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舞の刻



<20>



 2時限目終了のチャイムが鳴り、それから3回ほど丞はチャイムの音を聞いた。
 しかしそれでも、丞は玲熙を見つけることができなかった。
 人のいない場所を選んで捜していたのだが、それらしい姿はどこにもない。

 いつの間にか、丞は高等部校舎の屋上まで来ていた。

 屋上を見渡した丞は、そこにも玲熙の姿がないことを知り、深いため息をついた。
 広いとは思ってはいたが、まさか人1人捜すのにこれほど苦労するとは思いもしなかった。

 屋上を囲む鉄柵に歩み寄った丞は、まだ校舎の前にたむろしている記者たちを見下ろし、忌々しげに舌打ちをした。
 考えてみると、やはり朝の行動はあまりにも浅慮だったと思わざるをえない。
 もう少し考えれば、もっと穏便に済ます方法もあったかもしれないのだ。

──しかし、あの時は頭より先に身体が動いていたからな。

 丞は苦笑を浮かべ、きらきらと水面が光っている鬼ヶ浦を眺めた。
 竜海山の森が鬱蒼とした緑に輝いて見え、その合間に朱塗りの鳥居が見えた。
 視線を移すと、沖月島の南側には近代的な竜泉閣ホテルが見え、それはひどく場違いな雰囲気に見えた。

──古い隠岐宮家と、新興の桜坂家か……。

 融の説明によれば、桜坂グループの創始者である桜坂栄造は沖月島出身らしい。
 貧しい漁師の家に生れた彼は、戦争で生き残った後、身一つで上京し、戦後の動乱と朝鮮戦争によって財を築き上げ、桜坂グループを起こした。

 政界と財界に太いパイプを構築した後、隠然たる力を持つに至った桜坂家は、かつて沖月島全土を支配していた隠岐宮家から南沖月を買い占めたという。
 当時困窮していた隠岐宮家にしてみれば、山頂の屋敷を手放さないためには、小さな漁港と漁村であった南沖月を売るしかなかったらしい。

「……まるで、下克上だな」

 ぼそりと呟いた丞は、4時間目終了のチャイムが鳴る音を聞いた。

 その時、屋上に上がってくる階段の扉が開く音が聞こえた。
 ゆっくりと丞が振り返ると、そこには玲熙の兄である隠岐宮晴熙の姿があった。

 晴熙は丞を見て驚いたようであったが、淡く微笑を浮かべて歩み寄ってきた。

「峰月君だよな。君も玲熙を捜してくれてるところだってね。
 今、教室に行ってみたら、融がそう言っていたよ。
 でも、その様子じゃあ玲熙はまだ見つかっていないみたいだね」

「──ええ、残念ながら。晴熙さんもずっと捜しているんですか?」

 隣まで来て沖月島を見つめた晴熙に、丞はそう訊ねた。
 晴熙は丞を見返して口許に自嘲的な笑みを浮かべると、鉄柵にもたれて空を見上げた。

「僕は調べものがあって、早朝から研究室にいたんだ。
 玲熙には学校を休むように言っておいたし、要にも絶対に玲熙を屋敷から出すなと言っておいたのにね。
──朝の騒ぎは、要から聞いたよ。久しぶりにあいつと大喧嘩になったな」

 晴熙は前髪を掻き上げると、丞に視線を向けた。

「それにしても、玲熙はまた君に助けられたみたいだね。
 君にはお世話になりっぱなしだ、峰月君。
 本当にありがとう」

 晴熙は丞に向かって深く頭を下げた。

「頭を上げてください、晴熙さん。
 助けてもらったのは俺も同じなんですから。
 それに今朝のことは、逆に玲熙を辛い立場に追い込んだんじゃないかと心配しているんです」

 少し慌てた様子の丞を見て、玲熙はくすりと笑って首を傾げてみせた。

「こういうことになるんじゃないかと思って、玲熙には休むように言ったんだ。
 前にも散々辛い思いをしているのに、どうして言うことを聞かないんだか。
──次期当主の威儀も地に落ちたものだよ。
 要まで言うことを聞かず、玲熙を危険な目にあわせるんだからね。
 鎮魂祭も近いというのに、玲熙に何かあったらどうするつもりなんだろう」

 晴熙の言葉半分は独白に近かったが、丞は疑問を覚えて聞き返していた。

「鎮魂祭と玲熙が、どう関わってくるんです?」

 すると晴熙は困惑を覚えるほど長々と丞を見つめ、やがてゆっくりとした口調で言った。

「鎮魂祭は、鬼塚森神社に祭られている神々の魂を鎮めるために行われる。
 玲熙は、その祭で神鎮めの舞を舞うんだ。
 巫女は神を慰める生贄的な役割を負うから、汚れ無きものでなければならない。
 だから、絶対に玲熙を危険にさらすことは許されないんだ」

「──巫女っていうのは、ずいぶんと厳しい仕事なんですね。
 今まで初詣ぐらいには行ってましたけど、あまり感じたことはなかったな」

 丞の言葉を聞くと、晴熙の秀麗な顔が翳りを帯びた。

「鬼塚森神社は特別な場所なんだよ。
 祭を司るのは基本的に宮司なんだが、祭祀の中心は巫女舞にあるといっても過言じゃない。
 巫女が神々の怒りを鎮めないと、神々が災いをなすそうだから」

 真面目そのものといった晴熙の顔を見つめ、丞は怪訝そうな表情を浮かべた。

「神が災いを起こすんですか?
 神様っていうのは、基本的に優しく慈悲深いものだって教えられてきましたよ、俺は」

「ああ、君は帰国子女だったね。キリスト教の神は慈悲と許しの神か。
 それじゃあちょっと理解しにくいかもしれないけど、少なくともうちの神社の神々は荒ぶる神々だよ。
 表面的にはどう言われていようとね。
 生贄を求めたユダヤの神と同じく、うちの神様たちは玲熙の舞を御所望だ。
 ──つまり、玲熙は形を変えた生贄というわけ」

 晴熙は疲れたような笑みを浮かべ、両手を天に向かって突き上げ大きく背伸びをした。

「神々もえり好みが激しいから困るんだ。誰も彼もが巫女になれるわけじゃない。
 僕はその点では不的確だった。
 僕の役目は隠岐宮家を守り、玲熙を守ること。
 要の役目は巫女である玲熙を守ること。

 玲熙が生れた時、僕たちの運命は大きく変ったんだよ。
 本来次期当主である僕の守護者であった要は、巫女である玲熙の守護者となった。
 当主は首のすげ替えができるけど、生れながらの巫女はかけがえのない存在だからね。
 ──隠岐宮家は玲熙のためなら何だってするだろう。
 巫女である玲熙が生きている限りは」

 晴熙は話についていけない丞を眺め、明るく声を上げて笑い出した。

「びっくりしただろう? でも、話の大半は祖父の受け売り。
 僕自身はあまり信じているわけじゃないんだ。
 だから、玲熙にかかる重圧を少しでも減らしてやりたいと思っている。
 このままじゃ、好きな進路も選べないからね。

 新月祭も玲熙がやらなくてもいいようにしようって提言してるけど、沖守家が頑強に反対してるんだ。
 要はその筆頭だね。あいつがあんなに保守的だとは、思ってもみなかったよ」

 ようやく身近な話題になってほっとした丞は、思い出したように頷いた。

「進路のことで、要さんと言い争っているのを見ました」

「玲熙は何かやりたいことがあるのかもしれないな。
 ……それはそうと、どうして君はこんな所に転校してきたんだい?
 前の学校に残る方が楽だろうし、都会だから楽しみも多かったんじゃないかな。
 ここは本当に何もない所だよ。
 大学時代に東京にいた僕が言うんだから間違いない」

 突然話題を自分の方へふられ、丞は驚いたように目を見開いたが、すぐに苦笑した。

「みんなから同じ事を聞かれるんですよね。それでいつも返答に困るんです。
 ただ本当のところ、心底楽しいと思えることは少なかったかもしれない。
 バスケは確かに好きだし、努力だってしましたが、何が何でも執着するってほどでもない。
 それに、住み慣れてみると、東京にいても生活は割と単調なんですよ」

「確かに、どこの大学にでも行けることを考えれば、2年間田舎に引きこもっても問題ないか。
 逆に、新しい視界が開けるかもしれないしな」

 晴熙はくすくすと笑うと、腕時計を見て驚いたように言った。

「──いけない。ずいぶんと長話をしてしまったようだ。
 とりあえず僕は玲熙を捜しに戻るから、君もそろそろ教室に戻った方がいいよ。
 先生に見つかったら、何を言われるかわからないからね」

 そう言い残し、晴熙は片手を上げて屋上を去っていった。
 晴熙の爽やかな明るい笑顔が、丞に強い印象を残した。

 その名前の通り曇りのない晴熙と、翳りを帯び冷たく澄んだ美しい玲熙の表情。
 兄弟だというのに、太陽と月ほどにも運命が異なっている。

 そう思い、丞は小さくため息をついた。