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舞の刻



<45>



 冴夜子は綺麗に晴れ渡った蒼穹を仰いだ。
 薄絹のような儚い雲が漂っているものの、雷が落ちてくるような兆候すらない。

「──これじゃあ、この島が孤立してしまうわ。
 大パニックになるんじゃない?」

「東京じゃないから、そこまで悲観的になる必要はないと思うけど。
 とりあえず、警察に道路を封鎖してもらわないといけないな。
 こっちはともかく、向こう側がどうなるか心配だから」

 司は淡々とした口調で言うと、眼鏡を外し、眉間を押さえた。

「……ッつ…吐き気がするほど、邪悪な妖気だ。
 これをやらかした元凶は、まず間違いなく、この島に潜んでいるよ。
 もしかしたら、この島を孤立させるのが目的かもしれないが──」

 低く呻いて地面に座り込んだ司を見て、携帯電話を取りに車に戻っていた冴夜子は、慌てたように走り寄ってきた。

「ちょっと、大丈夫なの、司ちゃん?」

「──慣れれば平気。久しぶりだから、身体が過剰反応してるんだ。
 それより、早く電話をかけた方がいいよ、冴夜ちゃん」

 司の言葉にうなずいた冴夜子は、出来るだけ興奮を抑えた冷静で事務的な口調で、警察と関連省庁に連絡を入れた。

「すぐに封鎖するって慌てていたわ、最初は信じてなかったけど……。
 それより、もう数瞬、ブレーキを踏むのが遅れていたら、二人そろって海の中ねえ。
 司ちゃんのおかげだわ」

 身体を襲った衝撃から立ち直った司は、崩れ落ちた橋を見下ろしていたが、傍らに立った冴夜子に憂いを帯びた視線を向けた。

「直前に、急激な妖気の波動を感じた。
 もしかしたら、僕たちが狙われたのかもしれないよ、冴夜子」

 その言葉に呆気にとられた冴夜子を見やり、司は曖昧な微笑を浮かべた。

「──血の臭いを嗅ぎつけたのなら、僕たちが『峰月』であることは知れるだろう。
 相手が何者なのかは判らないが、邪魔者を片づけようとしているのかもしれない」

 司はそう言って深い嘆息をもらして振り返ると、瓦礫に覆われた橋の向こう側に広がる、静まり返った沖月島を見つめた。


 暗闇の中で、誰かの声が聞こえた。
 聞き覚えのある声であったが、不思議と苛立ったような響きがある。
 それはとても珍しいことのように思えた。

「……融。起きなさい、融」

 頬を叩かれ、ようやく意識が戻ってきた融は、ひどく重く感じる瞼をゆっくりと持ち上げた。

 すると、わずかに霞んでいる視界の中に、沖守要の秀麗な顔が見えた。

「──あ、要さん。……あれ、俺って、まだ生きてる?」

「何を馬鹿なことを言っているんだ、まったく。
 それより、何が起こったのか説明してもらおうか。
 晴熙さんの部屋の前に行ったら、丞君が倒れているし、晴熙さんの姿も見えないし。
 この子が教えてくれなかったら、君の事も見過ごすところだった」

 白い子犬、ナナシを片腕に抱いた要は、少し苛立ったように言った。

 それを聞き、融は愕然と大きな瞳を見開いた。

「えっ! 丞が倒れてた!? それで、どこにいるんですか、あいつは?」

 慌てふためいている融を眺めやり、要は軽く肩をすくめた。

「客間に運んで寝かせてあるよ。
 彼にも後で事情を聞かねばならないが、まずは君だよ。
 一体、何があったんだ?」

 ふらふらと立ち上がった融は、要の腕の中で尻尾を振っているナナシを見つめ、大きくため息を吐き出した。

「こいつのせい、いや、こいつを連れてきた丞のせいかな?
 でも、俺が倒れた直接の原因は、この鏡みたいなのを割ったからです」

 足下に落ちていた鏡を拾い上げた融は、訝しげな顔をしている要にそれを見せた。
 そして割った直後、白い閃光が落雷のように身体を貫いた事を説明する。

「……でも、きっと信じる気にはなりませんよね。
 俺だって、まったく訳が分からないんですから……」

 要は桜の木と鏡を交互に見つめていたが、融に子犬を渡しながら言った。

「ちょっと、それを見せてくれないか」

「いいですよ。でも、祟られても、文句を言わないでくださいね」

 割れた鏡を要に渡した融は、ナナシを抱くと、その頭をぽんぽんと軽く叩いた。

 要は真っ二つに割れた銅鏡を手に取り、慎重な手つきで返す返す観察していたが、やがて大きく息を吐き出した。
 その顔があまりにも深刻であったため、驚いた融が訊ねようと口を開きかけた途端、要は踵を返して歩き出した。

「──あぁっ! 要さん、待ってくださいよ。
 それが何なのか、もしかして判ったんですか?」

「判ったのは、これがこの桜と同時期に埋められたということ、そして曰く付きの代物であるということかな。
 一族で詳しい者がいるから、詳しい事は彼に聞くとするよ。
 それより、丞君にも聞きたい事があるから、君も一緒に来なさい。
 話は、それからだ」

 ナナシを抱いて要を追いかけた融は、母屋の廊下に上がる時、要に釘を刺された。

「土は綺麗に払ってから来るんだ。廊下を汚すと、怒られるぞ」

 要の言葉に、融は初めて自分の格好を見下ろし、愕然とした。
 服は泥だらけになって汚れており、靴下も裏が見事に黒くなっていた。

「あちゃ〜、おふくろに怒られるな、こりゃ」

 とりあえず靴下を脱ぎだした融を見下ろし、要は唇の端に微かな笑みを浮かべた。

「その子犬の泥も払っておいてくれ。白い毛が土色に変色しているからな」

「はあ〜い。あーあ、おまえ、鼻まで泥だらけじゃないか。
 おまえが悪いんだぞ、あの桜の根元を掘り出したりするからさ」

 恨みがましく言った融は、汚れたパーカーをバタバタとはたき、その後で子犬の身体についた土を払った。
 全ての土が綺麗に払えるわけではなかったが、それでも廊下に土が落ちない程度までには汚れを落とす。

 そして、融はようやく歩くことを許されたのだった。


 苦痛と快楽が交互にもたらされ、祭壇に仰臥させられたまま鎖に繋がれていた玲熙は、その瞬間、びくりと身体を仰け反らせた。

 大きく開かされ、視線から隠すことすらできない秘花を、よりによって実の兄によって開かれるおぞましさ──。

 半陰陽の身体を持って生まれ、物心ついた時から巫女として舞を教えられ、神々へと奉ずる舞を舞ってきた。
 それが巫女として、他人とは異なる身体を持って生まれ出た自分にできる、精一杯の生き方なのだと思い続けてきた。

 これほど恐ろしい責苦を負う役目があるなどと、誰も言いはしなかったというのに……。

 双眸から涙が伝い落ちた時、内股に鋭い痛みが走り、そこに唇が吸いつき、ねっとりと舌が這わされる。

 神秘の形をなす花弁を、鬼と化した晴熙の指先が開き、ひっそりと隠されていた宝珠を唇で吸い上げた。
 唇で淫猥にしごきながら、細い舌先が敏感な尖端を舐り回す。

 その間に鋭い爪が柔らかい皮膚を傷つけ、晴熙はときおり顔を上げては、流れ落ちる鮮紅の雫を口に含んでいた。

「──おまえの身体はどこもかしこも甘くできているな。
 このまま食い千切って、呑み込んでしまいたくなるよ」

 血の付いた唇で花茎を含み、そこに軽く歯を立てながら、鬼がくつくつと笑った。

「ひっうっ…っう…いやぁ……もう…止めて! お願い……兄さん──ッ!」

 繰り返される残酷な愛撫に、玲熙は悲鳴を上げて泣き叫んでいた。
 その声は洞窟の中に響き渡り、反響を繰り返しながら、波紋のように広がっていく。

 その類い希なる音色を耳にし、晴熙はうっとりと微笑み、深紅の瞳で弟を見下ろした。