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舞の刻



<51>



 実の父とはいえ、司のずれた感覚についていけなくなった丞は、深い嘆息をもらした。

「島に残っていたなら、今の今まで、いったいどこにいたんだ?
 連絡もよこさずに……」

「ああ、ごめんね、心配してた?
 でもまあ、お互いに無事だったからいいじゃないか。
 おまえも元気そうだし、安心したよ」

 微笑んだ司を見て、融が驚いたように目を見開いた。
「まさか」と呟き、融は丞を見上げ、そして司をじっと見つめた。

「もしかして、丞君のお父さんですか?」

 融が司にそう訊ねると、司は妙に嬉しそうな顔でうなずいた。

「そうだよ。君が融君だね。いつも丞がお世話になっています」

 司に頭を下げられ、融は大いに慌てた。
 どう見ても、司と丞では親子ではなく、兄弟にしか見えない。
 そして長身の美丈夫である丞と、中肉中背で平凡な顔立ちの司では、とても血が繋がっているとは思えなかった。

「いえ、僕の方こそ、いつもご迷惑ばかりおかけしてます」

 つられて頭を下げた融は、くすくすと笑っている司を見つめ、さらにちらりと丞を見上げた。
 そしてやはり納得がいかないというように首を傾げる。

「──ああ、丞。冴夜ちゃんと話している人だけど、あの人、沖守さんだろう?
 後で、少し話をさせてくれないかな」

「要さんと? 遠慮しないで、今から話してくればいいじゃないか」

「うーん、丞にはまだ判らないと思うけど、これはとても重要な事なんだ。
 できれば、二人きりで話したいなあ」

 司はぽりぽりと頭を掻き、冴夜子と話しながら穏和に微笑んでいる要を見つめた。

 その視線が日頃見ないほど厳しいものであるのを見て、丞は少なからず驚いた。

「判った。要さんに、そう言っておくよ」

 うなずいた丞を見て、司は少し寂しげに笑った。
 父親の真意がつかめず、訝しく思った丞が眉をひそめると、その時冴夜子が大声で呼びかけてきた。

「ねえ! 要さんが、ホテルに移動しましょうだって。
 餓鬼もいなくなったことだし、動くなら今のうちよ」

 要と冴夜子が、それぞれの車に向かって歩き出す。
 司にはまだ聞きたい事が山ほどあったが、丞もまた仕方なく歩き始めた。

 その後ろから追いかけてきた融が、丞の横で声をひそめて訊ねた。

「丞のお父さんって、すげえ若くない? 何歳なの?」

「──今年で38歳」

「……どう見ても、要さんと同じぐらいにしか見えないねえ」

 愕然として呟いた融を見やり、丞は心から同意してうなずいたのだった。


 熱に浮かされたように、燃え上がる炎の鏡をじっと凝視していた玲熙は、体内に埋め込まれていた楔が引き抜かれる感触に、堪えきれない呻き声を上げた。

「……これはこれは、見事な呪法だな。
 さすがに沖守家の血筋というべきか──」

 血飛沫の散った祭壇の上に玲熙の身体を突き放し、晴熙であった鬼は感嘆したように低く呟いた。
 血に濡れた妖美な唇に微笑が刻まれ、やがて堪えきれなくなったのか哄笑を放った。

「これはたまらぬ。とんだ計算違いだ。
 まさかあの要が、冥獄を呼び寄せるほどの力を持っていたとはな。
 こうして力を引き継いだ者が集まるのも、何かの予兆かもしれぬが……」

 鬼はひとしきり笑った後、もはや指先すらも動かせないほど打ちひしがれている玲熙を見つめ、その鼓動を味わうように胸に手を這わせた。

「面白いが、邪魔になるようなら要も殺すしかあるまいな。
 晴熙もずっと嫉妬していた事だし、これを機会に始末してやろうか」

 残酷な事をさらりと口にした鬼を呆然と見上げ、玲熙は力の失せた腕を持ち上げると、その袖もとを握りしめていた。

「──もう、止めて……どうして殺さなければならない!? 
 これ以上、晴熙兄さんに人を殺させないで!!」

 玲熙の青ざめた必死の表情を見下ろし、鬼は双眸を細めると、邪悪な微笑を浮かべた。

「晴熙は、我らと同化し、もはや何も感じない。
 人を殺すことなど、毛筋ほどの事でもないのだ。
 それどころか、愛する者を犯し、憎き者を滅ぼす悦びに浸っておるよ」

 その言葉を聞いた瞬間、玲熙は漆黒の瞳に意思の力を蘇らせ、怒りに満ちた双眸で残虐な妖魔を睨みつけた。

「──おまえがっ! おまえが兄さんを変えてしまったんだ!
 本当は優しい人だったのに、それを……」

 悲鳴を上げ続け、かすれてしまった声のまま、玲熙は強く叩きつけるように言葉をもらした。
 それを可笑しむように見下ろしていた鬼は、玲熙の黒髪をつかんで引き寄せると、血の滲む唇に貪るような口づけを与えた。

 息ができず、苦しむようにもがき、突き放そうとする両腕を片手で封じる。

 やがて玲熙の強張っていた身体が大きく痙攣し、弛緩すると、鬼はその華奢な身体から手を放した。

 頽れた玲熙は、祭壇に両手をついて咳き込み、清浄な空気を求めるように激しく喘いだ。
 身体の中で、鬼から注がれた毒が燻っていた。
 それは身の内から玲熙を痛めつけ、のたうたせる。

 鬼は嘲弄するかのような微笑を浮かべると、苦痛に必死で耐えている玲熙の艶やかな黒髪に指をからめ、その美貌を己の方へと向けさせた。

「おまえは、我らが鬼にしたと思っているだろうが、実のところはそうではない」

 邪悪なる者は、玲熙の髪を手櫛で梳くと、綾に包まれた腕を組んだ。
 その姿はあたかも武神のように凛々しかったが、全身から放たれる妖気が、その鬼をこの上なく邪悪な存在に見せていた。

 涙を溜めた瞳で玲熙が見上げると、鬼は優しく微笑み、やがてさも可笑しそうにくつくつと喉の奥で笑った。

「──結局のところ、晴熙は自ら鬼と化したのだ。
 おまえも長々と能を舞っているのだから、少しは判るだろう?
 『道成寺』しかり、『葵上』しかり──ああ『綾鼓』もそうだな。
 晴熙もこれらと同じだ。どういうことは、おまえなら判ると思うが」

「……シテは、みな恋に破れ、恨みで怨霊と化した者たち」

 呆然として呟いた玲熙に、鬼は残酷な眼差しを投げかけた。
 そして、相手を傷つけるためだけに、真実を語る。

「晴熙は、決して叶わぬ恋に悩み、苦しみ、そして狂った。
 それが全ての始まりだ。
 可憐で愛らしく、この上なく美しい弟を見るたび、邪恋に身を焦がす己を責め、それでも収まらない欲望に身悶えた。
 いっそ最初から自分本位に動いていれば、狂わずにすんだのだろうがな」

 微かに憐憫を含んだ瞳で宙を仰ぎ、鬼は凍り付いたように動けなくなった玲熙を見下ろして、同情するように告げた。

「おまえに罪はない──おまえは晴熙の傍にいただけなのだから。
 邪な想いを長く秘めていた晴熙は、3年前、我らの呼びかけに応じ、あの『真蛇』の面を手に取った。
 我らは晴熙の願いを叶えるため、力を貸してやった。
 そして血が目覚め、鬼と化した晴熙は、おまえに近づく者たちを殺めていった」

 その言葉は慰めるように優しかったが、残忍な意思が奥底に漂い、その響きが玲熙を打ちのめし、苦しめた。

「罪は無い」と言いながらも、自分さえいなければ晴熙が狂うこともなかったのだと思い知らされる。

 晴熙から暖かな家族を奪い、そして極限まで苦しめ、その運命を狂わせてしまった。
 もし己が生まれてきさえしなければ、皆から期待された通り、兄は輝かしい人生を歩めたのだろう。

 思い悩む心を読みとったのか、鬼は玲熙の顔を撫でると、血生臭い吐息が触れるほどに顔を寄せてきた。

 血のように赤い双眸がぎらりと輝き、その禍々しい光に玲熙は意思を奪い去られた。

「晴熙は、おまえに下心を抱く者たちを許せなかった。
 何故なら、本人が一番、こうしておまえを抱き、身体を重ねたいと願っていたゆえに」

 鬼はくすくすと残忍な笑い声を立て、再び、思い知らせるように深く唇を重ね合わせた。