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ValentineRhapsody


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 慌ただしく時間は過ぎゆき、いつの間にかもう2月に入っている。

 関東に大勢力を誇る広域指定暴力団「荒神会」の若頭である鷲塚海琉は、昨年の春頃から、綺麗で可愛く、家事能力に非常に長けた若い愛人と暮らし始めた。

 彼女の名前は鳴川零といったが、その存在はあっという間に荒神会中に知れ渡り、今でも絶え間ない噂話の種になっている。

 というのも、荒神会の鷲塚といえば、昔から冷酷非情と有名な男であり、誰がつけたのかは知らないが「死神」という異名まで持っていた。

 崩壊寸前だった古い体質の任侠集団「荒神組」を、荒神会という新組織に作り直した鷲塚は、組織内部ではまさに神のごときカリスマであり、その命令に逆らえる者などどこにも存在しない。

 天性の商才があるのか、新東海グループという会社を興し、瞬く間に巨大企業に成長させた鷲塚の手腕は、ヤクザのボスというよりは、極めて優れた経営者というものだった。

 しかし、極道としてはいまいちかと言えばそんな事はなく、金属的なグレイの瞳で冷ややかに睨まれれば、その辺のヤクザが束になっても敵わないほどの迫力があった。

 当然、喧嘩はとてつもなく強く、あまり大きな声で宣伝はできないが、射撃の腕もまた百発百中であるらしい。

 彫りの深い秀麗な面立ちは文句のつけようがないほど端整であり、圧倒されそうな身長と、無駄のない筋肉に鎧われた見事な体格の持ち主であるため、外国ブランドのダークスーツが他の誰よりも様になる。

 ニヒルな微笑を浮かべれば成熟した男の色気が漂い、女達は一様にその姿に見惚れる──強い牡に惹かれるのは、牝の本能的な性なのだろう。

 まさしく超一流の男である鷲塚が、こともあろうに一回り以上も年齢の離れた愛人を作ったと噂が流れた時は、多数の構成員を抱える荒神会の中に凄まじい衝撃が走った。

 そしてさらには、荒神会総長荒神勳の一人娘薫との婚約話を突然破棄した鷲塚は、その後はその若い愛人と一緒に仲良く暮らしている。

 荒神会恒例の新年会に姿を現したのは、まだ美少女といっても良いほどに可憐でたおやかな麗人であり、その曇りのない清純な笑顔はまさに天使のようであった。

 掃き溜めに鶴──と言って良いほど、強面の男達の中で零の存在は浮き上がっており、誰もが物珍しげな好奇の視線を送ったのだが、途端に鷲塚の凄絶な眼光に睨まれる。

 たった1つの宝物を守護する竜のごとく、鷲塚の威圧感はいつもにも増して強烈であったが、しかし当の零は柔和な聖母のような微笑みを、誰彼構わず惜しげもなく振りまいていた。

 どれほどいい女と付き合っていても、素っ気ないほど冷淡な態度をとっていたかつての鷲塚を知る組員たちは、その瞬間、どうやら鷲塚が異常なほど零に惚れ込んでいるらしいということを悟る。

 髪の毛一筋渡さないとでも言いたげな鷲塚の独占欲は、非常に恐ろしいものがある。
 と同時に、何やら不思議な安心感が男たちの間に生まれた。

 常に冷静沈着であり、どんな時も感情を表さない冷酷な「死神」も、ただ1人の女の前では自分たちと同じ「男」でしかないのか──。

 そう思ってしまえば、手の届かない絶対無比の存在だった鷲塚に対して親近感も湧いてくる。

 そして、彼らの興味と好奇心は、自然、鷲塚のオンナである零へと向けられることとなった。


(──でもまあ、零さんの事は、若頭の次に俺が詳しいからね)

 鷲塚と零の住まうマンションに向かいながら、新堂は唇ににんまりと微笑を浮かべた。

 鷲塚が零を監禁し、その見張り役となった役得と言おうか、他の者たちが知ることのできない零の姿や性格を、新堂は間近に見ることができた。

 ずっと傍にいたせいか、零も新堂に対しては心を開いてくれているようで、いつも親しげに話しかけてくる。

 今日も、「明日お休みなら、昼ご飯を食べにきませんか?」と、零から誘ってくれたのだ。

 さすがに鷲塚に内緒で部屋にお邪魔するのは憚られたため、一応、ダメもとで恐る恐るお伺いを立てたのだが──驚いた事に、鷲塚は怒る風でもなく許諾してくれたのである。

 これぞ奇蹟!と小躍りしそうな気分で舞い上がっていた新堂を、若頭補佐である高宮は呆れ果てたように眺め、無口な鉄面皮にしては珍しく嘆くように宙を仰いだ。

 54階建てという超高層マンションの最上階までエレベーターで上がった新堂は、玄関ドアの前までくると、思わずネクタイを締め直していた。

 新堂が零に惚れていることは、鷲塚も高宮もとっくに気づいており、今のところ気づいていないのは零本人だけといった奇妙な状況となっている。

 鷲塚に男惚れし、忠誠を誓っている新堂は、もちろん鷲塚を裏切るような真似をするつもりはさらさらなかったが、それでも惚れた相手の前では自分を格好良く見せたいという程度の見栄はあった。

 ドアフォンを鳴らすと、ドアの向こうから明るい声が聞こえる。

 ドアを開けて顔をのぞかせた零は、新堂を見つめるとにっこりと微笑み、招き入れるように大きく扉を開けてくれた。

「いらっしゃい、新堂さん」

 この優しい笑顔に魅せられ、荒神会の中ではにわかに「零ちゃんファンクラブ」ができあがっていたが、当然のごとく新堂もメンバーの一員となっていた。

 ちなみに、ファンクラブ会長は、何故か極道から足を洗ってカタギに戻ったはずの古谷である。

 カタギに戻ったとは言え、荒神会の元幹部であり、いまだに隠然たる権力を持っている古谷は、本人曰く、「馬鹿な若者が暴走しないためのお目付役」になったつもりらしい。

 しかし、どうやらこれには鷲塚の策略が裏で働いているようであった。

(──若頭を裏切るつもりはないけど……よろめきそうなほど可愛い)

 一応、鷲塚の信頼を得ていると自負する新堂は、にやけそうになる顔を引き締め、きっちりと礼儀正しく挨拶をした。

 荒神会の中では「愛人」とみなされている零ではあったが、鷲塚が自分のオンナだと宣言している以上、決して失礼があってはならない。

 しかし零は自分の立場を理解しているのかいないのか、まるで親しい友人に対するように、どこまでも親密な態度を崩そうとはしなかった。

「今日はね、新堂さんの好きなオムライス作ってみたんですよ。
 でも今日は和風味だから、お口に合うかどうか判らないですけどね」

 エプロンをつけた零は、まさに幸せ一杯の新妻という雰囲気があり、ふんわりと暖かな空気が零の周囲を取り巻いているようにさえ感じられる。

 自分の好物と零の笑顔につられ、思わずデレッとしてしまった新堂は、慌てて小さく咳払いをして表情を引き締めた。

 ところが──。

「やっほー、新堂君。ここのところご無沙汰だったけど、元気にしてた?」

 ダイニングテーブルに座っている先客の姿を認めた瞬間、新堂の甘やかな幸福感は一気に吹っ飛び、反射的な警戒心が沸き上がってきた。

「か…薫さん! どうしてここに?」

 愕然として新堂が訊ねると、薫はルージュの塗られた唇を綺麗につり上げ、からかうような微笑を浮かべた。

「君と同じで、ランチに招待されたのよ──がっかりした、2人きりになれなくて?」

 図星を指されたが、さすがにそれを顔に出すほど新堂はお子様ではなかった。

 一応、かつては渋谷のホストクラブでナンバーワンを張っていたのだ──もっとも、最近ではその頃の自分がどうしたことか全く思い出せなくなってはいたが。

「──と言うより、薫さんがからむと、またとんでもない事に巻き込まれそうで不安です」

 それはそれで真実であり、実際にまた何か良からぬ事を企んでいるのではないかと思い、新堂は内心で身構えた。

「やあねえ、別に何も企んでないわよ。あたしの事、信用できないの?」

「出来る限り信用しようと努力はしてますが、往々にして裏切られてますね」

 新堂が皮肉で返すと、どうやらその返答が気に入ったらしく、薫は声を立てて笑い出した。

「新堂君にまで、海琉の毒舌が感染しはじめちゃってるの?
 まあ、そんなとこに突っ立ってないで座ったらどう?
 そもそも、あたしも呼ばれてることを知ってたから、海琉は君がここに来ることを許したんだしね」

 薫の言葉に、新堂はがっくりと肩を落とした。