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舞の刻



<16>



「それが判るなら、事件は解決したようなもんだろ?

 これは内緒の話だけど、最初に殺された男も、玲熙にちょっかいだそうとしてたんだ。
 竜泉閣ホテルに連れ込まれそうになったって、後で玲熙が言ってた。

 ──とにかく、玲熙を傷つけようとした人間を、犯人が襲っているように見えるだろう?
 それが共通点だから、みんな玲熙に近づくのを恐れるようになったんだ。
 直接いじめると、自分が殺されるかもしれないから、みんな玲熙を無視しはじめたんだよ。
 それでもようやく、忘れかけてた頃だったのに……」

 それを聞いた途端、丞は嫌な気分に襲われた。

 玲熙を守る鬼。しかし本当に守っているのだろうか。
 どう考えても、玲熙を追いつめていっているようにしか見えない。

 その時、電話が驚くほど大きな音を立てて鳴り始めた。

 考え込んでいた丞は我に返ると、電話に出るためにその場を立った。

(──もしもし、丞かい? 父さんだけど)

 電話を取った丞は、受話器から聞こえてくるあまりに脳天気な声に苦笑した。

「ああ。……今、どこに?」

(うん、出雲にいるんだ。ごめん、今日も帰れそうにない。
 明日の昼頃帰るけど、その後、東京に出張なんだ。
 丞には会えないかもしれないね。

 そっちはどう? 元気でやってるかい?)

 丞は事件の事を話そうかどうかと躊躇ったが、結局余計な心配をかけたくなかったため、黙っていることにした。

「ああ、俺は元気だよ。──じゃあ、気を付けて」

 受話器を戻すと、丞は大きく息を吐き出した。
 それを応接間から見ていた融は、くすくすと笑いながら感心したように言った。

「タスク君ってば、結構良い子にしてんじゃん」

「俺はいつでも良い子だよ、おまえさんと違ってね。
 しかしまあ、父さんが帰ってこない方が気楽かもな。
 この傷の言い訳を考える暇ができた」

 丞がにやりと笑うと、融は「まあ!」と素っ頓狂な声を上げ、両頬を押さえて不気味なしなを作った。

「タスクさんってば、ワイルドねえ。あたし、惚れちゃいそう」

「やめろ、バカ。それより、もう8時だぞ。帰らなくていいのか?」

「平気、平気。うちの鬼ババは、俺が1日2日いなくたって、全然心配なんかしませんって。
 それより、夕飯まだなんだろ? 出前でも頼む?」

「この辺に出前をしてくれる店なんてあったか?」

 商店街を思い出していた丞に、融はにっこりと笑って答えた。

「竜泉閣ホテルに入ってるピザ屋だけどね。
 ちょっと遠いけど、俺の家ほどじゃないから大丈夫だよ。
 俺がこの前出前頼んだら、めっちゃ不機嫌そうだったからなあ」

 奥ゆかしい割烹旅館の屋敷を思い出した丞は、心から宅配人に同情した。
 さぞかし敷居が高かったに違いない。

 融は軽やかな足取りで電話に向かい、宅配を頼んでいたが、はたと思い出したのか「ここの住所は?」と大声で叫んだ。
 丞がそれに答えると、「南沖月東でーす」と間延びした声で答え、受話器を置いた。

「三十分くらいで来れるだろうってさ。適当に頼んじゃったけど、良かった?」

「ああ。それにしても、おまえの家に行く宅配人は可哀想だな。
 青津橋の上にある屋敷だろう、融の家は? 滝の横にある……」

 すると融はきょとんとした顔になり、不思議そうに訊ねた。

「あれ、何で知ってるんだ?」

「竜宮郷に行く前、滝を見に行ったんだ。
 そうしたら、隣にでかい屋敷があったからな。表札に名前が書かれていた」

「なあんだ、そうか。まるで幽霊屋敷みたいだろ、あの家。
 母親が趣味で料亭旅館をやってるんだけど、俺はあの家、辛気くさくて嫌い。
 俺の憧れは、夜景の見える豪華高層マンションだね、やっぱり」

 ずっと田舎に住んでいるせいなのか、妙なものに憧れるものだと丞は思った。
 広い屋敷に住み慣れていれば、どれだけ広いマンションでも、息がつまるはずである。

「広くて良いじゃないか。俺みたいな図体のでかい奴がいると、マンションだとウサギ小屋同然だからな」

「広いったって、隠岐宮家の屋敷に比べれば犬小屋だぜ。
 隠岐宮家といえば、この島の領主みたいなもんだからな。
 桜坂グループが買い占めた南沖月以外は、ほとんどが隠岐宮家の財産なんだ。

 隠岐宮家の本家は、竜海山の山頂にあって、昔の寝殿造りみたいな豪邸だぜ。
 母屋があって、東西南北にそれぞれ別邸があるんだ。
 母屋の前には広い回遊池を巡らせた庭があるし、他にも苔庭や枯山水があるってわけ。

 沖月島の人間は、あの屋敷を『鬼御殿』って呼んでいるんだ。
 確かに御殿って感じだからな」

 その言葉を聞き、丞は眉間に皺を寄せた。

「鬼御殿?」

「ああ。隠岐宮家は鬼塚森神社の宮司の家系だからな。
 その当主は代々能の名手でもあるしさ。
 ──玲熙も能を舞うんだぜ。

 一度『羽衣』を舞っているのを見たことがあるけど、さすがの俺も背筋がぞくぞくしたね。
 まさに天女の気品ってやつでさあ。
 あいつを襲いたくなる奴がいるのも、当たり前だって思っちゃった」

 ほとんどバスケ専門で生きてきた丞にとって、能楽というのはテレビや写真でしか見たことのないものであった。
 苦手な古典を題材にしているとくれば、敬遠するしかない世界である。

 その時、ふと明け方見た夢を思い出した丞は、おそらく自分よりは能楽に詳しいだろうと思われる融に訊ねてみた。

「おい、融。『非情無心の草木の、花に憂き世の科はあらじ』って言葉に聞き覚えは?」

 丞の言葉に、融は首を傾げて不思議そうな顔をした。

「丞、あんたって、能を知ってる人だっけ?」

「いや、まったく判らん。それで、知ってるのか?」

「一応はね。玲熙ほど詳しくはないけどさ。
 その言葉は『西行桜』に出てくる桜の精の言葉だったかな。
 でも、何であんたが知ってるんだ?」

 ますます不思議そうな顔をする融に、丞は夢の話を語って聞かせた。

「うっひょー、風流だねえ。俺だってそんな夢は見たことないぞ。
 あ、もしかして、タスクちゃんって、結構ロマンティストだったりする?」

「茶化すな。俺が一番驚いているんだから」

 丞が憮然とすると、融はくすくすと笑って腕を組んだ。

「そうだなあ。あんたはヨーロッパ騎士道なら似合いそうだけど、能楽って感じはしないもんね。
 バター顔だしさあ」

「悪かったな。おまえが能に詳しい事の方が、よっぽど意外だぞ。
 普通の人間には、あまり縁のない世界だろう?」

 頬杖をついた丞を見て、融は複雑な微笑を浮かべた。

「滝沢家は、一応、隠岐宮家と縁続きだからね。
 正確に言うと、隠岐宮家の分家筋である沖守家の分家。
 だから、俺と玲熙の関係より、俺と要さんの方が、血筋としては近いわけ」

 丞には縁のない話を、融はさも当然というように続けた。