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舞の刻



<2>



 ホームルームが終わると、途端に教室は凄まじいほどの狂乱状態に陥った。

 女子生徒たちが丞の机の周りにどっと押し寄せて来ると、口々に自己紹介をしていく。

 内心でその迫力にひるみつつも、丞は軽く微笑みを浮かべて熱烈な歓迎を受けた。

 怒濤のごとき少女たちは、自己紹介を終えると、まるで潮が引くように、慌てて自分たちの席に戻っていった。

──何なんだ、いったい?

 彼女たちの行動に呆気にとられていた丞は、右隣でくすくすと笑っている男子生徒の方に視線を向けた。
 英語の単語帳を開いたまま、彼はひとしきり笑っていたが、丞の視線に気づくとやや固い微笑を浮かべた。

「ああ、ごめん。悪気はなかったんだ。
 今日はね、休み明けのテストがあるんだよ。
 女の子たちも本当は勉強したかったんだろうけど、好奇心には打ち勝てなかったんだな。
 そう思うとさ、つい面白くなってね」

 細い銀のフレームの眼鏡をかけたその男子は、いかにも優等生といった雰囲気の持ち主であり、彼は生真面目な口調で自己紹介をした。

「僕は有馬正志(アリマ マサシ)。今日からこのクラスの学級委員長になった。
 といってもクラス替えなんてやらないから、去年も同じメンバーだったし、委員のメンバーだって変更なしってわけ。決め直すのも面倒だろ?
 というわけで、判らないことがあれば何でも聞いてくれ。
 よろしく、峰月君」

「ああ、よろしく。
 ……ところで、テストってのは?
 転校早々テストっていうのも、笑えない話なんだが」

 眉間に皺を寄せた丞を見て、有馬正志は憐れみを含んだ目で笑った。

「1年の総まとめテストさ。
 春休みにちゃんと勉強していたかどうか確認するんだ。
 まあ、誰も君に良い点を取ってもらおうとは思ってないだろうから、安心すればいいよ。
 引っ越しとかでいろいろ大変だっただろうし、勉強なんてろくにできなかっただろうからね」

 言葉の端々に皮肉の棘を感じ、丞は軽く肩をすくめた。

「仕方がないさ。運命だと思って、諦めるしかない」

──転校生はどこに行っても異端者だな。

 何度も転校を繰り返してきた丞の心の中を、冷めた思いがちらりと過ぎった。


 その時、後ろのドアが勢いよく開き、誰かがバタバタと駆け込んできた。

「いやあ、始業式早々、寝坊しちまった。
 センセ、怒ってなかった?」

 制服を着崩し、教室に駆け込んできたその生徒を見て、正志は唇を片端だけ上げて微笑を浮かべ、皮肉っぽく言った。

「全然。呆れ果てているようだったがね。
 僕の見るとろこ、すでに諦められているんじゃないのかな、トオル君?」

「相変わらずイヤミな奴だねえ、マサシ。
 今に絶対友達なくすぞ」

 トオルと呼ばれた男子は、窓側の一番後ろの席に鞄を放り投げると、丞を見て不思議そうに首を傾げた。

「転校生だよ。名前は峰月丞君。
 峰月君、こっちのアホは滝沢融(タキザワ トオル)。
 竜桜学園高等部2年の一番のお騒がせ者だよ」

 マサシが丞に紹介をした。

 大きなアーモンド型の目をきょとんと見開いていた融は、しばらく丞の顔をじっと見つめていたが、何を思ったのか突然大声を上げた。

「ああーっ! あ、あんたは!!」

 融の予想外のリアクションにぎょっとした丞は、同様に驚いているらしい正志の顔を見、融の顔を見直した。
 融の大声によって、クラス中の注目が集まっている。
 あの夢ように美しい少年も、一瞬だけ振り返った。

「うるさいぞ、融。何なんだよ、いったい」

 少し怒ったような口調で正志がそう言うと、融は無邪気なほど嬉しそうな顔になり、丞の手を強引に取ってブンブンと握手をした。

「あんたのこと、俺、知ってる。
 清南学園で、1年の時からレギュラー入りしたミネヅキジョウだろう?
 選抜であんたのダンクを見て、俺、ムチャクチャ感動したんだぜ。
 まさか、あんたがうちの高校に来るなんてなぁ。
 うちの弱小バスケ部にとっては希望の星だ。
 ──もちろん、バスケ部に入部してくれるだろっ?」

 マシンガンのようにまくし立てられ、丞は一瞬思考回路が麻痺し、思わずまじまじと融の顔を見つめた。
 感動しきっていた融は、その途端ぱっと手を放し、慌てたように言った。

「あ、ごめん、怒った?
 俺らしくもなく、つい興奮しちまった」

「いつものことだろ、それは」

 絶妙の間合いで正志がそう言うと、融は片眉を上げて彼を睨んだ。

「うるせえな、マサシ。俺の感動に水を差すんじゃねえよ」

「そんなことより、いいのか? おまえ、テスト勉強全然してないだろ」

「……うるさい。テストがなんだ。
 俺はそんなものに縛られるほど、おバカではない」

「ほーお、言ってくれるね、トオル君。
 進級が危なくなって、一生懸命に家庭教師をしてあげたのは、どこの誰だったかねえ?」

「あれが家庭教師と言えるか!
 間違える度にパコパコ殴りやがって。
 お陰で俺の脳細胞君たちが、どれほどお亡くなりになられたか、おまえに判るか?」

 融の声が心なしか力無いものになっていた。

 優秀な学級委員長と融の掛け合い漫才のような口論を聞いていた丞は、その途端吹き出してしまい、声を上げて笑い出した。

「そらみろ。君のスターにもバカにされてるじゃないか」

 いつの間にか険のとれた穏やかな顔になっていた正志が融に告げると、彼はすねたように唇をねじ曲げた。

「おまえがチャチャ入れるからだ。
 それにしても、実物をこう改めて見ると、やっぱ断然カッコいいなあ。
 うちの制服すら別物に見える。
 ──そのうち、あの幻のダンクを見れるかと思うと、トオル君、超ハッピー」

「1人で幸せに浸ってろ、バカ者。ほら、テスト始まるぞ。着席!」

 正志に言われて、夢の中から引き戻された融は、慌てたように着席した。

 思わず微笑んでいた丞は、慌てふためいて英単語帳を開いている融を見やった。

 日に焼けた赤茶色の髪が肩口まで伸ばされている。
 僅かにつり上がった瞳はくるくるとよく輝き、まるで小さな子狐のようにも見えた。
 線の細い繊細な顔立ちであり、美少年とすら言えたが、その性格のせいか悪ガキにしか見えなかった。
 しかし、底抜けに明るい性格がクラスにも伝染したのか、いつの間にか先ほどまで教室に漂っていた鬼気迫るような緊張感が薄れていた。

──やれやれ。それにしてもバスケ部か……。

 丞は目だけで天井を仰ぐと、内心で深いため息をついた。