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舞の刻



<3>



 丞の父峰月司(ミネヅキ ツカサ)は、大手建築会社に勤めているごく平凡なサラリーマンだった。
 一応は一級建築士免許を持っているものの、天然的な人の良さとおっとりした性格から、いつまでたっても出世コースに乗れていない。
 それでも一度は海外転勤となり、丞は父親と共にアメリカに住むことにもなったのである。

 しかし、そのハードな仕事内容にうんざりしてしまった司は、5年間のところを3年間で仕事を切り上げ、早々に日本に帰国した。
 もともと転勤族ではあったが、帰国後は目も眩むほどの転勤ラッシュだった。

 丞が日本の学校に戻ったのは中学2年の時である。
 その後少なくとも2年間は札幌支社勤務のはずであったが、丞が高校1年の1学期を終えた時、再び転勤となった。
 今度は東京本社勤務である。

 丞は難関な編入試験を受け、私立清南学園に編入することができた。
 そして無事に2年に進級できると思っていた時、司は三度目の辞令を受け取った。
 今度の転勤先は島根県の小さな島。
 ──事実上の左遷であった。

「残っていいんだよ、丞。
 父さんは1人でもやっていけるからさ。
 せっかくバスケ部のレギュラーなんだし、高校を二度も替わるのは嫌だろう?」

 司と住むためには、再び編入試験を受けなければならない。
 さすがに丞はしばらく悩んでいた。
 当然、バスケ部の部員たちは猛反対をしたし、友達も反対をしていた。
 そんな時、司はさも申し訳なさそうにそう言ったのだった。

 もし母親が生きていたなら、丞は1人で東京に残っていただろう。
 しかし母親は丞が幼い頃に亡くなっており、父と息子、二人だけの家族だった。

 司の危なっかしい性格を考えれば、彼に一人暮らしをさせるのはあまりに不安であった。

 頼りなさすぎる父親に育てられ、心身共に逞しく育ってしまった丞は、結局もう一度転校という道を選んでしまったのである。

 再び小さくため息をついた丞は、何気なく視線を彷徨わせた。
 その時、窓辺の美少年と視線が出会ってしまう。

 一瞬、鼓動が跳ね上がったが、すぐに彼の視線は正面へと向けられた。

──どうして、あいつを懐かしいと思ったのだろう。

 あれほどの美形ならば、一度出会えば鮮烈に記憶に残り、決して忘れることなどないはずであった。
 確かに出会った事はないはずである。
 街中ですれ違った記憶すらない。
 その美貌を見たのは確かに今日が初めてだというのに、その深い漆黒の瞳だけが、なぜか無性に懐かしく感じられた。



 長いテストがようやく終わって放課後となり、丞は大きく息を吐き出した。

「やっと終わったか……」

 丞がうんざりしたように呟くと、同意するように融が頷いた。

「嫌になるだろ? 休み明けの始業式の日くらい、さっさと帰らせて欲しいよな。
 あんたも可哀想だね。
 よりによって、こんな学校に来ちまって」

 丞以上にげんなりした様子の融は、大げさにため息をついて立ち上がった。

「来いよ。学校を案内するからさ。
 この学校、こんなド田舎に立ってるだけあって、迷子が出るほど広いんだ」

 丞が立ち上がると、案内役を心密かに希望していた女子の間から落胆のため息が漏れた。
 それを見て、融が彼女たちにVサインを送る。
 途端にブーイングの声が上がった。

「君だけじゃ心配だな。僕も一緒に行くよ」

 正志が立ち上がると、融は憮然とした顔で友人を睨んだ。

「優等生の君は、寮に帰ってお勉強じゃなかったっけ?」

 すると銀の眼鏡を軽く上げて見せた正志は、イヤミっぽく笑った。

「2年になってもまだ迷子になる君じゃあ、案内が不安なんだ。
 転校早々、迷子になるような不名誉を、彼に与えたくないからね。
 それが学級委員としての務めだろ?」

「おい、おまえはいつから学級委員になったんだ?」

 融が腕組みをして正志の真正面に立つと、正志は肩をすくめた。

「今朝から。始業式前にちゃっちゃと決めたんだ。
 君は遅刻したから、もちろん棄権扱いになったわけ」

「選挙って言っても、どうせおまえしかやる奴いないだろうが。
 ──まあいいや。とにかく行こうぜ」

 歩き出した融と正志の後に続き、丞も歩き出した。

 教室を出る時、ちらっと窓辺の謎の男子生徒を一瞥したが、彼はまだ席に着いたまま、誰と話すこともなく、ぼんやりと窓の外を眺めているのだった。

 高等部の校舎を一通り見て回り、丞たち3人は、5階建てというとてつもない体育館を目指して歩いていた。

「竜桜学園は部活にも力を入れているからね。
 使い古された言葉だけど、文武両道を目指しているってわけさ」

 高等部校舎と体育館を結ぶ渡り廊下を歩きながら、正志がクラブ方針について説明した。

「一応、かけもちも自由だし、希望があれば新しいクラブを作って良いことになってる。
 5人以上部員が集まればだけどね。
 ただし、絶対に一つ何かしらのクラブに所属しなければいけないんだ。

 融はバスケ部で僕は新聞部。
 最近できたのは、サバイバル研究クラブと占術研究会かな。
 大小いろいろあるし、1週間の仮入部期間もあるから、いろいろ見て回ればいいよ。
 クラブは、中等部、高等部、大学部の合同でやってるところも多いかな」

「バカじゃないの、正志。
 丞がバスケ以外に行くわけないじゃん」

 融が勝ち誇ったように笑うと、正志がむっとしたように睨みつけた。

「一応説明しといた方がいいと思っただけだ。
 どこに行くかは、彼の自由なんだから」

 口論を始めた2人を見て丞は苦笑いを浮かべ、そしてふと歩みを止めた。

 前方から袴姿の青年が滑るような足取りで向かってきていた。
 身長は丞ほどではないが十分に長身であり、何よりもその洗練された動きが目を引いた。

「あれ、晴熙(ハルキ)さん。今日は剣道部に稽古をつけに来たんですか?」

 その人物を見るなり、融が嬉しそうに笑いながら話しかけた。
 晴熙と呼びかけられた青年は、若武者を思わせる容貌に清々しい笑みを浮かべた。

「やあ、融。そう、今日は竹沢教授が学会で北海道に行ってるからね。
 新人も集まる季節だし、少しは真面目に稽古をつけてやらないとな」

 そう言い、晴熙は丞の方に視線を向けた。

「融の友達? 初めて会うような気がするけど」

「ああ、そうなんです。正確に言うと、今日友達になったばかり。
 転校生の峰月丞っていうんです。
 それで、こちらが隠岐宮晴熙(オキミヤ ハルキ)さん」

 融が、丞と晴熙にそれぞれを紹介すると、晴熙は涼しげな目元を和ませて微笑んだ。

「君の名前、前に融から聞いたことがあるよ。去年の高校選抜の時だったかな。
 よろしく、峰月君。
 僕は融とは幼馴染みなんだ。もっとも、6歳も年上だけれどね。
 ほとんど兄弟みたいなものかな。

 ……融と同じクラスってことは、玲熙(レイキ)もクラスメイトだよね」

 晴熙が融に視線を移してそう言うと、融はやや緊張した面持ちで頷いた。
 すると晴熙は少し悲しげに笑い、真面目な顔になって丞を見つめた。

「僕の弟、玲熙とも仲良くしてもらえると嬉しいけどな。
 もっとも、打ち解けるのはなかなか難しいかもしれないけれど」

 そう言い、晴熙は3人に別れを告げ、高等部の方へと立ち去って行った。