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舞の刻



<41>



「予想以上に大騒動になっているみたいだな。
 じゃあ、今は、この屋敷にはほとんど誰もいないってわけか?」

 ため息をついた丞を見上げ、融は軽く肩をすくめて見せた。

「晴熙さんが残ってるんだ。
 どっちの連絡も受けなきゃいけないっていうから。
 でも何だか変な感じなんだよね、らしくないっていうかさ。
 いつもなら、こんな重要な事、他人に任せるなんてことはないのに」

「──晴熙さんは次期当主なんだろう?
 親父さんが倒れたんなら、指揮しなきゃならない立場になるんだろうし、何か考えがあるんだろう。
 晴熙さんには会えるのか?」

 その言葉を聞き小さくうなずいた融であったが、それでも納得できないというように首をひねっていた。

「会えるよ。でも、会ってどうするんだ?」

「昨日、晴熙さんの電話があった後、玲熙が倒れたんだ。
 あの様子が少し気になっていたんだ、ずっと。
 ちょっと、話しておきたい事があるし……」

 混乱しながら、玲熙が口にした言葉。

(──兄さんは僕を憎んでる…僕が、父や母を奪ってしまったから……。
 父が死んだら、晴熙兄さんは、きっと僕を許さない──)

 晴熙が丞に告げた言葉と、玲熙から聞かされた言葉にはずいぶんと隔たりがある。

 兄弟の会話が上手くゆかず、玲熙が晴熙を恐れているのだとしたら、父親が入院したという出来事は大きなショックとなるはずだった。

(──晴熙さんが、何か言ったという可能性はあるな。
 酷い事は言わないだろうが、それを気にして玲熙が、家を飛び出したってこともありえそうだ)

「とりあえず晴熙さんに会わせてくれ。そんなに時間はとらせないから」

 思い悩むような表情になった丞の様子を見て、融は小首を傾げていたが、やがて微笑を浮かべてこくりとうなずいた。

「判った。来いよ、案内するから。中を見て腰抜かすなよ」

「この門を見ただけで、十分、腰を抜かしそうになったね、俺は」

「だろうねぇ。都会からお客さんが来ると、決まってみんなそう言うんだ」

 そう言って、融はけらけらと明るい笑い声を立てた。


 長い、長い廊下を歩かされていた丞は、美しい日本庭園を横目で見ながら、慣れた様子で歩いていく融の後についていった。

 ときおり、翡翠色の池の中から、ぱちゃんと錦鯉が跳ねる音が聞こえる。

 見事な白洲が巡らされ、様々な形の奇岩が置かれた庭には、手の掛かるであろう美しい造形をした木々が多く植えられていた。

 そして、その中でも一際見事だったのは、五百年は経ってるだろうと思われた桜だった。

 苔むした太い幹からは太く、長い枝が伸ばされ、満開の花が咲き誇っている。

 風が吹くたびに花弁が舞う様子は、夢幻なまでに美しかった。

「すごい桜だな」

 その美しさを表現する言葉が見つからず、個性の無いセリフしか思いつかなかった丞がそう言うと、先導していた融が重々しくうなずいた。

「隠岐宮家の御神木らしい。
 なんでも、あの下には、この地に根を下ろした最初の隠岐宮家当主、雪姫の遺体が埋められているらしいぜ。
 そのほかにも貴重な宝物が副葬品として埋められたらしいけど、それを暴こうとした奴は、必ず祟り殺されるって話だ」

「──なるほど、確かに禍々しいまでの美しさだな」

「そう思う? 実は、俺も玲熙も、あの桜が怖くて仕方がなかったんだ、昔からね。
 今でも、あんまり近づきたくはないもんな。
 理由はないんだけど……畏怖っていうの、こういうのってさ?」

 角を曲がった時、融は丞を陰に呼び寄せ、そう言った。
 その位置からは桜の木は見えず、心なしか融も安心したようだった。

「そういうものなのか? 俺は特に何も感じないが……」

「隠岐宮家の血ってやつなのかなあ。俺にも多少なりとも流れているんだろうけどさ」

 肩をすくめる丞の姿を見て、融はそう言うと、苦笑して首を傾げた。

「それより、まだ着かないのか?」

「晴熙さんの部屋はこの奥。
 ここでちょっと待っていてくれる?
 先に行って、あんたが面会したいってこと伝えてくるからさ」

 そう言い、融は歩きだそうとしたが、ふと丞の方を振り返った。

「言っておくけど、アポ無しで会わせるんだから、俺に感謝しろよ」

「感謝してるさ。おまえがいなかったら、門前払いをくってたところだからな」

 にやりと笑い、丞が片手を振る。
 すると融は悪戯っぽく笑うと、べっと舌を出して歩き出した。

 丞はため息をつき、少し戻った所で咲き誇る桜を見つめた。

 恐ろしいまでに美しいその姿には、本当に神霊が宿っているのかもしれない。
 気高く、強く、誰であろうと魅了してしまいそうな幽艶さ。
 その根元には、流浪の末にこの地にたどり着いた巫女姫が眠っている。
 もしかすると、非業の死を遂げたのかもしれない。

「──だが、死体や宝物が埋められようと、そうでなかろうと、それはおまえの責任じゃないはずだな」

 檜の柱にもたれていた丞は、あたかも桜に囁きかけるように呟くと、我知らず深いため息をもらしていた。

「おい、丞。晴熙さんが会うってさ。──来いよ」

 奥の部屋から戻ってきた融が、木の扉の所から顔を出し、招くように手を振った。

 それを見て丞はうなずくと、名残惜しむように桜を見やり、廊下を歩きだした。

 木の扉をくぐると、そこに融が待っている。
 左手には幾つかの障子が並んでおり、そこを融が指さした。

「ここが晴熙さんの部屋。
 俺はここで待っているから、話してくればいいよ」

「じゃあ、こいつを預かっといてくれ。さすがに失礼だからな」

 シャツの中から子犬を取り出し、丞は融に抱かせた。

 キュウンと鼻声を出し、ぱたぱたと尻尾を振る姿を見て、融は瞳を輝かせた。

「うわぉ、超可愛い。名前は、名前は?」

「まだついていない。面倒だから、俺はナナシと呼んでる」

「まあ、なんて名前。おまえ、可哀相だねえ」

 子犬と戯れる融を見下ろし、丞は微笑を浮かべた。

 そして表情を改めると、障子の傍に歩み寄り、膝をついた。

「──失礼します、晴熙さん。峰月ですが」

 一瞬の沈黙があり、そして中から短く応じる声があがった。

「ああ、気にせずに入ってくれるかい」

 障子を開けると、広い座敷の中で、脇息に寄りかかっている晴熙の姿があった。

 疲労しているのか、端正な顔に表情はなく、投げやりな視線を丞に向けてきた。

「玲熙の事で話があるらしいけど、どうかしたのかい?
 知ってるとは思うけど、また行方不明になって、捜している最中なんだ。
 昨日は君の所にいたから良いようなものの……」

 嘆息を漏らし、晴熙は軽く頭を振ると、上体をゆっくりと起こした。