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舞の刻



<38>



 その微笑みを見た瞬間、丞の背筋に冷たいものが走った。

「──つくづく恐ろしい女だな、おまえは」

 丞が低くそう言うと、冴夜子は何の事だか判らないといった顔つきになり、白百合のごとき微笑を浮かべたのだった。

 丞が玄関まで行くと、相変わらず隙のないスーツ姿の要が待っていた。

 彼は丁寧に頭を下げると、柔和な微笑を浮かべた。

「丞君に、こんな綺麗なお姉様がいらっしゃるとは存じ上げませんでした」

 要の言葉に、冴夜子は恥らったようにうつむき、頬を染める。

 その姿をまるで人妖でも見るように見やった丞は、悪寒を堪えながら、努めて冷静に要に対した。

「姉ではなくて従姉なんです。東京から突然押しかけて来たんですよ」

「そうでしたか。でも、いいですね。
 こんな美しい方に朝ご飯を作ってもらえるなんて、羨ましい限りです」

 その言葉は恐らく社交辞令だったのだろうが、冴夜子は恥ずかしそうに要を見上げ、艶やかに微笑んだ。

 それを白い目で見ていた丞は、「熨斗をつけて差し上げます」と言いたい気分になったが、冴夜子の復讐を考えると恐ろしいものがあったので、言葉にするのは差し控えた。

「要さんは、ご結婚はまだされていないんですか?」

 その代わりごまかすように別の事を訊ねた丞は、一瞬、冴夜子の瞳がきらりと光ったのを見た。

「はい、まだ独身です。なかなか良い方と出会うことができないんですよ」

 にこりと微笑んだ要を見て、丞はふと面白い事を考えた。

──冴夜子と要さんが付き合ったら、凄いことになるだろうな。

 丞の予想では、恐らく毎日が狸と狐の化かし合い状態になる。
 どちらの方が役者が上なのか、丞には判らなかったが、恐らく同族に近いということだけは推測できた。

「玲熙の様子はどうです? 少しは落ち着いたんでしょうか」

 丞が問うと、要は深くため息をついた。

「帰ってからは落ち着きました。
 ──ただ、今朝早くから、また玲熙さんの姿が見当たらなくて、それでこちらにお伺いしたのです。
 家の者で捜したのですが、どこにもいらっしゃいませんし。
 昨日の事もありますから、もしかしたらこちらかと思ったのですが」

「玲熙がいなくなった? また散歩に出たんではないんですか?」

「携帯電話にも出られませんし、先ほど融にも聞いてみましたが、彼も何も知らないようでした。
 こんなに何度も無断で外出されることはないので、ちょっと心配になりまして。
 どこか、玲熙さんの行きそうな場所をご存じないですか?
 沖月島は小さな島ですから、すぐに見つかると思ったのですがね」

「……俺の思い当たる場所だったら、要さんたちがもう捜しているはずですよ。
 今は警察も、マスコミも大勢なだれ込んできてますから、彼が一人で歩いていれば、誰かしらが見つけるはずだと思いますが」

 丞の言葉にうなずき、要は翳りのある微笑を浮かべた。

「玲熙さんは目立ちますから、誰かしらの目に止まれば、連絡が来るでしょう。
 こちらでも引き続き捜してみます。
 もしこちらに玲熙さんが来られたら、電話を下さい」

 そう言って、要はすっと頭を下げ、シルバーグレイのアウディに乗り込んでいった。


「う〜ん、ムチャクチャあたし好みの男だわ。
 美形で、どこか影があって。
 ねえ、タスクちゃん、今度、要さんにあたしの事アピールしといて」

 台所に戻った途端、本性を現した冴夜子が、深刻な表情になっているタスクに猫なで声ですり寄ってきた。

 しかし冴夜子の話に付き合う気になれず、丞は無言のまま冴夜子を睨んだ。

 その琥珀の瞳に気圧され、拗ねた表情になった冴夜子は、丞の真正面の椅子に座り込んで頬杖をついた。

「ねえ、玲熙って、もしかして隠岐宮玲熙のこと?」

 冴夜子の問いに、丞は無言でうなずいた。

 それを見た冴夜子は真面目な顔になり、考え込むように首をひねった。

「彼の周囲で、次々と変死事件が起こっているのよね、3年前から。
 その事件の大半が、獣の咬傷だって検屍報告書に書いてあったわ。
 でも、その獣の種類が確定できない上に、こんな小さな島に猛獣がうろつく姿を誰も見てないなんて変じゃない?」

 どうやら、事件解明のために東京から出張してきたらしい従姉を見やり、丞は深い嘆息をもらした。

「信じるかどうかはともかく、あれは獣の仕業じゃないぞ。
 俺も二度ばかり襲われたからな。
 般若の面をつけた人間だと思いたいが、俺が見たのはそんなもんじゃない。
 人間に似た、まったく別の化け物だったからな」

「解剖所見では、死体には明らかに犬歯でえぐられた痕跡有りって書かれてるのよ。
 あとは鋭い爪の痕跡。
 あんな傷を残すなんて、確かに人間では不可能だわ。
 でもだからといって、『鬼』なんて存在を信じると思う?」

 冴夜子はそう言い、形の良い爪でテーブルの上をとんとんと叩いた。

「この際、今さら犯人が獣か鬼かなんてどうでもいいのよ。
 とにかく警察としては、全国の人々を納得させる犯人を上げたいわけ。
 獣を使って人を襲わせたって筋書きが一番ベストだけど、それにはまず、この事件そのものが二度と起きないようにしなきゃいけないわけよ。
 そのために、あたしがわざわざこんな田舎に出向いてきたんだから」

 警察庁のキャリア官僚であるらしい冴夜子は、一般人には決して聞かせてはならないような不穏な発言をした。

「こんな凄惨な事件を解決できなかったら、警察の威信に関わるってわけか?」

 皮肉っぽく問い返した丞を見返し、冴夜子は呆れるぐらいに堂々とうなずいた。

「迷宮入りにするよりは、とりあえずでっち上げでも解決しなきゃいけないのよ。
 訳の分からない事件でも、とりあえず収まれば何とでも言い訳できるし……」

 いかにも官僚らしい事なかれ主義だと思いつつも、丞はこの事件が説明できぬほどの不可解さを孕んでいることを感じていた。

(──冴夜子の言う通り、『鬼』が犯人といっても誰も信用しないだろうからな)

 頭がおかしいのではないかと思われるのがオチだろう。

「ところで丞、あんた、峰月司の仕事について、本当に何も知らないわけ?」

 突然の冴夜子の言葉に、丞は一瞬戸惑い、黙っていれば美しい従姉の顔を見返した。

「父さんの仕事? だから出張だって言っただろう」

 冴夜子は居心地が悪くなるほどまじまじと丞を見つめ、ややあってから嘆息した。

「──いいわ、司ちゃんが何も話してないなら、あたしが話すべきことじゃないし。
 でも、隠岐宮玲熙とあんたがオトモダチになるなんて、不思議な話よね。
 これも因縁ってやつかしら?」

 ぶつぶつと独り言めいた呟きをもらす冴夜子を見つめ、丞は双眸を細めた。

「何を訳の分からないことを言ってるんだ、おまえは?
 それより、玲熙が行方不明らしいからな、俺もちょっと捜してくる」

 壁に掛けてあった黒革のジャケットを羽織り、丞は足早に玄関へと向かった。
 その後を、子犬が小走りで追いかけ、靴を履こうとした丞に要求するようにまとわりついてくる。

「──わかった、おまえも連れて行けばいいんだな」

 キャンキャンと鳴く子犬を見下ろしてため息をついた丞は、その白い塊を抱き上げ、小さな頭を撫でた。