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舞の刻



<27>



「隠岐宮家と関係ない家に生まれていれば、僕は何も知らないまま平穏な一生を過ごせたかもしれない。
 玲熙のような弟を持たなければ、平凡に幸せだっただろう。

 僕の母は玲熙を生んでから、1年もしないうちに亡くなった。
 玲熙が生来の巫女であることを知ってから、父は急に他人行儀になった。
 それまでは優しくて穏やかな普通の家族だったのにね。
 でも、小学生になったばかりの僕は、その急激な変わり様が理解できなかった」

 悲しげに顔を伏せた晴熙は、戸惑っている丞を見返すと、無理に笑顔をつくって見せた。

「今では理解しているよ、もちろん。
 あんな穏やかな時代があったのが嘘のようだけど。
 それを知らない玲熙は、本当に可哀想だよね」

 どう反応してよいか判らない丞に対して、晴熙ははらはらと花びらの舞う夜空を仰いだ。

「すまない、君を困らせる気はなかったんだ。
 今まで誰にも話したことがなかったんだけど、どうやら玲熙の舞にあてられたらしいな。
 君もそろそろ帰った方がいいよ」

 晴熙の言葉に、丞は驚いて腕時計の針を見た。
 驚いたことに、8時を過ぎてしまっている。
 夕方に買い物に出かけたことを考えれば、ずいぶん長い時間神社に留まっていることになった。

「僕はこの夜桜を見物しながら帰るよ。ちょっと思い出にひたりたい気分だ」

「今日はやめておいた方がいいですよ。鬼がうろついていますから」

 晴熙は歩を進めようとしたが、丞の言葉にぴたりと足を止めた。

「──鬼? 冗談だろう?」

 驚いている晴熙に、丞は肩をすくめて見せた。

「玲熙たちが来る前、俺はここで襲われたんです。
 要さんは幻影かもしれないと言っていましたけどね。
 でも、日本刀を持っていたし、1人で帰るのは危険じゃないですか?」

 晴熙は苦悩の表情を浮かべ、深くため息をついた。

「また出たのか。忠告を感謝するよ」

「──俺の話を信じるんですか、晴熙さんは?」

 忠告したものの、あっさりと受け入れられて、逆に丞の方が困惑した。

「人が化けているかどうかは判らないが、殺人鬼であることは確かだろう。
 もう何人もの人を殺しているからね。
 そうなると、その正体が鬼であるか人であるかは関係なくなる。
 危険なのは、どちらも変わりないのだから」

 真面目な表情でそう言った晴熙は、心配そうに玲熙を見つめた。
 兄として、また事件に巻き込まれた弟を心配しているのだろう。
 丞はそう思い、繰り返すように舞を舞い始めた玲熙の姿を見つめた。


 丞が自宅に戻った頃には、すでに9時近くになっていた。

 玄関脇にマウンテンバイクを止め、丞は玄関の鍵を開けようとしたが、すでに鍵が開けられていることに気づいた。

 家の中に入った丞は、どこにも灯りがついていないことを怪訝に思った。
 とりあえず玄関の電灯をつけ、そのまま台所に向かう。

 台所の白熱灯をつけると、丞は大きくため息をついた。
 神社での奇怪な出来事のせいで、相当に神経が張りつめていたようであった。

 淡いオレンジ色の光のおかげで、ようやく日常に戻ってきた気がする。
 買い物袋をテーブルの上に置くと、丞は軽く首を回した。
 すると、首の関節が久しぶりに嫌な音を立てた。

「──父さん、戻ってるのか?」

 居間に向かいながら丞はそう声を上げ、締め切られていた襖を開けた。

 フローリングに改装された居間の電気をつけると、ソファの上で司がだらしなく寝ている姿が目に入った。

 父親の平和そのものといった寝顔を見下ろし、丞は小さくため息をついた。

 自分の息子が事件に巻き込まれていることを知れば大慌てでおろおろするのだろうが、今の司は羨ましいほどに無邪気に寝ている。

 まだ38才という年齢のせいもあるが、息子の目から見ても司は若々しく見えた。
 老けて見られる丞とは違い、服装次第では20代に間違われるほど司は童顔である。

「──あれ、丞。おかえり、遅かったね」

 丞がぼんやりと父親を見下ろしていると、その気配に気づいたのか司が目を覚まし、起きあがった。

 ずり落ちる眼鏡を片手で支えながら、司はもう一方の手で目をこすり、大きく育ちすぎた息子を見上げた。

「夕ご飯、もう食べちゃった? 
 帰ってきて、そのままここで眠っちゃったから、僕はまだなんだけど。
 丞がまだなら、何か作ろうか?」

 司は息子の顔を見上げながら笑ってそう言った。
 その笑顔を見て、丞の胸にわだかまっていた不安感が解消されていく。
 やっと安全な場所に戻ってきたのだという実感がわいた。

「夕食なら今から作るところなんだ。
 もう少し時間がかかるから、眠っていてもいいよ」

「ここで眠りすぎると夜眠れなくなるから、テレビでも見てるよ」

 司はそう答え、テレビのリモコンを押した。
 夕方のニュースはもう終わっているらしく、テレビでは賑やかなバラエティ番組を放送していた。

 丞は台所に戻ると、手際よく夕食の準備を始めた。
 小学校の高学年あたりから家事をやっているだけに、丞の家事能力は主婦顔負けなほどに高かった。

「ねえ、丞。おまえの学校の生徒が殺されたんだってね。
 今日帰ってきて、はじめて知ったよ。
 ここのところ、ずっと缶詰状態だったから……」

 しばらくすると、今でテレビを見ていたはずの司が台所に来て、そう言った。

 野菜と牛肉を炒めているところだった丞は、思わず中華鍋を取り落としそうになった。
 しかし内心は大きく動揺したものの、外見上は平静を装うことに成功し、丞は首だけで振り向いた。

「ああ、殺されたのは俺のクラスメイトなんだ。
 学校中、島中が大騒ぎしてる。
 マスコミも大勢詰めかけてきたからな」

 丞がそう説明すると、司は嘆かわしげにため息をついた。

「未来のある少年を殺すなんて、ひどい奴がいたもんだ。
 おまえは大丈夫なの?
 何か、危険な目に遭っていないかい?」

 司の質問に、丞は可能な限り通常通りの声で答えた。

「──ああ、俺は平気。もの凄く驚いたけど」

 丞は父親になぜか真実を告げる気にならず、瞬間的にごまかしていた。
 しかし後ろめたさを感じ、自然と口調が重くなる。
 それを司は事件ゆえのショックと誤解したのか、納得したように何度もうなずいた。

「そうか、大変だったね。──ごめんね、丞。そばに居てあげられなくて」

 暗い口調で父親に謝られ、丞が驚いて振り向くと、司はずいぶんと落ち込んでいるように見えた。

「どうして父さんが謝るんだ? 別に何があったわけでもないんだから」

 現実には説明しがたい様々な事があったのだが、丞はそれをどうしても告白することができなかった。
 心配をかけてはいけないという無意識の警告なのだろうか。
 真実を告げれば、さらに司が落ち込むことが判るだけに、丞は嘘をつくしかなかった。

「それより、ほら、夕飯できたよ。食べるんだろう?」

 夕飯というよりは夜食なのだが、テーブルの上に食事を並べると、司は子供のように瞳を輝かせてうなずいた。

「丞は本当に料理が上手だねえ。いったい、誰に似たんだろう?」

 司が独り言のようにぶつぶつ言うと、丞は思わず苦笑した。

「誰に似たわけでもないと思う、自分で研究しただけだから。
 味音痴の父さんの食事に耐えられなかったんだ。
 どうせなら美味いと思えるものが食べたいだろう?」

 丞の言葉を聞き、司はショックを受けたようにうなだれた。