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TearyDoll


9



 鷲塚は薫を冷淡に見返し、背筋が凍るほど残酷で獰猛な微笑を唇に刻んだ。

「薫──たとえ誰が何と言ってこようと、俺は零を手放すつもりはない。
 それは、おまえでも同じことだ。
 今後何が起こっても、たとえ零がどれだけ逃げたがったとしても、俺からあれを引き離すことは絶対に許さない。
 俺を訴えたところで……万に一つも勝てる見込みはないぞ」

 恐ろしいほどの独占欲をその言葉の内に感じ、薫は眦をつり上げてきつく鷲塚を睨みつけた。

「どんなにあくどいことをしても、零ちゃんを自分に縛りつけておこうっていうの?
 もし海琉が荒神会のトップに立って、どうしても結婚しなきゃならなくなったら、あの子は愛人として傍に置いておく気?」

 怒りを必死で堪えている薫を、鷲塚は冷たく無機質な瞳で見つめた。

 今夜は華やかなワインレッドのドレスを着ているせいで、薫が怒り出すと、あたかも炎が燃え上がるような印象がある。

 かつて極道界一の伊達男と言われていた父親譲りの美貌の持ち主だが、容貌と共に父親の気性もそのまま受け継いだのか、薫はまさに竹を割ったような、男勝りの性格をしていた。

 義に厚く、誰に対しても分け隔てなく面倒見が良いため、本家の若い者には「姐御」と慕われていたが、薫自身はさらさら組を継ぐつもりはないようで、いつの間にか医者に──それも何故か産婦人科医になっていた。

 しかし、畑違いの職業に就こうと、薫が荒神会の現総長である荒神勳の一人娘であることには変わりなく、当然彼女の結婚相手にも跡目問題が絡んでくる。

「たとえ形式だけであっても、俺とおまえが結婚するなら、俺が総長に立つことに反対する奴はいないだろう。
 実際、荒神会内部の意見は、その方がずっと簡単にまとまる。
 何も知らないカタギの零は愛人として置いておけばいい──全てはそれで丸く収まるだろう」

「……最悪──婚約解消しようって時に、どうしてそういう事言い出すわけ?
 そんな事したら、零ちゃんがまた傷つくだけでしょう。
 偽装婚約者のあたしの事であれだけ泣かせといて、また同じ事を繰り返すつもり?
 『おまえとは結婚できないから、薫と偽装結婚することにした』なんて言ったら、零ちゃん、打ちのめされて今度こそ立ち直れないかもしれない。
 そんな事の片棒担ぐなんて、あたしは絶対に嫌だからね」

 軽蔑するように双眸を細めた薫を冷淡に見返し、鷲塚は軽く肩をすくめた。

「そのつもりなら、最初からおまえとの婚約を解消する気にはならなかった。
 零がどれだけ泣きわめこうと、愛人という立場であの部屋に置いておいただろう。
 損得勘定だけで考えるなら、返ってそっちの方が荒神会にとっては良いのかもしれない」

 かっとなって口を開きかけた薫を、鷲塚は鋼色の瞳で鋭く見つめ、一瞬で黙らせる。
 そして、ひどく淡々とした口調で言葉を続けた。

「だが──たとえそうだとしても、俺はおまえとも、他の女とも結婚はしない。
 零だけが俺のオンナなのだと、零自身にも、他の人間にも知らしめるためにな。
 結婚など所詮紙切れ一枚の契約にすぎないが、零がそれを重く見ているなら、あいつを悲しませる真似はしたくない。
 零を一生俺の傍にいさせるためにも、俺は他の誰とも結婚はしないだろう。
 もしそれでトップに立てないと言うなら、そんなものは誰かにくれてやる。
 そもそも、俺は本気で総長になりたいと望んでいるわけではないからな」

 鷲塚の言葉を沈黙して聞いていた薫は、すとんと椅子に腰を落とすと、大げさなほど盛大にため息をついた。

「──判った、とりあえず海琉が、あの子にずっと傍にいて欲しいって思ってるってことは。
 零ちゃんのために、海琉が一生結婚しないっていうのも十分に理解した。
 確かに……ずっと恋人同士のまま、寄り添って生きていくのも悪くはないかもね」

 行儀が悪いと自覚しつつ、テーブルの上に両手で頬杖をついた薫は、上目使いで鷲塚の冷徹な顔を見つめ、そして不意にからかうような微笑を浮かべた。

「──でもね、海琉……たかが紙切れ一枚の『結婚』でも、甘く見ない方が良いわよ。
 あんたは結婚に幻想を抱いてないかもしれないけど、零ちゃんはまだ若いし、もの凄くロマンティストだから、恋愛にも結婚にも綺麗な夢を持ってる。
 愛の無い結婚なんて信じられないって、前にあたしにそう言ってたもの。
 海琉が『虫除け』に渡した指輪も、とっても大切そうに持っていたし。
 海琉が絶対に結婚しないって言えば、あの子はきっと嬉しく思うんだろうけど、でも、そのうちにそれを悲しむようになるわ。
 ──どうして、自分は女に生まれなかったんだろうって」

 ようやく怒りが鎮まった薫は、わずかに首を傾げ、今度は憂慮するように小さく嘆息した。

 何から話せばよいのかと思案するように、薫は視線を宙に巡らせると、気弱な者なら弾かれてしまいそうなほど強い男の瞳をじっと見つめた。

「あのね、海琉が思っている以上に、零ちゃんの心はもともと繊細なのよ。
 普通、人は世の中を構成するのは男と女だって思ってるけど、中には零ちゃんと同じような人も確実に存在しているわ。
 そういう人は、みんなが当然と思ってる事が当然ではないから、精神がひどく不安定でものすごく傷つきやすいのよね。
 例えるなら──みんなは足下に硬い地面があるって信じてるんだけど、零ちゃんはそこに本当に地面があるのかどうか判らないでいる。
 だから、海琉は零ちゃんを抱き締めてあげて、足下に地面があってもなくても、自分が支えているから大丈夫だって、優しく教えて、信じさせてやらなきゃいけないわけ。
 そういう事が、果たして海琉にできるのかしらね?」

 話している間に、いつの間にか医師の顔になっていた薫は、ワイングラスを見つめるように視線を伏せた鷲塚を観察するように見返した。

「──零が、相当に不安定になることは、俺も承知している。
 目を離すと、時々、信じられないような事をしでかすからな」

 くすりと思い出すように微笑を刻んだ鷲塚は、微かに和んだ瞳で薫を見返した。

「だが、ドクターの助言通りにはいかないぞ、薫。
 残念ながら、俺は優しく教えるなんて真似はできそうにない。
 余計な事が何も考えられなくなるように、あいつの身体と心に教え込むだけだ。
 俺の事を疑うなら──必要なだけ何度でもな」

 鷲塚の言葉を呆気に取られたように聞いていた薫は、ルージュの引かれた唇をくっきりと美しくつり上げた。

「やーね、相変わらずサディストなんだから。
 零ちゃんを自分だけのスレイブに調教しちゃおうって言うの?
 あんな純真可憐な子が淫乱に変身するのは、見ていて確かに興奮するでしょうけどね。
 でも、そっちの方もあんまり無茶しないでって警告しとくわ。
 検査したことないから何とも言えないけど──生殖器の構造も、女とは違うはずなのよ」

「壊すほど、無茶な抱き方はしていないぞ。
 今までで一番、零には気を使っているんだからな」

 さも心外だと言うように軽く片眉をつり上げた鷲塚を見つめ、薫はくすくすと声を立てて笑った。

「──海琉が、気を使ってる? それはまた……もの凄く珍しいセリフを聞かせてもらったわ。
 でも、身長も体重も、体力だって全然違うんだから、零ちゃんに負担かけないようにしてやんないと、あの子すぐに倒れちゃうわよ。
 あんたの巨体を受け止めるだけでもシンドイはずなんだから、ひどく嬲られた日には、息も絶え絶えって状態になっちゃうわ。
 愛しているなら、思いやりのあるセックスライフを送りなさいよ。
 暴力にもなるけど──でも本当は究極の愛情表現だから、お互いに満たし合えれば、零ちゃんだって今よりもずっと強くなれるでしょうね」

 そこまで言った薫は、不意に憮然とした顔つきになり、そっぽ向いてため息をついた。

「あ〜あ、やだわ、何であたしったら、海琉にまでこんな事教えてるんだろう。
 仕事とプライベートは絶対に混同しないように気をつけてたのに……。
 ──でも、とりあえず零ちゃんの身体のことで何かあったら、すぐあたしに相談してよ。
 あの子があたしを信頼してくれるまで、あたしからは何も言わないし、黙ってるから。
 普通は医者にかかりたがらないし、秘密にして悩んじゃう人が多いんだけど、ラッキーな事に零ちゃんの傍には専門医のあたしがいる。
 どちらかと言えばメンタル面のケアが重要になるから、しばらくはお友達として付き合っていって、零ちゃんの信頼を勝ち得るように努力するわ」

 グラスに残った赤ワインに唇をつけた薫は、歳の近い従兄にウィンクを送った。

 鷲塚は同意するようにうなずいたが、不意に鋼の瞳に疑惑を浮かばせ、じろりと薫を睨んだ。

「──おまえに零の主治医を頼んでもいいが……絶対に手出しはするなよ、薫。
 親父は何も疑っていないようだが、おまえがわざわざ産婦人科を選んだ事に、俺はかなり不審を抱いているんだからな」

 触れただけで切れそうな刃のごとき双眸に睨まれても、薫はもはや一向に気にした様子もなく、けらけらと笑い出した。

「うっふっふ……手出しって何かしらぁ?
 分娩台に載せて大股開きにしちゃったり、妖しい器具を突っ込んだり、指で掻き回したり?
 あたしが信用できないなら、もう一人の先生に頼んでみる──男の先生だけど?
 零ちゃん可愛いから、きっと喜んで引き受けてくれると思うわよ。
 診察室で何が起こるか……誰も判らないわよねえ」

「──そんな事をしたら、おまえの病院、完全に潰すからな」

 すっと双眸を眇めた鷲塚の怒気に、薫は怯えたふりをしつつ、優雅に椅子から立ち上がった。

「怖い、怖い……あんまり嫉妬深いと、零ちゃんに愛想尽かされるわよ。
 それじゃ、あたしは先に帰るわ。
 零ちゃんが帰ってこなくて寂しいだろうけど、あんまり飲み過ぎないようにしてよ。
 ──あ、そうだ、高宮を借りるわよ、今夜は鎌倉に戻らなきゃならないから」

 ふざけたように投げキスを鷲塚に送り、ひらひらと片手を振った薫は、ハイヒールの高い靴音を響かせながら部屋を出ていった。