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舞の刻



<23>



 沖守要の車はシルバーグレイのアウディであり、彼はいつものスーツ姿ではなく、ラフな普段着であった。
 コンタクトをしているのか、眼鏡を外した彼の顔はいつもより若々しく見えた。

「要さんって、実はすごい美形だったんですね」

 車の後部座席で融がはしゃぐように言うと、要は苦笑したようだった。

「実はっていうのは、どういう意味かな、融?」

「えー、だって、いつもは真面目そうな印象が先に立っちゃって。
 素顔を見る機会なんて、ほとんど無かったじゃないですか。
 そういえば、要さん、いくつでしたっけ?」

 少し慌てた様子で融が訊ねると、要は穏やかな微笑を浮かべた。

「今年の9月で27才になる。君たちとちょうど一世代違うわけだ。
 そろそろおじさんの仲間入りかな」

「おじさんだなんてとんでもない。要さんなら、当分20代で通りますって」

 1人で喋っている融をよそに、玲熙は窓の外をじっと見つめたまま、一言も話そうとはしなかった。

 そんな玲熙の様子を要は運転しながら時々うかがっていたが、何も言おうとはせず、静かに見守っているようだった。

 丞は玲熙を家まで送り届けるつもりであったが、要はそこまでする必要はないと言った。

「玲熙さんは、私が責任もって本家まで送ります。
 融も家の前で降ろしますから、君も今日は家で早く休んでください。
 絶対安静と言ったでしょう?
 結果的に玲熙さんは君に助けられましたけど、医者が見たら卒倒しますよ、今日の君の行動はね」

 やんわりと遠回しな言い方ではあったが、丞は要に叱られているような気分になった。

「あれはとっさの行動でしたから、傷の事なんて忘れていたんですよ」

 丞が苦笑いを浮かべながら弁明すると、要は軽く頭を振った。

「無鉄砲なのは若さの特権ですけれどね。
 もう少し自重していただかないと、いつか自分の身を危うくさせますよ」

「もう十分危ない目には遭いました。
 それはそうと、後で要さんも晴熙さんに怒られるんじゃないですか?」

 丞が後部座席からそう反撃すると、要は「ああ」と言って苦笑をした。

「研究室でもう怒られましたよ。でも、帰ったらまたでしょうね。
 平身低頭して許しを請うとしましょうか」

 冗談めかして要が答えると、玲熙がぱっと顔を上げ、運転席を見た。

「要が悪いんじゃない。僕が我が儘を言ったからいけないんだ」

 さきほどまで無口だったとは思えないほどの強い口調に、融も驚いたのか助手席から振り返って玲熙の顔を見た。

 要はバックミラー越しに玲熙を見返すと、淡く口許に微笑を刻んだ。

「晴熙さんの言う事が正しいのは、私もよく理解していますよ。
 ──でもね、玲熙さん。
あなたがを無理にでも意思を押し通そうとするのは初めてでしょう?
 あなたはいつもお父上や晴熙さんの意思に従ってこられた。
 今日はどうしても登校するって言った時、どうしても従えない理由があるんだと思いました。
 もちろん私はあなたを守らなければならないし、危険から遠ざける義務もありますが、それ以上に私はあなたの意思を尊重したかった」

 要の言葉を聞き、玲熙の瞳に涙が浮かんだ。
 しかし要の次の言葉で、玲熙の美しい顔は氷のように凍てついた。

「あなたは一族を統べるべき巫女。その意思は絶対です。
 巫女の意思には当主であっても逆らうことは許されない。
 ──それを、覚えておかれることです」

 そう言う要の口調は硬く、厳しかった。
 丞も融もその言葉の深淵を理解することができず、要の端整な顔を見つめるしかなかった。

 丞の脳裏を様々な疑問が飛び交った。
 中でも大きな疑問は、隠岐宮家そのものに対するものだった。
 21世紀の現代にあってなお、当主や巫女といった古めかしい存在が当たり前のように存在している不思議。
 その当事者たちがさしたる疑問もなくそれを受け入れているという事実は、その不思議をなお一層増長する。

 一般的な神社がどういうものなのか詳しくは知らないが、鬼塚森神社と隠岐宮家の存在は、どうも尋常ではないような気がした。
 そしてそれを突き詰めれば、沖月島そのものに対する疑惑にまで発展しそうであった。

 丞は家の玄関前まで要に送ってもらうと、短く礼を述べて車から降りた。
 すると運転席の窓を開けた要が丞を見上げ、事務的な声で言った。

「玲熙さんのお父様が、あなたに御礼を言いたいと仰っておられました。
 折を見てご挨拶にうかがいたいとのことです」

 丞の言葉に、微かに眉宇を曇らせた丞は、表面上は微笑みながら言った。

「あまりお気遣いなくとお伝え下さい。友人として、当然のことをしたまでですから」

「──では、そのようにお伝えしておきます」

 穏やかな微笑を浮かべた要は窓を閉め、車を発車させた。

──何を考えているのか。

 車を見送り、大きく息を吐き出した丞は、日没の残光に染まる空を仰いだ。
 そして、最後に玲熙が見せた表情を思い出し、顔を和ませた。
 丞が玲熙のことを友人だと言った時、玲熙は心底驚愕したような表情で丞を見つめた。
 信じられないものを見るかのように。
 大きく目を見開いたその表情は、不思議な暖かみとなって丞の胸の裡に残った。

「しかし、明日は学校に来られないだろうな」

 玄関に歩み寄りながらそう1人でごちた丞は、ふとある事を思い出した。
 玄関の鍵を開けようとしていた手がぴたりと止まる。

──そういえば、自転車を放りっぱなしにしていたな。

 取りに行くべきか否かを一瞬悩んだ丞は、結局父親との生活でしっかり植え込まれた貧乏性を刺激されてしまった。

「まあ、父さんも帰ってきていないみたいだし、買い物ついでに取ってくるか」

 そう呟き、自分自身を納得させた丞は、教科書の入った鞄を玄関に放り込むと、財布と鍵だけを持って再び家を出た。


 竜海山の山頂にある隠岐宮家の屋敷に戻った玲熙は、自室に引きこもる間もなく、父親から呼び出された。

「戻ったか、玲熙。無事で何よりだ。さあ、入りなさい」

 玲熙の父親であり、隠岐宮家の現当主である隠岐宮泰熙が、穏やかな威厳に満ちた声をかけてきた。

 障子を開けたまま膝をついていた玲熙は、一度手をついて礼をすると、広い畳の間に足を踏み入れた。

「学校は大騒ぎになっているそうだな。要から、一通り話は聞いた」

 玲熙は父親の顔を見返し、頷いた。

 心配そうな父親の顔と兄の顔が重なって見えた。
 父と兄は驚くほどよく似ている。
 それは容姿だけにはとどまらず、清廉潔白で誠実な性格もまた確実に受け継がれているようであった。

──そう、間違いなく兄はこの父の息子なのだ。

 玲熙はそう思い、内心で苦笑した。

「今日、登校することは私も反対だった。こうなることは当然予想できたことだからだ。
 だが、どうしてもとおまえが言うから許したのだよ、玲熙。
 登校してみて、おまえはその意味を見いだしたかね?」

「意味? それはどういうことですか?」

 玲熙は思わず問い返していた。
 鬼塚森神社の宮司である父親は、ときおり混乱させるような事を聞いてくることがあった。