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ValentineRhapsody


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 紙袋の中には、30p四方の箱が入っており、そのケーキの大きさがうかがい知れた。

「うわ……いいんですか、こんなに大きなケーキもらっちゃって?」

「食べきれなかったら、他の人にも分けてあげてください。
 そんなに日持ちはしないから、一人で全部食べるのはちょっと無理かもしれないし」

 カッツェに置いてあったケーキ型はどれも大きく、その大きさより小さなものが無かった。

 そのため一人用にしてはずいぶんと大きなケーキになってしまったのだが──。

(俺って、結構、零さんに愛されてたりして……)

 その辺の事情を全く知らない新堂は、そのケーキ一杯に零の愛情が注がれているのだと、とても幸せな錯覚と誤解をしてしまい、満面の笑みを浮かべて喜んでいた。

「──それと、誕生日プレゼント、考えつきましたか?」

 新堂が後部座席に紙袋を置いた後、零はそう訊ねていた。

 問いかけるように小首を傾げた零の繊細な美貌を見下ろしていた新堂は、思い出したようにポンと両手を打ち合わせると、そのまま助手席側へと回った。

「これは、零さんへのバレンタインのプレゼントです。
 いつも昼飯ごちそうになってる俺の気持ちですから、どうか受け取ってください」

 不思議そうな顔をしている零に、その大きな花束を強引に手渡した新堂は、ホスト時代に鍛えた最高のスマイルを浮かべて見せた。

 淡いピンク色をしたチューリップの花束を受け取った零は、呆気にとられたように新堂の甘いハンサムな顔を見返した。

「……え、でも──今日は新堂さんのお誕生日ですよ?」

「俺の誕生日ですけど、バレンタインでしょ?
 ヨーロッパとかじゃ、日本みたいに女性から男性にってわけじゃないみたいだし。
 チョコじゃなくて、花やケーキを贈るのが習慣らしいですよ」

 そして贈る相手は──自分の愛する人……。

 そもそもバレンタインデーの起源は、西暦269年にまで遡る。

 その当時、兵士たちの自由結婚禁止という法律に反対していたバレンタイン司教は、ローマ皇帝に迫害され、処刑されてしまう。

 そして2月14日こそがこのバレンタイン司教が処刑された日なのだが、この日は後に、恋人たちの愛の誓いの日となったそうだった。

 ホスト時代に役だった蘊蓄を思い返していた新堂は、あえて軽い口調で説明した。

「零さんがこれをもらってくれる事が、俺へのプレゼントだと思ってください。
 零さんが喜んでくれたら、また俺に昼ご飯を食べさせてやろうって気分になるでしょ?
 この花束はまあ、そのための先行投資ってことで」

 ──チューリップの花言葉は「愛の告白」。

 さすがにバラはまずいだろうと思い、カサブランカかチューリップかで思い悩んだのだが、春も近づいていることだし、花言葉はぴったりだしということで、新堂はチューリップをセレクトしていた。

 その花言葉を零が知らなくても構わない。

 そしてそれ以上に重要なのは、鷲塚がその花言葉に気づかないでいてくれることだった。

 バラは……さすがに有名すぎるほど有名なだけに、どんな誤解を生じるか判らない。

 そのため即刻却下となったのだが、可憐なチューリップの花束は、柔和で優美な零の雰囲気を予想以上に引き立てていた。

「でも、プレゼントを贈ろうって思ってたのは、私の方だったんですよ」

 腕の中の花束を見下ろし、当惑したように呟く零を見つめ、新堂はにこりと微笑んだ。

「──じゃあ、1つだけ、俺のお願いを聞いてもらえます?」

 その言葉に、零は顔を上げ、ほとんど考える事なくこくりとうなずいていた。

 まさしくこの瞬間のために作戦を練っていた新堂は、脅かさないように気をくばりながら、すっと零の間近に顔を近づけた。

「一度だけキスをさせてください──零さんに」

 美しいセピアの双眸が驚愕で見開かれ、混乱にその瞳が揺れた時、新堂はくすくすと笑いながら自分の頬を指差した。

「ほっぺにチュッと──何があっても、俺は零さんの味方でいるって誓いますから」

 突然の事にほとんどパニック寸前だった零は、その言葉に驚き、じっと新堂の顔を見つめた。

 そして、ふっと表情を和らげて淡く微笑むと、零は少し照れたように話し始めた。

「……新堂さんは、いつも優しくて、励ましてくれて──私は本当に助けられていたんです。
 もしあなたがいなかったら、私、海琉の事がずっと怖くて、こんなに好きになれたかどうかも判らない。
 あの広い部屋にずっと一人でいて、新堂さんがいろんな話をしてくれなかったら、私は海琉の苦しみや悲しみに気づかないまま、自分の心を殺してしまっていたかもしれないんです。
 ──だから、今の私がいるのは、新堂さんのおかげかなって、すごく感謝してるんですよ。
 どんな事が起こっても、私は新堂さんの事をずっと信頼してます」

 零の言葉は不思議なほど素直にストンと胸に落ち、新堂はじんわりと暖まっていくような感激を味わったが、同時に物寂しさも感じた。

 ここまで純粋で疑いを持たぬ瞳を向けられてしまっては……哀しい男の下心を見せることも、その信頼を裏切ることもできない。

 かつては女達を散々騙して金品を巻き上げ、今もカタギには明かせぬ後ろ暗い仕事に手を染めているというのに、零の美しく澄んだセピア色の瞳だけには、本当の自分を見ていて欲しいと思う。

 その瞳が決して曇らぬように、その笑顔が失われぬように、自分にできる限りのことをしたいと思ってしまう。

 それは何とも不思議な感情で、今まで経験した片想いよりは遙かに純真無垢なものだった。

 まだ本当に小さい頃、母親に喜んでもらおうと必死だった幼心──それに近いものがある。

(──俺は、やっぱり零さんの笑顔が一番好きなんです)

 もちろん新堂とて心身共に健康な成人男性であるのだから、あんな事やこんな事をしてみたいという燃え立つ性欲はあるのだが、信頼を裏切って零に泣かれるぐらいなら、自分の獣には大人しくしていてもらう方がマシだと思えた。

 時間が経つほどに、その想いは大きくなる。

 高宮や古谷からは「甘い」と言われるかもしれなかったが、この想いを守るためなら、どんな非道な真似でもできる気がした。

「新堂さん──目を閉じていてくれますか?」

 どっぷりと甘く、切ない想いに浸っていた新堂は、零の声で我に返り、深くその意味も考えぬまま両目を瞑っていた。

 その瞬間、ふわりと甘い香りに包まれ、新堂は頬に柔らかく触れる唇を感じる。

 思考が完全に停止し、新堂が驚愕して目を見開くと、そこに頬を赤く染め、照れくさそうに笑う零の顔があった。

「私からの、感謝と信頼の気持ちです。
 やっぱり新堂さんのお誕生日だし……私がしてもらうっていうのも、何だか変ですよね」

 零が持っているチューリップの花弁ほどにも柔らかそうな唇が、確かに自分の頬に触れたのだと納得するまでに、新堂は少々の時間を要した。

 思わず確かめるように頬を押さえ、夢ではないだろうかと何度か瞬きをしていた。

(……や、やっぱり──可愛い……その笑顔のためなら、百万回でも死んで見せます!)

 興奮が激流のように全身を巡り始めると、新堂は心の中で高らかに咆吼した。

 頬に軽く触れるだけのキスが、これほどの感動を巻き起こしたことはかつてない。

 幸運の女神も、バレンタインデーの神様も、きっと自分を応援してくれているに違いない──思いがけぬ幸運に酔いしれつつ、新堂はそう確信していた。

 しかし、零の前であからさまに喜び、浮き足立つのも格好悪いかもしれない。

「最高の記念日になりましたよ、零さん──ありがとうございます。
 ところで、今から買い物に行くなら、送っていきましょうか?」

 男としてのプライドを保つように背筋を伸ばした新堂は、花束を抱えている零を見つめ、そう言いながら自分の車を指差した。 

「でも、このお花、水に生けておかなきゃ可哀相だから、一度部屋に戻ってきます」

「じゃあ、俺はここで待ってますから、花束だけ置いてきてください。
 どうせ方向は同じなんですから、その方が零さんも楽でしょう?」

 幸福の余韻をもう少し楽しんでいたいという内心を押し隠し、新堂が普段通りの口調でそう提案すると、零は少し考えるように首を傾げ、そして明るく微笑んだのだった。