Rosariel.com
Valentine Heart


1



 さて、2月14日は聖バレンタインデーである。

 その日は、広域指定暴力団「荒神会」の頂点である荒神組の直若衆にとって、もしかすると1年で一番楽しみな日であるかもしれない。

 と言うのも、荒神会ナンバー2である若頭の鷲塚海琉の妻・零から、毎年毎年欠かさずに手作りチョコレートの差し入れがあるからだった。

 最初の頃は、零に関しては異様に嫉妬深い鷲塚が恐ろしいほどに不機嫌になり、チョコレートをもらった者たちは心底肝を冷やした。

 さらには機嫌を損ねた鷲塚が3日間ばかり職務放棄したせいで、とばっちりを食らった若頭補佐の高宮がいつも以上に厳しく、過酷なシノギを組員に強いたのだ。

 非常に代価が高くついた零の手作りチョコレートではあったが、それでも毎年届けられると、ついつい口に運んでしまう。

 鷲塚もいつしか「所詮、義理チョコ」だと諦めたらしく、零の差し入れ手作りチョコレートを見過ごすようになった。

 そして──あたかも「パブロフの犬」のごとく、2月に入った途端、彼らは14日の甘い誘惑を妄想しながら、涎を垂らしてしまうのであった。



「ママ〜、シンちゃんね、おっきいハートが欲しいって言ってたよ」

 毎年の恒例行事のため、ストックしておいたチョコレートレシピ集をぱらぱらとめくっていた零に、娘の琉花がにこにこと笑いながら言った。

「おっきいハート? う〜ん、じゃあ今年はまた、チョコレートケーキにしようかなあ」

 2月14日は新堂の誕生日ということもあり、零は差し入れとは別にプレゼントを贈っていたのだが、娘の言葉を聞いて考え込んでしまった。

「それとね、ゆーりせんせーが、チョコの作り方、教えてほしいんだって」

「悠利先生が? そっか……じゃあ、13日に家に来てもらわなきゃいけないね。
 東山さんは、わりとビターな方が好きだったはずだけど」

 琉花が通っている幼稚園の先生である室井悠利が、昨年のクリスマス頃から東山と付き合っていると聞いた時、零は心底びっくりしてしまった。

 しかし幸せムードいっぱいに、初々しく微笑んでいる悠利を見ると、心配はどこかに消え失せ、心から応援しようという気持ちになった。

 そのため、悠利が東山にチョコレートを贈りたいと聞いた途端、思わずにっこりと微笑んでしまった。

「あとね、シショーが、今年はもうちょっとお酒を強くしてだって」

「はいはい、判りました。古谷さんは、いっつも注文が多いんだから……」

 くすくすと笑う零を見つめていた琉花が、椅子の上で足をブラブラさせながら言った。

「ママって、お菓子屋さんみたい。
 ど〜してみんな、そんなにチョコが食べたくなっちゃったんだろ。
 みんな、ママのチョコが楽しみだって、言ってたよ」

「う〜ん、バレンタインだから、そのせいじゃないかなあ。
 お店屋さんにも、チョコが沢山並んでるでしょ?」

「うん! 『ばれんたいん』って、チョコの日なの?」

「本当はそういう訳じゃないんだけど……好きな人にチョコレートをあげる日だって、みんな言ってるよね」

「ママはパパが好きだから、パパにチョコあげるんでしょ?
 でも、パパはあんまり甘いの食べないよねえ」

「そうなんだよね〜、毎年、それが一番の悩みの種というか……。
 別にチョコじゃなくてもいいんだけど、一応チョコもあげないと拗ねちゃうし──今年は何にしようかなあ」

 はあっと大きくため息をついた零を見て、琉花がきょとんと首を傾げた。

 

 そしてバレンタインデーの前日、2月13日──今年は日曜日ということもあり、零は明日の準備のため、朝から大忙しだった。

 幼稚園が休みである事もあって、室井悠利も午前中から手伝いに来ている。

「悠利先生は、どんなチョコを作りたいですか?」

「えっと……慶司さんが『生チョコが食べたい』って言ってたから、できれば生チョコがいいかなって思ってるんですけど。
 生チョコって、作るの、難しいですか?」

「そうですねえ、どんなチョコでもそうなんですけど、やっぱり気をつけなきゃいけないのは、温度調節かなあ。
 慣れちゃえば簡単なんですけどね」

 くすくすと笑いながらも、キッチンに立った零はテキパキと準備をしている。

 いつもふんわりムードで、おっとりして見える零には意外なほど、動きには無駄がなく、手際が良かった。

 手伝おうと思っているものの、悠利はどうすれば良いのか判らず、ただ零の動きを傍でぼんやりと見守っているしかない。

「そう言えば……零さんから一番最初にもらったチョコレートが、生チョコだったって、慶司さんが言ってました」

 少し躊躇いつつ、悠利は思い出したようにぽつりと呟いた。

 東山は「もちろん義理チョコだったけどね」と言って笑っていたが、彼が零の事を好きだったことを考えると、悠利は複雑な気分に陥ってしまう。

(きっと嬉しかったんだよね、慶司さん……僕が同じチョコをあげたら、喜んでくれるのかな?
 零さんのチョコと比べられるみたいで、何だかちょっと、怖いけど)

 思わず悠利が小さくため息をつくと、頭上の棚からボールを取りだしていた零がくるりと振り返り、にこりと優しく微笑んだ。

「みんなに最初のチョコをあげたのは、私が海琉と一緒に暮らし始めた最初のバレンタインの時なんです。
 あの頃の私は本当に何にも判らなくて、みんなに迷惑ばっかりかけてました。
 その御礼をしたいと思ったから、新堂さんにこっそりリサーチしてきてもらって、お世話になっている人たちみんなにチョコをプレゼントしたんです。
 ──だって、私たちがこうして幸せでいられるのは、周りのみんなが良くしてくれているからでしょう?
 海琉は義理チョコだってバカにしてるけど、私にとってはバレンタインって結構大切な日なんです。
 それに、お歳暮やお中元と違って、何あげようかってあんまり悩まなくていいでしょ?
 私的には一石二鳥だな〜って思うんですけど、海琉は全然納得してくれなくて。
 でも懲りずに毎年やってるお陰で、チョコ作りは結構上手になったかもしれないですね。
 そういう意味では、一石三鳥だったかも〜♪」

 零の話を聞いていた悠利は、唖然としつつ、内心でたらりと冷や汗をかいた。

 そして、今もリビングで不機嫌な思いをしているであろう、零の夫である鷲塚海琉に心から同情してしまった。

 自分の愛する人が、たとえ「義理」とは言え、他の男に手作りチョコレートを贈っている姿を見るのは、愛すればこそ不愉快になるに違いない。

 バレンタインデーというのは、本来、恋人たちが愛を誓い合う日──らしいのだ。

 零がその事を知っているかどうかは判らないが、どうやらお中元・お歳暮とほとんど同じ感覚でバレンタインデーを見ている雰囲気がある。

 クールに見える鷲塚の方が意外とロマンティックで、乙女ちっくな零の方が現実的。

 この意外すぎる事実に、悠利は苦笑してしまった。

(ちょっと鷲塚さんが可哀想かも……同じ男として、同情しちゃうなあ)

 どうせなら、自分だけにチョコレート──ではなくても何かをプレゼントしてもらいたいと思っているに違いないのだ。

 零はいたって無邪気だが、これはさすがに少々罪作りかもしれない。

(お仕置きされても仕方ないって、零さん、判ってるのかな──?)

 そう思った途端、以前に見た鷲塚のお仕置きシーンがボンッ!と頭の中に蘇り、悠利は顔を真っ赤に染めてしまった。