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舞の刻



<37>



「君にこれを告げるべきなのかどうなのか、正直、私も判りません。
 ただ、玲熙さんは君の事を信頼されているようですから、君ならあの人の支えになれるかもしれない。
 私では──駄目なのでしょうね」

 微かに自嘲気味の苦笑をもらした要は、眼鏡の向こうから厳しく強い眼差しを丞に向け、はっきりと言い聞かせるような口調で告白した。

「玲熙さんのお父様、隠岐宮泰熙氏は、不治の病に冒されています。
 二ヶ月前、余命はもってあと半年だと宣告されました。
 このことは、玲熙さんにはまだ伝えていないのです。
 そして、これを知っているのは、晴熙さんと、私の父、そして私、あとは隠岐宮家に連なる主だった者たちだけです。
 当主はこのことをご存じですが、玲熙さんにだけはまだ伝えるなと言っておられます」

 突然もたらされた衝撃の事実に、丞は琥珀の双眸を見開いていた。

「──では、余命はあと3ヶ月しかないと?」

 丞の確認するような言葉に、要は感情を交えない顔でうなずいた。

「時が来たら自分から話すと、当主はそう仰っておられます。
 そして私たちはその言葉に従うだけです。
 ただ、玲熙さんは……もしかしたら薄々察しておられるのかもしれない。
 だからこそ、動揺してしまったのでしょう」

「こんな時期に保護者を失ったら、玲熙はどうなります?」

 先ほど聞いた胸をえぐられるほどの悲痛な声を思い出し、丞は思わず眉をしかめていた。

「玲熙さんは我々が総力を上げて守ります。
 隠岐宮家の直系はただ二人、そして玲熙さんは何よりも貴い巫女なのですから。
 沖守家の存在理由は、まさしく巫女を守ること。
 遙か昔にこの地に移り住んで以来、我々は巫女をお守りしてきました。
 巫女を傷つける者は許さない──それが何者であっても……」

 淡々とした声音の中に、強い激しさがあることを感じ取り、丞は要を見返していた。

 琥珀の瞳を見返した要は、不意に見たことがないほど酷薄な微笑を浮かべた。

「君はまだ、我々のことを何も知らない。
 ただ友としてあの人の傍にあるなら、傷つけたりはしないと約束します。
 この島に住む人々はみな、私たちの近しい友ですからね」

 要が立ち去った後、丞は緊迫した空気を振り払うようにため息をもらし、なぜかずきりと痛みはじめた眉間を押さえた。

 そのまま視線を落とすと、心細げな表情をした子犬が、濡れた黒い瞳で丞を見上げ、思い出したようにぱたぱたと尻尾を振った。

「……そう言えば、まだ名前をつけてもらってなかったな、おまえ」

 くすりと笑って白い子犬を抱き上げた丞は、ベロベロと喜んで顔を舐め回そうとする頭を押さえながら、宙を仰いだ。

「とりあえず、まだ名無しで我慢してくれ。
 そのうち、玲熙がきっといい名前をつけてくれるさ」

 子犬の白く柔らかい毛を撫でながら、まるで自分自身に言い聞かせるように、丞は子犬にそう話しかけていた。

 白い子犬はキュンキュンとしばらく悲しげに鼻を鳴らしていたが、やがて諦めたように大人しくなり、丞の腕の中で眠りについたのだった。



「こら〜あ、丞ッ! いつまで寝てんのよ、起きなさい!!」

 翌朝、峰月家の古い家屋の中に、珍しいほどの大声が響き渡った。

 朝の惰眠を貪っていた丞は、その声で目を見開き、布団の横で仁王立ちになっている峰月冴夜子(ミネヅキ サヤコ)を見上げた。

「朝っぱらから怒鳴るな。近所迷惑だろうが」

 不機嫌そうに上半身を起こした丞を見下ろし、冴夜子はからからと笑った。

「近所って言っても、この辺に民家なんてないじゃないの、平気、平気。
 それより、さっさと朝ご飯食べちゃってくんない?」

 上体を起こしたものの、眠気がすっきりと頭から立ち去らず、丞は恨みがましく冴夜子を睨んだ。

「勝手に人の家に押しかけたくせに、どうしておまえが仕切るんだ。
 休みなんだから、もう少し寝かせてくれ」

 昨日、無謀な寒中水泳をやったせいか、丞は久しぶりに身体に疲れを感じていた。
 そもそも、肩の傷も塞がりかけているとはいえ、まだ完治したわけではない。
 海水に浸かったせいか、奇妙なほどに熱を持ち、ずきずきと鈍い痛みを伝えてきていた。

「親父みたいなこと言わないでよ、若者が。
 ほら、さっさと起きた、起きた」

 丞の言葉には全く耳を貸さず、冴夜子は実力行使に出た。
 掛け布団を引き剥がし、急かすように丞を追い立てようとする。

「──おまえ、もう少し女の嗜みってやつを身につけた方がいいぞ」

 呆れ果てたように丞が言うと、冴夜子は大口を開けて笑い出した。
 それを見て、丞は為す術もなく、かぶりを振ってため息をついた。

 峰月冴夜子は、司の長兄である峰月崇(ミネヅキ タカシ)の長女である。
 つまり、丞とは一回りほど年の離れた従姉であった。

 冴夜子は一見すると良家のお嬢様に見えるらしい。
 肩口で切りそろえられた黒髪、ほっそりとした華奢な肢体。
 顔立ちは牡丹の花に例えられるほどで、その立ち振る舞いはあたかも胡蝶を思わせるという。

 しかし、それはあくまで世間一般的な認識であった。
 その意見と丞の意見は大幅に異にしており、接点がまるでなかった。

「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花──って、いったい冴夜子のどこがそう見えるんだ?
 立てばゴジラ、座ればモスラ、歩く姿はキングギドラってとこだよな。
 そう思わないか、おまえも?」

 台所に用意された朝食を食べつつ、丞は足下にうずくまっている子犬にそう話しかけた。

 白い子犬は嬉しそうに尻尾を振り、卵焼きを分けてもらって喜ぶ。
 はぐはぐと元気に食べるその姿を見て、丞は唇に微笑を浮かべた。

 ところが、その時、背筋を殺気が稲妻のように走った。

 ぞっとして振り向いた丞は、嫣然と笑う冴夜子と思わず視線を合わせてしまった。

「誰が、ゴジラですって?」

 妖艶な、しかし恐ろしい微笑を浮かべた冴夜子は、顔を引きつらせた丞ににじり寄った。

「誰が、キングギドラですって?」

「──いや、それは何かに聞き間違いじゃないのか?」

 冴夜子のあまりに迫力のある姿に、さしもの丞も視線を宙に泳がせた。

「あんたねえ! この警察庁の深紅の薔薇と誉れ高いあたくしが、わざわざ飯作ってあげたんだからね。
 少しは感謝したらどうなのよ?
 司ちゃんがいないから、わざわざ泊まり込んであげてるっているのに!」

「誰も頼んでないだろうが! おまえが勝手に押しかけてきただけだろ」

「一人じゃさぞ寂しいだろうと心を痛めたあたしの優しい思いやりが判らないっていうの?
 まったく、司ちゃんの息子のくせに、何でそんなに可愛げがないわけ? 信じらんない」

「信じられないのはそっちだろうが。
 それから、その司ちゃんは止めてくれ、背筋に虫酸が走る」 

 傲然と言い張った丞を見返し、冴夜子はにんまりと笑った。

「いいじゃないの、別に。司ちゃんは、あたしの憧れの叔父様だったんだから。
 歳だって一回りも離れてないんだし、普通、十分射程距離内でしょ」

 冴夜子の意見に、丞は思わず宙を仰いだ。

 と、その時、玄関で呼び鈴が鳴った。
 その途端、冴夜子の声と態度は豹変し、可愛らしい足取りで玄関に走っていく。

 それを見送った丞は、転げ回っている子犬を抱き上げた。

「まったく、冴夜子の外見に惑わされる男たちが哀れだよな。
 本性を知ったら、さぞかし落胆するだろうよ」

 哀れな同性に心から同情し、丞はほっと吐息をついた。

「丞君、沖守要さんと仰る方がいらしてるわ。
 あなたに訊ねたいことがあるのですって。
 お待たせしては悪いから、早くいらっしゃいね」

 しずしずとした足取りで台所まで戻ってきた冴夜子は、可憐な微笑みを浮かべながらそう告げた。