Rosariel.com
舞の刻



<30>



 融は食事を終えた後、とりとめのない会話をしばらく丞としていたが、急にふさぎ込んだようにうつむいた。

「こんな話をしに来たんじゃないんだよな、俺。
 でも、川村先生が亡くなったっていうのが、どうもピンと来なくてさ」

「辛くなるようなら、話さなくてもいいが──」

 テーブルに片肘をついていた丞がそう言うと、融は頭を横に振った。

「大丈夫、丞に知らせなきゃと思って来たんだから。

 ──要さんの話では、先生が殺されたのは午前2時頃。
 車の中で頭と身体が切断された状態で見つかったらしいよ。
 ただ、車内で殺されたわりには出血量が少ないから、実際の殺害現場は大橋じゃなかったんだろうって。
 どこか別の場所で殺されて、先生の車で運ばれたんじゃないかって言ってた」

「……首が切断されると、相当血飛沫が激しいはずだからな。
 ということは、犯人の遺留品が車に残っている可能性もあるわけか。
 目撃者は1人もいなかったのか?」

 頬杖をついている丞を見つめ、融は奇妙な笑みを浮かべた。

「それがさ、いるんだよ。
 それも鬼塚森神社の氏子さんでさ、名前を大沢清司さんっていうんだ。
 彼は要さんと同級生でね、相談に来たみたいだよ」

「ああ、要さんは弁護士だったな。疑いがかけられているのか、その人は?」

「いいや、そんなんじゃなくってね。
 どうやら、彼は鬼を見たらしいんだ。
 川村先生を襲って殺したのは、鬼だって言っているみたいだよ。
 警察に話しても信じてもらえないし、どうせ能面をつけてたのを見間違えたんだろうって言われたみたい。
 丞とまったく同じだよな」

 融の言葉に、丞は愕然と目を見開いた。
 自分と同じく犯人を見た人物がいることに驚きを覚えるのと同時に、どうしてその鬼が彼を殺害しなかったのか不思議に思えた。

 丞は鬼の魔の手から辛うじて逃れたが、鬼が殺意を持っているのは明らかだった。
 逃げ場がなければ、恐らく殺されていただろう。

「どうしてその人は殺されなかったんだろう。誰か通りがかったのか?」

 丞の疑問に、融は否定するように頭を振った。

「気絶していたみたいだよ、大沢さん。
 鬼にしてみれば据え膳だったわけなんだけど、本当にどうしてだろうな」

 丞は大きく息を吐き出した。

「あの鬼の目的は何だろうな。どうも、それがよく判らん」

 川村教諭が殺された原因は、やはり昨日の学校での騒動に関係しているのだろうか。
 川村のひどく動揺した姿を間近で見ているだけに、鬼が偶然川村を襲ったとはとても思えなかった。

 別の場所で殺害し、遺体を移動させたのであれば、そこには明らかに何らかの目的があることになる。

「川村先生ってB組の担任だったんだ。
 それに、実は3年前に殺された生徒たちの担任でもあったんだよね。
 渡辺たちが殺されたって聞いて、あの先生、半狂乱になってたらしいよ。
 これは噂なんだけど、3年前、一人目の生徒が殺された後、その友人が悩んでいるのを見て相談に乗ってたらしいんだよね」

 融が当時の事を思い出すかのように語り始めた。

「そいつが、『犯人は隠岐宮玲熙だ』って名指しした張本人なんだ。
 あまりにも思い詰めた様子だったから、川村先生は気になって自宅に行ってみたらしいんだよ。
 夜になっても戻ってこないっていうんで、家族と一緒に探したみたい。
 結局、そいつの死体は隠岐宮家のお手伝いさんが見つけたんだけどね」

 融は重いため息をついて、両手で頭を抱え込んだ。

「川村先生が死んだって聞いたら、また玲熙は落ち込むだろうな。
 昨日の今日だぜ、殺されたの。
 月曜日になったら、学校中がまた玲熙を敵視しはじめる。
 殺された川村先生に、『おまえが鬼なんだ』って言われているし」

「この事件の最大の鍵は『鬼』なんだろうな」

 両手を組んだまま天井を仰いだ丞は、呟くように言った。

「隠岐宮家の屋敷は、鬼御殿って呼ばれてるんだ、昔から。
 鬼塚森神社の宮司だからなんだけどさ。
 玲熙を鬼扱いするのは、『鬼』って単語のイメージがつきまとってるんだろうな。

 これは親父に聞いた話なんだけど、隠岐宮家が沖月島に移り住んで来た頃、島にはとんでもない悪霊がはびこっていたらしいんだ。
 もともと、この島は重罪人の処刑場があったらしいんだよね。
 あとは島流しの刑にも使われていたらしくてさ。
 隠岐の島には有名な後鳥羽上皇が流されてるけど、ここはもっと下級の人々がたくさん流されていたらしい」

「あまり明るい歴史じゃないな」

 沖月島の歴史を、まさか融から聞くことになるとは思わなかったため、丞は苦笑した。

「──そりゃあね。
 昔の人にしてみれば、こういう離れ小島はほとんどあの世みたいなもんだろう?

 それはともかく、当時隠岐宮を統率していたのは、1人の力ある巫女だったそうだよ。
 『雪姫』って呼ばれていたらしい。
 その雪姫は悪霊を封じ、これを鬼塚とした。
 それが鬼塚森神社の起源なんだ。
 だから、角の生えたいわゆる鬼とは全然関係ないんだよ」

 長々と喋った事で疲れたのか、融はため息をついて椅子に寄りかかった。
 いつも軽快な融の表情に疲労の色がある。

「鬼が通り魔的に人を襲っているわけじゃないのは確かだ。
 明らかな理性と殺意を持って、殺人を繰り返している。
 犯人の姿形の異様さに惑わされていては駄目なんだろうな。
 鬼の目的さえつかめれば、この事件の真相も見えるような気がする」

 丞は自分に言い聞かせるように言った。

 犯人の姿を見ているのは、自分とその大沢という人物しかいない。
 おそらく常識的に考えれば、鬼の存在を認める方が無理なのだ。
 能面を使った殺人事件、そう警察は考えて捜査しているに違いない。

 丞は木目の天井を仰ぎ、深いため息をついた。


 散々2人で話し込み、昼食を食べて融が帰っていくと、丞は家中を黙々と片づけ始めた。

 洗濯機を回し、全ての部屋に掃除機をかける。
 そういう日常的な雑務に追われていると、今朝起きた忌まわしい殺人事件を忘れそうにさえなった。

 しかし一通り家事が終わってしまうと、また事件の事を無意識のうちに考え始めてしまう。
 同じ疑問がぐるぐると頭の中を巡り、解決の糸口が見つからないため、丞はひどくイライラした気分に襲われた。

 結局、気分転換のために夕食の買い出しに出かけることにした丞は、沖月島の最もにぎやかな、今では桜坂町と呼ばれている南沖月へと向かった。

 早朝の凄惨な殺人事件のせいで、パトカーの音がひっきりなしに聞こえる。
 マスコミも事件取材に明け暮れているのだろうが、恐れていた取材攻勢はまだ商店街には押し寄せていないらしい。

 桜坂町の小さな商店街をぶらぶらと歩いていると、気のよい八百屋のおばさんが声をかけてきた。

「タスク君、この大根、持っていかないかい? 安くしとくよ」

 事件が起こる前から、この商店街では、丞はちょっとした有名人になっていた。
 一見、モデルを圧倒するかのような美青年である。
 そんな丞が肉屋や魚屋、八百屋をうろうろしているのだから、非常に目立つ。
 大根を持って悩んでいる丞を見ると、通りすがりの観光客も思わず立ち止まるほどであった。

「──じゃあ、もらっていきます。それからニンジンとトマトも一緒に」

 にこりと愛想良く微笑むと、それだけで周囲の機嫌は良くなる。
 八百屋のおばさんも例外ではなく、やや丸めの顔を崩し、いそいそと動き回った。

「いつもありがとうねえ。じゃあ、これオマケしとくね」

「ありがとうございます。また寄らせてもらいますね」

 爽やかな青年風の微笑を浮かべた丞に、八百屋のおばさんは小娘のようにはしゃいだ声を上げた。

「いやあ、いつ見ても美形やねえ。
 沖守さんちの要さんも格好良いし、鬼御殿の若さんたちも綺麗だけど、タスク君は本当にモデルさんみたい」

 丞の後ろ姿を見送っていたおばさんは、ほっと悩ましげなため息をついて呟いた。

「──あれがあたしの息子だったらねえ……」