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Whiteday Rhapsody


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 関東にその勢力を誇る広域指定暴力団「荒神会」の若頭補佐高宮は、3月13日の夕刻、東林総合警備株式会社の地下にある総合本部事務所に出向いた。

「──ご苦労様です」

 腰を同じ角度に折って出迎える組員を見やり、高宮は無言でうなずいた。

 そのまま奥の部屋に入ると、すぐに部屋住みの若い衆の一人が、緊張した面持ちでコーヒーを持ってくる。

「失礼します!」

 きっちりと九十度に腰を折り曲げた挨拶の後、その青年はウェイターのようにトレーを片手に抱えて運び、ガチガチに身体を緊張させながらコーヒーカップを高宮の前に置いた。

 黒革張りのデスクチェアに座っていた高宮は、スーツジャケットの内ポケットを探りながら、まだ20代前半の青年に視線を向けた。

「遠山──若頭はどうした? 今日はまだ出てきてないのか?」

「はい、本日はまだ。
 それと、先ほど新堂の兄貴から連絡がありまして、後ほどここに寄られるそうです。
 ……れ、零さんに関わる話があるから、古谷先生と一緒に相談したいと──」

 高宮がポケットから煙草を取りだした途端、遠山志郎はすかさず卓上のライターを手に取り、煙草に火をつけた。

 同業者から「鬼の高宮」と恐れられる若頭補佐の前で、間違える事なく、すらすらと答えられたのは、志郎にとってはかなり上出来だった。

 零の名前の所で思わずどもってしまったのは、やはりまだ動揺が残っているせいだろう。

 思い返すように視線を宙に泳がせてしまった志郎を見返し、常に見事なポーカーフェイスを保つ高宮が、わずかに太い眉根を寄せた。

「──古谷さんが?」

 何故かは判らないが、高宮はとてつもなく嫌な予感を感じた。

 鷲塚のオンナである零が関わると、大抵ろくでもない事件が勃発する。

 それに古谷が絡むとなれば、これはもう、最初からトラブル発生と考えた方が良さそうだった。

(……零さんの事になると、目の色が変わるからな、若頭は──)

 冷酷非情の死神と有名な鷲塚の最大の弱点は、10歳以上も年が離れた恋人の零だった。

 傍に長く付き添っている高宮も不思議になるほど、鷲塚は零に惚れ込み、それまで付き合いのあった全ての女と縁を切っている。

 確かに零は稀に見る美形であったし、身長が190センチを越える鷲塚と並んでも決して見劣りせず、神に定められた一対のように似合いのカップルだった。

 ただ零の性格はお人好しで、涙もろく、おっとりとしていて、とても鷲塚のあの性格に付いていけるようには思えなかった。

 優しいには違いないが、時々かなりの天然ボケで──もっとも、だからこそ狂気的な鷲塚の独占欲や支配欲を受け入れ、いつもふわふわと幸せそうに微笑んでいられるのかもしれない。

 煙草を吹かしながら天井を仰いだ高宮は、零によって引き起こされた様々な騒動を思い出し、思わず深い深いため息をついたのだった。

 その時、直立不動の姿勢で立っていた志郎が、遠慮がちな声で高宮に声をかけた。

「すみません、アニキ──明日の事でちょっと相談があるんですが、時間とらせていいっすか?」

 身長186センチと、一般的には長身に見られる志郎であったが、身長200センチ以上という高宮の前では小柄に見えてしまう。

 座っていても存在感のある高宮を前に、志郎は相談事の内容のせいもあって、少々及び腰になっていた。

「──明日の事? 何だ、言ってみろ」

 眉一つ動かさずに応じて視線を視線を向けると、志郎が焦ったように坊主頭を片手で掻いた。

「い、いえ、本当に大した事じゃないんですが……明日のホワイトデーに、零さんに何かお返しをしなければと、みんなで言ってまして。
 と言うのも、バレンタインの時、俺達もチョコ貰っちまいましたから──」

「──ホワイトデー……そんなのもあったな。
 もしかして、古谷サンがここに来るのも、それのせいか?」

「詳しい要件は聞いていないんですが──。
 とにかく、『貰ったんだから、何か返すのが常識だ!』と他のアニキたちも言ってますし。
 ただ、どうやって零さんに渡せばいいものかと悩んでしまいまして……」

「……なるほどな」

 灰皿に押しつけて煙草をもみ消した高宮は、低い声音で呟き、考え込むように頬杖をついた。

 額にわずかに冷や汗を滲ませた志郎の顔は、緊張と不安でわずかに引きつっている。

 おそらく、まだヒラ組員にもなっていない志郎が伝達役として選ばれたのは、大した事ではないこの件が、微妙な問題を含んでいるからなのだろう。

 零にプレゼントを贈りたい──しかし、若頭である鷲塚の目が怖すぎる。

 まずは鷲塚に確認を取らなければいけないが、その前に高宮に確認を取ってくるのは、最終責任をどうにか自分から逸らして安心したいがため。

 みんなでやれば怖くないというのは、どこの組織でも同じ事かもしれないが──。

(どうせ古谷さんもそれで来るんだろうし、とりあえずは預かっておくしかないわけか……)

 諦めたように嘆息した高宮は、困惑したような表情で立ちつくしている志郎を一瞥した。

「遠山──プレゼントを用意してあるヤツから、全部ひとまとめにして集めてこい。
 明日、俺が若頭に渡してくる。
 ただし、妙なモノを入れたら許さないと、他のヤツらにも警告しておけ」

「は、はいっ! すぐに集めてきます!」

 びしっと背筋を伸ばして返事をした志郎が退室すると、高宮はデスクの上に置かれた報告書に冷厳な視線を向けた。



「うひょ〜〜、これ、全部零ちゃんへの貢ぎ物ってか?」

 ライトグレーのダブルスーツに、チャイナカラーの黒シャツを着た古谷が、デスクの横に置かれた巨大なダンボール箱を覗き込み、驚きの声を上げた。

 荒神会とは縁を切り、一応「カタギ」の古谷ではあるが、自分のファッションを崩す気は全く無いらしく、相変わらず傍若無人に振る舞っている。

 この格好でも「古谷会計事務所」がやっていけるのは、荒神会の関係会社つまりフロント企業が一斉になだれ込んでいるため──。

 実務は子飼いの税理士や司法書士に任せ、社長本人はもっぱら表と裏の情報収集にいそしんでおり、巨額な金の流れをほぼ正確に把握していた。

「ところで、このプレゼントの中身、確認はしたんですか?」

 そう聞いてくるのは、このビルの地上部を統括する社長の東山。

 スマートなモスグリーンのスーツを着た東山は、眼鏡をかけた怜悧で秀麗なマスクと、品良く穏やかな立ち振る舞いで、誠実な青年実業家に見られる事が多い。

 しかしその本性は、極道顔負けなほどに傲慢で残酷……ついでにかなりの鬼畜根性の持ち主だった。

 東山に遊ばれる女も男も、いつの間にか自分だけが愛されているのだと思いこみ、這い上がる事のできない泥沼にはまり込む。

 そうやって身を滅ぼした人間たちを、高宮は何人も見てきていた。

 ──その東山が何故古谷と共にいるのは判らなかったが、どうやら首を突っ込んでくるのは間違いない。

 ますます嫌な予感に拍車がかかり、高宮は眉間を押さえながら首を横に振った。

「まだだ──遠山が、ついさっき運んできたばかりだからな」

「中身は確認した方がいいですよ。
 まさかこの中に爆弾が仕込まれてるって事はないでしょうが、零ちゃんにあげるんだったら、念のためにね」

 さすがに危機管理を担当しているだけあって、東山は非常に用心深い。

「上にある金属探知器と透視を使ったら、ある程度は判るな。
 それで分類して、怪しげなヤツだけ開けてみれば、時間の短縮になる」

 ダンボール箱から綺麗にラッピングしてある箱を手に取り、東山は中の音を聴くように耳の傍に箱を当てた。

「まだ、うちの社員が残業で残っていると思うから、これを持って行ってくればいい。
 あまり長居をすると騒ぎになるだろうから、とりあえず分類だけしておいで」

 東山は腕時計を見下ろすと、愕然とした面持ちでダンボールを覗き込んでいる新堂に言った。

「俺が行くだけで怪しまれるんじゃないですか?」

 新堂が当惑したように首を傾げると、東山は社員用IDカードを手渡した。

「他に何も言わず、『社長に頼まれた』とだけ言えばいい。
 後は向こうで勝手に推測してくれるだろうからね。
 君ならアイドルになる事はあっても、怖がられる心配はまずないよ──営業スマイルさえ忘れなければ」

「……はあ」

 納得いかないというように曖昧にうなずいた新堂を見て、古谷がくすくすと笑った。

「心配すんなって、新堂──自分たちの社長が極めつけのプレイボーイだってことは、社員一同よ〜く知ってるだろうからよ。
 どうせまたどこかで女からいろいろ貢がれたんだって、勝手に誤解するんだろうよ」

「明日はホワイトデーだから、逆のような気もしますけどね。
 まあ、中身を確認しないで零さんにあげるのは心配だから、行ってきます」

 大きなダンボール箱を両腕に抱えた新堂は、その重みに思わず眉をひそめた。

「結構入ってるな──いったい、何が入っているだか」

「公然と零ちゃんにプレゼントを贈れるチャンスだから──非常に楽しみですね」

 眼鏡の奥の涼やかで怜悧な双眸を細め、東山は魅惑的で謎めいた微笑を唇に刻んだ。