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ValentineRhapsody


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 古谷が言うところの「華麗な批評」がどの程度のものなのかは判らなかったが、新堂は古谷邸で勤めるコックに心から同情した。

 そして、古谷の好みが「ゴディバのトリュフ」という事を聞き出しはしたものの、初めてのチョコレート作りに挑戦する零にとっては、かなりハイレベルな代物ではないだろうかと不安にもなる。

「──じゃあ、零さんの手作りと、ゴディバのチョコなら、兄貴はどっちを選びます?」

 新堂に質問に、古谷は片眉をつり上げると、からからとおかしそうに笑い出した。

「決まってるだろうが、当然。
 ゴディバはいつでも食えるが、零ちゃんの方はそうはいかねぇ。
 零ちゃんの愛がこもってれば、少々不味くても美味く感じられるだろうよ」


 最後のリサーチは東林総合警備株式会社の社長東山のみ。

 いかにもエリートという風貌で、眼鏡をかけていてさえ誰もがハンサムだと言う若き独身社長は、いつも綺麗な秘書に囲まれており、女子社員にも大人気という評判だった。

 様々な所で浮き名を流している東山であったが、鷲塚から零の身辺調査を頼まれた時から、異常なほど零の事を気に入っている。

 零に対する古谷の言動は、保護者的な要素が多分に混ざった冗談めいたものが多いのだが、東山に関しては、新堂でさえ少々アブナイものを感じていた。

 物腰の柔らかい、スマートな青年実業家という顔をしているが、その本質はおそらく相当のサディストなのだろう。

 新東海グループ会長私設秘書という一般人向けの名刺を用意しておいた新堂は、社長との面会を正式にとりつけておいたため、正々堂々とオフィスビルの玄関ホールに足を踏み入れた。

 たとえこの会社の地下に荒神会の総本部事務所が大々的に構えられていようと、地上部で働いている人々はほとんどがカタギであるため、新堂もさすがに本業を名乗るわけにもいかない。

 一応、カタギのサラリーマンに見えるであろうシングルのビジネススーツを身につけた新堂を見た途端、社長室のデスクで電話をかけていた東山は、少し驚いたように目を見張った。

「ふーん、そうやって普通っぽいスーツ着てると、君は一般人に見えるんだね、新堂君。
 高宮はどこから見ても極道だけど、そうしてると君はカタギに見えるよ。
 会長が君をメッセンジャーとして重宝がるのも、その辺に理由がありそうだな」

「俺としては少々不本意ですが、まあ、若頭の……いえ、会長のビジネスは幅が広いですから。
 俺のシノギも、以前と比べればずいぶんと幅が広がりましたね」

 当たり障りのない返答をした新堂は、保留中だった受話器を取り上げ、手早く用件をまとめた東山の怜悧な横顔を眺めていた。

「古谷さんと東山は一流の詐欺師になれる」と以前高宮が言っていたが、確かにこの二人には心の中を全く見せないという共通点があった。

 しかしそれを言うなら、常にクールな鷲塚や高宮とても同じことだろう。

「──それで、わざわざこの名刺を持ってきたということは、何か特別な用事でもあったのかな?」

「特別な用件というより、とある特別な人からの頼まれ事です。
 去年は東山社長にもいろいろお世話になったから、バレンタインにチョコレートを贈りたいと。
 どんなものがお好きなのか、是非聞いて来て欲しいと、彼女から頼まれました」

 新堂の話を聞いていた東山は、双眸を細め、唇を微笑の形につり上げた。

「その謎めいた麗しの君が、わざわざ私にチョコをプレゼントしてくれるって?
 本命というなら嬉しいけど──まさか、とっても怖い亭主がいるって事はないだろうな。
 いくら私でも、極道のオンナを寝取るほどの度胸はないよ」

「知らず知らずに食っちゃったって可能性はあるんじゃないですか、東山社長なら?
 バレなければいいけど、本当に気を付けてくださいよ。
 自分のオンナを寝取られたなんて判ったら、マジで制裁受けますからね」

 余計なお節介と思いつつそう言っていた新堂は、依頼者の名前を明かさぬまま話し続けた。

「でも、仰る通り彼女にはもの凄く怖い亭主がいますので、この件は本当に内密です。
 もしバレたら、彼女だけでなく、あなたにも何が起こるか判りませんからね」

「ずいぶんとスリリングだが、そういう方が恋愛は楽しいね。
 不倫というのも悪くはないが──確かにバレると厄介だな」

 東山はくすくすと笑い出すと、無表情を保っている新堂の顔を見上げた。

「僕の好みとしては……そうだな、生クリームがたっぷり混ざった生チョコかな。
 冷たく冷やしておいたチョコを、彼女の裸の白い胸の上に置いて、溶かしながら食べるっていうのがいいね。
 チョコと一緒に、その人も食べてしまいたい」

 仕事の話をしている時とほとんど変わらない平静な表情で、淡く穏やかな微笑を湛えていた東山は、全く照れる様子もなくそう言った。

「それは……とてもセクシーな食べ方ですね」

 束の間唖然としていた新堂が辛うじてそう応じると、眼鏡の奥にある怜悧な瞳が微笑むように細められた。

「そうだろう? ──ちょっと想像してみてごらん、新堂君。
 ゆっくりと、焦らすように愛撫をしてゆくうち、胸元に置かれたチョコレートが、興奮して火照った身体の上で溶け出す。
 快感で身悶える彼女の白い身体の上を、とろけたチョコが流れ落ちてゆく。
 その甘い雫を舌で舐めとってゆけば、お互いに天国が見られるというわけだ──愛する人なら、なおさらね」

 滑らかな東山の口調に暗示をかけられたように、新堂は思わずリアルに想像してしまい、腰から背筋にぞくりと駆け上がった快感をごまかすように咳払いをしていた。

「──おや、顔が赤いよ、新堂君」

 さも楽しげにくつくつと笑った東山を思わず睨み、新堂は妄想を振り払うように宙を仰いだ。

「とりあえず、東山社長は生チョコがお好きだって、彼女に伝えておきます。
 どうか、くれぐれもこの件に関しては内密に。
 東山さんのその想像も、あまり口外しないことをおすすめしますね」

 しつこく念を押す新堂を見つめ、東山は何を考えているのか全く判らない、ひどく謎めいた微笑を浮かべた。

「私もまだ命は惜しいから、君の言う通りにしておこう。
 どうやら彼女のご主人は、本当に怖い人らしいから。
 しかし……極妻からのチョコレートなんて、たとえ義理とは言え、ちょっと緊張するものだね」

 「極妻」という言葉は、あのおっとりとした零にはどう考えても似つかわしくない。

 そんな事を内心で考えつつ、新堂は礼儀正しく社長室から出ていこうとした。

 ところが、重厚な両開きのドアを閉めようとした時、不意に東山が呼びかけてきた。

「新堂君──零ちゃんによろしく言っておいてくれ。
 手作りチョコを心から楽しみにしていると。
 ついでに私の希望を叶えてくれたら、もっと嬉しいけれどね」

 バタンと扉を閉めた新堂は、どうやら東山が最初から気づいていた事を悟った。

「……やっぱり、侮れない人だ」

 カタギとは言え、あの鷲塚のブレーンの一人であり、表社会の危機管理を担当する東山であるから、相当の切れ者であることは確かだった。

(──そういえばあの人、零さんなら10億出しても買うって言ってたよな。
 可愛く着飾って、ずっと家に置いておくとか何とか。
 ……それで、ああいう事を零さんにやってみたいってわけですか。
 さすがあの薫さんと話が合うというか、同じ穴のムジナというか──ホントに鬼畜だ)

 まだドキドキと早鐘のように鳴っている心臓をなだめるように、新堂は深い嘆息をもらした。

 泣く子も黙る怖い極道の男であるはずの自分が、元荒神会の幹部だった古谷だけならともかく、どうしてカタギの東山にまで動揺させられなければならないのだろう。

 喧嘩というわけではないから負けたという気分にはならないが、それでも色事の話で元ホストの自分がたじろいでしまったというのが、少々どころではなく悔しかった。

(あ〜あ、それにしても、絶対にあの人メチャクチャ遊んでるよな。
 零さんにあんな事したいなんて若頭にバレたら、どうすんだ?
 そんな事より、あんな想像しちゃった俺は、これからどんな顔して零さんに会えばいいんだ?)

 際限無い自問自答の悪循環にはまり込んだ新堂は、ぐるぐると思い悩みながら、よろめくような足取りでエレベーターに乗り込んだのだった。