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舞の刻



<48>



「……それで、気づいた時には晴熙さんが消えていたというわけですね?」

 目覚めた丞から事情を聞いた要は、考え深げな顔で呟いた。

「そうです。その後、部屋の隅に蛇の死骸を見つけて、外に出ました。
 そこからは何も……」

 飛びついてくるナナシを抱きとめた丞は、要にそう説明した。

 大しけの海を小舟で揺られているように絶え間なく目眩がし、身体中の節々が痛んではいたが、激しい嘔吐感は治まっていた。

 要は眉宇をひそめていたが、スーツジャケットの内ポケットから一枚の紙を取りだした。

「これに、見覚えがありますね?」

 要が確認するように提示した紙を見て、丞は微かに瞠目すると、ゆっくりとうなずいた。

「ええ、蛇の死骸に打ちつけられていました。……何かの呪符ですか?」

 額を押さえながら首を傾げた丞を見て、要は淡く微笑み、横にいた融にその紙を渡した。

「融は、これが何だか判りますか?」

 細長い紙片を受け取った融は、しげしげとそこに描かれた紋様を見つめていたが、やがてため息と共に首を横に振った。

「さっぱり判りません。要さんは、これが何だか知ってるんですか?」

 要に呪符を返した融が訊ねると、怜悧な容貌を僅かに曇らせ、彼は嘆息をもらした。

「──丞君の言う通り、これは呪符の一種です。
 蠱毒を使役した呪詛の一種で、蛇を使ったものを蛇蠱といいます」

「……コドク? ジャコ?」

 要の説明に対して、呪詛というものにまったく縁の無い健全な高校生である二人は、思わず互いに顔を見合わせ、首をひねった。

 その様子を見て要は微笑み、手帳を取り出すと、メモ用紙に漢字を書いて見せた。

「……こういう字を書くんですよ。
 字を見て想像できるように、一つの器に使役させようとする虫や小動物を入れ、飢えさせて共食いさせます。
 その中で、最後に生き残ったものが蠱毒となるのです。
 何を使うかは術者の力量次第といったところですが、蛇はもともと霊力の強い動物だと考えられています。
 それゆえに、その怨念を利用し、なおかつ晴熙さんの姿に変化させていたことを考えれば、この呪詛を送り込んできた術者は、相当の力を持つ者だと考えられますね」

 淡々とした口調で説明していた要は、眉間に皺を寄せている丞と、呆気にとられて首を傾げている融を見比べ、深く落胆したようにため息をついた。

「──まあ、あなた方にはあまり縁のない話ですね」

「要さん、もしかして、その術者は、俺を殺す気だったんですか?」

 要の言葉をしばらく考えていた丞は、そう問い返していた。

「さあ、どうでしょうか。
 私の推測では、最初から殺害する意図は無かったと思います。
 殺すつもりがあったのなら、最初に会話などしなかったでしょうからね。
 いつから入れ替わっていたのかは不明ですが、身代わりが目的だったのでしょう」

 要はそこで一息つくと、何か釈然としない気分に囚われている丞を見つめた。

「しかし、私が不思議に思うのは、なぜあなたが呪詛を返せたかということです。
 訓練を受けた宮司や僧侶、陰陽師ならいざ知らず、今まで蛇蠱という言葉さえ聞いたことのないあなたが、どうして強力な蛇蠱を返せたのでしょうかね」

 訝しむように丞を見つめた要を見て、融が不思議そうに訊ねた。

「それって、そんなに大変な事なんですか?」

「ええ、相手の力量に比べて力が少しでも劣っていれば、逆に殺されてしまいます。
 丞君は、危ない橋を渡っていたということです」

 要の淡々とした冷静な口調が、返って話に真実味を帯びさせていた。

 ようやく目眩が収まり、額を押さえていた丞は、一番気がかりな事を訊ねていた。

「──本当の晴熙さんはいったいどこに? そして玲熙は?
 もし呪詛を行ったのが晴熙さん自身なら、どうして身代わりが必要だったのか。
 玲熙がいなくなり、晴熙さんもまたいない。
 ということは、晴熙さんが玲熙を連れだしたって可能性もありますよね?」

 そう口にした瞬間、ずきりと眉間が痛み、不意に苦痛に満ちた悲鳴が脳裏に響いた。

(玲熙……今、どこにいる? いったい、おまえに何があった?)

 捕らえられ、助けを求めなければならないような状況に陥っているのだろうか。

 その言葉に対して、要は静かにかぶりを振った。

「──今はまだ判りません。
 しかし、私の気づかない所で呪詛が行われていたということになると、術者は沖月島の気に同調させていたのでしょう。
 だからこそ、この禍々しい邪気に私たちも気づけなかったのかもしれません」

 その時、突然、空気を震撼させるほどの大音響が響き、地鳴りと共に大地が揺れた。

「ぎゃあぁ〜、何事、地震なのぉ〜!」

 傍にいた要に飛びつくようにしがみついた融が、けたたましい悲鳴を上げた。

 都内で地震は多く経験していた丞であったが、こんな爆発音は無かったと思い、琥珀の双眸を険しく眇めた。

「──地震ではありません。今、とてつもなく大きな妖気が弾けましたから」

 さすがの要も怪訝そうに眉根をしかめ、低い声音でそう呟く。

 そして地鳴りが収まった直後に、バタバタと慌ただしく廊下を走ってくる足音が聞こえてきた。

 同時に振り返った3人の前に、慌てふためいた様子の男が飛び込んできた。

「──何ですか、騒々しい」

 何事も無かったように要が冷静な声でそうたしなめると、男は口をぱくぱくと喘がせた後、ようやく言葉を発した。

「──今、鬼ヶ浦大橋が海に落ちたそうです。
 橋が落ちたせいで、停電になってしまいまして。
 心配になって外に出てみたら、化け物が屋敷の外をうろうろしてるんですよ。
 慌てて逃げ帰ってきたのですが、もう、恐ろしくて、恐ろしくて」

 男の話は支離滅裂であったが、総合して考えると、だいたいその様な話になった。

 男の慌てぶりは尋常ではなく、それが事の異常性を示していた。

「門は閉めましたか? 他の人たちはどうしています?」

 秀麗な顔をしかめた要が、それでも口調を崩さず平静に訊ねると、男は息を切らしながら説明した。

「……皆は、屋敷内に非難しています。しかし、他の家の者のことまでは……」

「わかりました、私もすぐに行きます。
 まずは主だった者に連絡を。
 そして可能な限り住民に連絡して、神社の境内に避難するように伝えなさい」

 要の言葉に、泡を吹きそうな形相だった男は、何度も頭を下げると、再び部屋から飛び出していった。

「……どういうことです?」

 思わず丞が訊ねると、厳しい表情になった要はかぶりを振り、音もなく立ち上がった。

「判りません、この目で確かめるまでは。
 とりあえず、玲熙さんのこともありますし、私は島の様子を見に行ってきます」

「──要さん、俺も行きます。玲熙を、捜し出してやらないと」

 揺らめくように立ち上がった丞を、要は冷ややかな光を宿した瞳で見返した。

「何が起こる判りません。危険かもしれないですよ、それでもいいですか?」

「ずっと玲熙が声が響いているんです……ここに」

 自分のこめかみを叩いて見せた丞は、唇に苦笑を浮かべた。

「いまさら引き返せません、ここまで来てしまったらね。
 あいつが助けを求めているなら、助け出してやらないと。
 どこにいるのか想像もつかないが、俺は玲熙を捜しに行かなければ」

 決意を秘めた琥珀の双眸を見返した要は、やがて小さく嘆息を漏らし、うなずいた。