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舞の刻



<24>



「皆の反対を押し切って登校したのは、おまえの意志だ。
 意志が働くとすれば、その後ろには必ず強い思いがあるはずだ。
 それを引き起こした原因は何なのか、それを見極めることはとても大事なことだ」

「──つまり、どうして学校に行きたかったかということですね?」

 父親の湾曲的な表現を頭で整理し、玲熙は確認するように訊ねた。
 泰熙がうなずくのを見ると、玲熙はかすかに微笑を浮かべて首を傾げた。

「僕を助けてくれた友達の様子を見に行きたかったんです。
 ──ひどい怪我をしてしまったから。
 でも、その彼にまた僕は迷惑をかけてしまったんです。
 思ったより元気だったから、安心はしましたけれど」

「峰月丞という名前だったな。今日も彼に助けられたと聞いている。
 おまえから見て、彼はどういう人物なのだ?」

 ゆっくりと確認するような口調の泰熙に、玲熙は急に不審を抱いた。

「まだよくわからないのです。彼は、偶然そこにいたから助けたと言っていました。
 意思が強いことだけは確かだと思います。
 ……ただ、僕は彼についてどうこう言えるほど仲が良いわけではないんです。
 評価することはとてもできません」

「そうか。……疲れているところを呼び出して悪かった。
 夕食まではまだ間があるから、部屋で休んでいなさい」

 泰熙にそう促され、玲熙は何か納得できないものを感じながらも頷いた。

 廊下に出ると、玲熙はほっと安堵のため息をついた。
 緊張にさらされていたためか、不意に軽い目眩に襲われる。

「どうしました、玲熙さん。顔色がすぐれないようですが」

 玲熙が廊下の柱に寄りかかっていると、近くに控えていたらしい要が歩みよってきながら穏やかな声をかけてきた。

 はっと顔を上げると、要が玲熙の顔をのぞき込んだ。

「また貧血ですか? 具合が悪ければ医者を呼びましょう」

「……いや、いい。ちょっと立ちくらみがしただけだから」

 唇が触れそうなほど近くにある要の顔を見返し、玲熙は素っ気なく答えた。
 心配そうに眉をしかめた要から逃れるようにして、玲熙は廊下を歩き出した。

 要は追ってくることはせず、黙って玲熙を見送るだけであった。

 自室に戻った玲熙はぴしゃりと障子を閉めた。
 ようやく人から解放されたという安堵で、無意識のうちに大きなため息をついていた。

 身体中の神経が一日中緊張していたのが判る。
 限界まで張りつめていた箏の弦が、ようやく緩んだような気分だった。

 部屋の中に座り込んだ玲熙は、膝を抱え込み、身体を埋めた。
 今は何も考えたくはなかった。
 ただ、1人で静かに眠りたかった。

 このまま永遠に眠り続けることができたらどれほど楽になるだろうかと、薄暗い部屋の中で玲熙はぼんやりと思った。

 その時、ふわりと包み込むような暖かい腕の感触を思い出した。

──どうして、僕を助けたの?

 これ以上優しくされたら、きっとその腕に縋りついてしまう。
 暗い、けれども静かな孤独の中から飛び出し、明るい陽射しの中に帰りたいと願ってしまう。

──お願い、もうこれ以上、僕に構わないで……。

 自分と関わった事によって、丞は十分すぎるほどに傷ついた。
 もし再び鬼が彼を狙えば、その時はきっと彼の命は失われてしまう。
 あれほどに強い輝きを放つ存在を、玲熙は失いたくないと心底願っていた。
 しかし、心のどこかで、闇の中から救い出して欲しいと思っている自分がいる。

──これ以上、僕の心を掻き乱さないで……。

 漆黒の双眸に涙が溢れ、それは白磁の頬を伝って零れ落ちた。


 竜宮郷の湾岸道路脇に置いてあったマウンテンバイクを無事に取り戻し、買い物をし終わった頃には、辺りは暗くなっていた。

 大きなため息をついた丞は、薄闇に煌々と輝く白銀の月を見上げた。
 昨夜が満月だったために少し欠けていたが、それでも夜闇を照らすほどには明るかった。

「全く、マスコミってのは、何であんなに節操がないんだか」

 本来ならばもう少し早く帰宅できるはずであったが、島中をうろついている報道陣を避けるような道ばかりを選んでいたため、いつの間にか延々と遠回りを繰り返していた。
 そして気づいた時には、通るはずもない道に迷い込み、目の前には鬼塚森神社の長い階段が見えていたのである。

 昼なお暗い森に囲まれた神社の階段は、薄闇に包まれた今、あたかも冥界に続く道にも見え、妖気すら漂っているように見えた。

「──そう言えば、逢魔が時っていうのは、こういう時間のことだったな」

 不気味に見える階段を見つめ、ぼそりと呟いた丞は、冥界の門にも見える鳥居を見上げた。

 思い出してみれば、この神社が何の神を奉っているのかさえ知らなかった。
 観光途中で殺人事件に巻き込まれたため、観光名所であるこの神社にすら来ていなかったのである。

 事件を思い出し、忌々しく思った丞は、マウンテンバイクを鳥居の傍らに止めた。
 生来のひねくれた性格ゆえか、はたまたただの怖いもの見たさか。
 どちらにしても好奇心の赴くがまま、丞は買い物袋を持ったまま、長い階段を上り始めた。

 所々にしかない電灯が、暗い境内をぼんやりと照らしていた。

 さすがに観光客の姿すらない神社を見渡した丞は、荘重な雰囲気の漂う拝殿に近づいた。

──こうして闇の中で見ると、教会と違って、日本の神社っていうのは確かに何か出そうな気がするな。

 アメリカやヨーロッパの教会と異なり、鬼塚森神社はただの神聖な場という雰囲気ではなかった。
 畏れ、敬わなければ祟られそうな、そんな感じである。
「巫女が神々を鎮めないと、神々が災いをなす」と言ったのは晴熙だったが、その言葉が奇妙なほど重みをもって感じられた。

 日本の神々と西洋の神の違いには、感覚の違いが投影されているのだろうかと首をひねった時、ふと人の気配を感じて、丞はそちらの方向に視線を向けた。

 本殿から少し離れた右手の方に、別の建物が立っている。
 それは舞台のように見え、丞は玉砂利が敷き詰められた境内を歩き出した。

 桜の大木に囲まれた建物に近づいた時、丞は歩みを止めた。
 その古い建物は明らかに能舞台であった。
 そして、その舞台の上には、何者かが立っていた。

 強い風が吹き、花弁が舞う。
 その光景に丞は見覚えがあった。

 篝火が舞台を神秘的に照らしだし、天には白銀の月。
 はらはらと舞い落ちる桜吹雪の中で、その人物は音もなく舞っていた。

 一瞬、玲熙かと思った丞だったが、その人物が振り向いた時、はっと息を呑んだ。

 舞台の上には、恐ろしい形相をした鬼が立っていた。
 顔には恐ろしい般若の面。
 額から伸びた金色の角、金色に輝く双眸、そしてかっと開かれた口からのぞく赤い舌。
 鱗を思わせるきらめく衣装を纏ったその鬼は、丞に気づいたようでもあったが、そのまま何事もないように舞を舞い続けていた。

 月と桜の下で無心に舞い続ける鬼を、丞は息をつめたまま見つめていた。

 凄まじいほどの怒りと恨み、狂気の形相。
 しかしその舞はどこか深い悲しみを感じさせた。
 深い怨念を秘めた舞からは、悲しみに呻き、啜り泣く声さえ聞こえてきそうだった。

 まるで魅入られたように見つめていた丞は、不意に凄まじい殺気を感じ、本能的にその場から飛び退いていた。
 見れば、抜き身の短刀が白洲の上に突き立っており、月光を浴びて刃がギラリと光った。

 我に返った丞が舞台を見ると、鬼は長い日本刀を片手に持ち、ひらりと舞台から飛び降りた。

 鬼はゆっくりとした足取りで丞の方へと近づいてくる。

 般若の面に隠された顔は判らない。
 しかし丞は、それが玲熙でないことだけは確信できた。

 玲熙よりも長身のその鬼は、真っ直ぐに丞を目指して歩いてくる。
 磨き抜かれた刃が月光を浴びて妖しくぬらりと光る。
 鬼の全身から放たれる殺気が、まるで矢のように丞を射すくめていた。