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舞の刻



<42>



 丞は晴熙を見つめていたが、ふと説明しがたい違和感を覚えた。

 凛々しい若武者のように引き締まった端正な顔は変わらないのだが、口の端には薄く冷たい微笑が漂っており、その視線には嘲弄が含まれているような気さえもした。

 鬼塚森神社で出会ったときよりも、どこか悪意に満ちているように感じる。
 融もおそらく、その雰囲気に気づいて不審を覚えたのだろう。

 頭の隅で奇妙に納得しながら、丞は伝えようと思っていた事を言葉にした。

「──昨日、晴熙さんから電話があった後、玲熙が気になることを言いました。
 あなたが、玲熙の事を恨んでいて、もし父親が死んだら自分を許さないだろうと」

「おや、あいつはまだそんな事を言っていたのか?
 確かに昔はその事で責めたこともあったけど、僕も子供だったからね。
 とうに誤解は解けたと思っていたんだが、まだ気にしていたのか。
 帰ったら、よく言い聞かせるとするよ」

 丞の言葉を聞き、晴熙はくすりと笑いを浮かべた。

「──恨むどころか、今は誰よりも玲熙を愛しているというのにね。
 なのに僕の気持ちも知らず、あいつは僕から逃げようとばかりしていた。
 会話をしようにも、相手がいなければ話にならない」

 冷たく突き放すようにそう言った晴熙を見つめ、丞はさらに不審が深まるのを感じた。

「昨日のあの様子を見ていると、それが誤解なのだとしても、晴熙さんを恐れているような印象がありました。
 帰宅した直後にお父さんが入院になり、さらに玲熙の恐れが強まったとしたら?
 それで家を飛び出したって可能性もありますよね?」

「……僕のせいだと言いたいわけ、君は?」

 丞の言葉を聞き、晴熙がすっと双眸を細めた。

 これほど冷たい目をするような人物だったかと内心で首をひねった丞は、その疑惑を声に出さないように気をつけながら、平静な口調で言葉を続けた。

「そう言うわけではありませんが、もし家出だとしたら、沖月島の外に住む誰か心の許せそうな人の所に逃げるかもしれないと思っただけです。
 島の中は要さんたちが捜しているみたいですから、もし他に玲熙が行きそうな場所があれば教えてもらえませんか?
 今から、融と二人で探しに行ってみますから」

 丞の言葉を黙って聞いた晴熙は、不意にゆったりとした動作で立ち上がると、正座をしている丞の目の前に立った。

 そして今までに見たこともないほど傲然とした、見下すような眼差しで見下ろしてきた。

「玲熙が居なくなって心配する気持ちは判るが、これは一族の問題だ。
 何にしても、君が口を挟む問題ではない。
 君は所詮、この島には根付かぬかりそめの客人にすぎないのだから、玲熙にこれ以上関わり合いになるのは止めるんだ。
 君は十分に傷ついた。
 無事に東京に戻りたければ、隠岐宮家の問題にまで首を突っ込むのは止めろ」

 警告というよりは命令のような尊大な口調でそう言い、晴熙は丞の琥珀色の瞳を冷ややかに見つめてきた。

「隠岐宮家には、余所者には知られたくない事情があるというわけですか?」

 眉をひそめ、思わず冷淡な口調で問い返すと、晴熙は乾いた笑い声を上げた。

「余所者か、まさにその通りだな。
 クラスメイトとは言え、玲熙は一族の巫女であり、一般人である君とは立場が違う。
 玲熙も僕も、この島からは逃れられない運命だ。
 どれほど重い過去の呪縛があるか、君には決して判らないだろう。
 玲熙は神の前に捧げられた生贄──それを奪うことは誰にも許されない」

「晴熙さん、あなたは以前、今言った言葉とまったく反対の事を言いましたよ。
 隠岐宮家の因習を、信じているわけではないと。
 そして玲熙にかかる重圧を少しでも減らしてやりたいとも言ったはずだ。
 ──どちらがあなたの本意なんです?」

 丁寧な口調を保ちながらも、次第に怒りが沸き起こり、丞の瞳は獰猛な光を放った。

 晴熙はくつくつと笑い出すと、今までの欺瞞を振り払うかのように、そしてもはやどうでも良いとでも言いたげに軽く片手を振って見せた。

「弟思いの良い兄を演じるのも、少々面倒になってきたところだ。
 本当に僕は演じるのが下手だね、我ながらそう思う。
 要なんかはいまだに仮面をつけ続けているけど、あいつの本心だってそう誉められたものではないと思うね。
 だが、あいつは僕よりも舞うのは上手い、いつまでも守護者の面をつけ続けるだろう。
 ──玲熙がいなくなったと知った時の要の顔は、ちょっとした見物だった。
 油断したものだ、巫女の守護者ともあろう者が。
 灯台もと暗しとは、まさにこの事を言うんだろうな」

 くつくつと楽しげに漏らした晴熙の言葉に、突然、丞の疑惑は決定的となった。

「晴熙さん、どうやらあなたは玲熙の居場所を知っているようだ。
 だからこそ、ここでくつろいでいられる。
 今なら、玲熙があなたを恐れる理由が判るような気がしますよ。
 舞に愛され、舞うことを生き甲斐にしているあいつなら、あなたの無様な演技は見えすいたものだったでしょうからね」

 痛烈な毒舌を吐いた丞は、不敵に笑う晴熙を鋭く睨みつけた。

 怒りに染まった琥珀の双眸は黄金の光を放ち、それを見返した晴熙は忌々しそうに呟いて首を傾げた。

「その名を聞き、その瞳を見た時から、嫌な予感がしていた、峰月丞。
 よりによって一族の仇敵と同じ名を持つおまえに、玲熙が惹かれるとはね。
 一族に災いをもたらし、我が座を脅かす者を、許すわけにはいかないな」

 腕を組んで立った晴熙の全身から、凄まじいほどの殺気と、陽炎のように揺らめく妖気が立ち上った。 

 視線がぶつかり合い、その瞬間、部屋の中の空気がぴんと張りつめた。
 呼吸することさえ忘れかけ、丞は睨みつけてくる晴熙の視線を受け止め、弾き返す。

 瞳を逸らした方が負けなのだと、静かに本能が告げてくる。

 視線がこれほど圧力を持つものだとは思わなかった丞は、部屋を流れていた時間が止まったような錯覚さえ感じていた。

 波のように押し寄せてくる力と、それを押し戻す力。

 二つの力は均衡して膠着し、睨みすえたまま動かすことすらできない。

 そのうち、目の裏側に火花が散るのを感じた時、丞はぎりっと歯ぎしりをして、身の内に残る全ての気力をぶつけた。

 その瞬間、瞳の奥がスパークを起こす。

 それと同時に均衡は崩れ、丞は緊迫し凍り付いた空気から解放されていた。

 何が起こったのかも判らず、荒い息を吐いていた丞は、額から汗が滝のように流れ落ちてくるのを呆然と感じていた。

 どんなに長い試合をやった後でも、かつてこれほど体力と気力を一気に消耗したことはなかった。

 溶けそうなほどの気だるさと、嘔吐感が高波のように襲ってくる。

 それを必死でやり過ごし、ようやく瞼を開けることができた丞は、静まり返った座敷の中に、晴熙の姿がないことに気づいた。

 訝しげに眉間に皺を寄せると、丞は顔を上げて部屋中を見渡した。

 そして、部屋の片隅に、何かの紙を打ちつけられた蛇が血を吐いて死んでいる事に気づいた。

 よろめく身体を叱咤して歩み寄ってみると、それは何かの呪符を五寸釘で穿たれた蛇の死体であり、目と口から血を吐いていた。

「……どうして、こんな所に蛇の死体があるんだ?」

 呻くように呟いた丞は、気を抜けば倒れ込みそうになる身体を支え、がらんとした部屋からよろめき出た。

 しかし廊下には融の姿はなく、子犬の姿も見えなかった。

「──融……どこに行った!」

 柱に寄りかかった丞は、最後の気力を振り絞るように声を上げた。

 しかし返答はない。

 不意に激しい目眩が襲いかかり、廊下に崩れ込んだ丞は、そのまま生暖かい暗黒の中で意識を手放した。