やってるとでも思っておきなさいよ。
 それに、あたしとしては、しっかり栄養つけて帰ってきてほしいのよね。
 ずいぶん痩せて、体力落としていたから、あのまま海琉と暮らさせるのはちょっと心配だったのよ。
 毎晩、ハードな運動を強いられるようなものだし──」

「ハードな運動……」

 薫の言葉のその部分に反応した新堂は、運動内容を想像するように、じっと皿の一点を凝視していた。

「……ちょっと、顔がにやけてるわよ。
 エッチな妄想しちゃって、まだまだ青いわねえ、新堂君ってば。
 あら──やっと海琉がご到着みたい」

 食事も忘れて想像力をたくましくさせていた新堂は、薫の声を聞き、弾かれたように椅子から立ち上がっていた。

 若頭補佐である高宮を伴って現れた鷲塚は、薫が予約しておいたその個室を見渡した。

「──反対側の部屋もキープしてあるから、高宮と新堂君はそっちで食事をしてなさいよ。
 あたしは、海琉と二人で話がしたいから」

 両手の上に顎を乗せたまま微笑んだ薫は、極度に緊張した面持ちのボーイを手招きし、新堂が食べかけていた料理を隣室へと運ばせた。

「まずは乾杯しましょう──あたしたちの、婚約破棄を祝って」

 ソムリエが恭しく注いだ赤ワインを見つめ、鷲塚は皮肉げな微笑を唇に刻んだ。

「もっとも、本格的に解消するのはこれからだがな。
 方々へ通知を出す必要があるが、それは現状がもう少し落ち着いてからの方がいいだろう」

 乾杯の後、何の感慨も無さそうに淡々と話す鷲塚を見返し、薫はくすくすと笑い出した。

「お父さんったら、あからさまにほっとした顔してたわよ。
 今まで何も言わなかったけど、やっぱり内心では反対してたみたいね。
 理由を聞かれたから、『海琉に可愛い恋人ができたから』って言ってやったんだけど、そうしたらもの凄く驚いていたわ」

「──組長(オヤジ)には迷惑をかけた。
 近いうちに謝罪に行くと、おまえから伝えておいてくれ」

「お父さんは全然怒ってないんだけど──組長の娘の婚約が破談になって、あーだこーだうるさく言い出す奴はやっぱりいるでしょうね。
 後々で面倒が起こると嫌だから、形式的にはあたしから破談にしたって事にしておくわ。
 薫お嬢様にふられたって噂されるのは嫌でしょうけど、そのくらいは我慢しなさいよ」

 鷲塚と薫の婚約は、周囲からの「いつ、誰と結婚するのか」という質問攻撃から逃れたいがための偽装であったのだが、その婚約状態を何年もずるずると引き延ばしてきたため、疑いを抱く者が増えてきていたのも事実だった。

 ここで婚約破棄ということになれば、驚く者もいようが、「ああ、やっぱり」と納得する者の方が圧倒的に多いだろう。

 大々的に婚約を公表していたため、しばらくは噂の種にされるだろうが、しかし揉め事が起こるほどのものではない。

 ゆっくりとワイングラスを揺らす鷲塚を見つめていた薫は、わずかに伏せられた鋼色の双眸に微かな憂いと苛立ちが浮かんでいるのを見とると、努めて明るい口調で訊ねた。

「──ところで、無事に婚約解消した後は、やっぱり零ちゃんと結婚するの?」

 『ヴァンクリーフ&アーペル』で購入した婚約指輪を、薫はそのまま零に譲り渡し、鷲塚もまたそれに異論は唱えなかった。

 そのため、深く愛し合っている二人は当然結婚するものと薫は思っているのだが、鷲塚の口から実際に「結婚」という言葉を聞いたことはまだ一度も無かった。

 冷徹で無機質な輝きを帯びた瞳がすっと上がり、薫を真正面から見返す。

 彫りの深い秀麗な顔立ちの中で、鋭利な刃のように光を放つ双眸は、見る者に特に強い印象を残した。

「零と結婚はしない……と言うより、できないと言った方が正しいな」

 深い響きのある低音には、感情を読みとらせるようなものは何もない。

 それでも、誰よりも長く密接に鷲塚と過ごしてきた薫は、突然不可解な疑惑を覚えた。

「──できないってどういう事?」

 きつく眉根を寄せた薫が問い返すと、鷲塚は広い肩を軽くすくめた。

「零は男だ──少なくとも戸籍上はな。
 事実婚ならともかく、いわゆる『結婚』というのは無理だろう」

 鷲塚の言葉を聞いた薫は、さすがに呆気にとられて唖然としていたが、ややあってから驚愕したように声を上げた。

「う……嘘でしょ、あの子──女の子じゃなかったの?
 そりゃまあ、胸は見事にすっきりだったけど……男だったなんて絶対に信じられない。
 だって、このあたしが……日々、何十人って女の身体を見ているあたしが、零ちゃんの事、女の子だって認識したのよ?
 男の子なら、どんなに美少年でも──違和感あるはずなんだけど……」

 不信感に満ちた面持ちで呟いた薫は、しばらく頭を抱え込んでショック状態に陥っていたが、やがてきっと鋭く鷲塚を睨みつけた。

「──って言うか、どうしてそういう重要な事を黙ってるのよ、あんたは!」

 ほとんど怒鳴りつけんばかりの勢いで言った薫を、鷲塚は無表情のまま見返し、手にしていたワイングラスをテーブルに置いた。

「落ち着け、薫──言っただろう、戸籍上はと。
 正確に言えば、零は男じゃない──完全な女というわけでもない。
 確かに高校までは『男』として暮らしてきたようだが、あいつの身体はおまえが言うように『女』に近いからな。
 おまえが間違うのも無理はないだろう。
 零は……いわゆる『両性具有』というやつだ」

 事実を告げる冷静な言葉に、薫はこれ以上はないというほどの強い衝撃を受けた。

 美しくアイシャドウの塗られた双眸を大きく見開いたまま、薫は、動揺した様子を微塵も見せない男の顔を呆然と凝視していた。

「──両性具有って……つまり、半陰陽ってこと?」

 いつの間にか椅子から立ち上がっていた薫は、両手をテーブルに突いたまま、鷲塚に確認するように問いただした。

 否定する事なく、ゆったりとうなずいた男の姿を見つめながら、薫は混乱していた意識を引き締めると、長い睫毛に縁取られた瞳を剣呑に眇めた。

「……高校を卒業するまで『男』として生きてきた零ちゃんを、まさか、あんたは強引に『女』にして抱いたの?」

 薫の声は冷淡なほど抑揚がなかったが、威嚇するような不気味な響きが奥底に宿っている。

「男だろうが、女だろうが──俺はどちらでも構わなかった。
 確かに最初は女だと思いはしたが、男だったと知った後も、零が欲しいと思う気持ちに変わりはなかったからな。
 男でも、女でも、半陰陽でも、零は零でしかない。
 ──奪うように抱いたのは、それがどれだけあれを傷つけたとしても、俺のものにしておきたかったからだ」

 何がそれほど薫を怒らせたのかを十分承知していながら、鷲塚は偽る事なく、己の欲望を全て告白してみせた。

「──最低……それでよく、零ちゃんの心が壊れなかったものだわ。
 普通の女性ですら傷つける真似を、ただでさえもっとデリケートに接してあげなきゃいけない子によくも平然とできたわね。
 あたしは海琉の事をよく知っているし、大概の事は大目に見てきたけど、こればっかりは医者として許せないわ。
 もし零ちゃんがあんたの事を愛していなければ──たとえ身内であっても訴えてるところよ」

 激しい憤りに駆られながらも、己の感情を必死で抑制し、薫は微かに震える声でそう伝えた。