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舞の刻



<53>



「ってなわけで、私たちは怒濤のような餓鬼の群をかいくぐり、ようやくここまでたどり着いたっていうわけ。
 どう、感動的なお話でしょう?」

 気色の悪い餓鬼の様子を、微にいり細にいり描写するように説明し、あたかも訓練された語り部のように話し終えた冴夜子は、大きく胸を張ってソファの上で仰け反った。

 すると、融が大きな目を感動に潤ませ、ぱちぱちと手を叩く。

「すご〜い、冴夜子さん。俺、すっごく感激しちゃいました」

「あらぁ、可愛いこと言うわねえ、融君ってば」

 竜泉閣ホテルで化け物との籠城戦を余儀なくされた緊迫した状況ではあったが、感覚の狂った二人はいたって悠長な会話を交わしていた。

 丞は深刻なため息をつくと、ソファから立ち上がった。

「──あら、丞、どこに行くの?」

 問いかけてくる冴夜子を振り返り、丞は琥珀の双眸を細めて見下ろした。

「おまえの冗談に付き合って時間を無駄にした。
 ──俺は、玲熙を捜さなければならないというのにな」

 いつになく冷ややかな丞の瞳を見返し、冴夜子は美しく整えられた眉をつり上げた。

「あら、私の話を信じないわけ?」

「今の話を簡単に信じろという方が無理があるだろう。
 冴夜子がどこまで脚色を加えているのか知らないが、父さんが陰陽師だっていうのが一番信じがたい」

 それが当然の事実であるかのように話す冴夜子に、丞は不審の目を向けた。
 どう考えても、自分が十何年も付き合ってきた父親像と、冴夜子の話に出てくる司が繋がらない。
 あの、いつもほのぼのとしてドジな司が、冴夜子の危機を颯爽と救ったとは、とても想像できなかった。

「──丞がショック受けるのは判るけど、峰月が陰陽師の家系っていうのは真実だわ。
 峰月本家に生まれた私やお兄様は、幼い頃からずっと厳しく訓練を受けてきた。
 私には才能が無いと判った時、お父様は初めて私に自由を与えてくれた。
 でも、お兄様や司ちゃんは……今でも家に縛られてる。
 ──あんたは、峰月の血族としては、誰よりも恵まれてるのよ、丞。
 こうなった以上、何も知らないでは済まされないわ」

 ソファから身を乗り出した冴夜子の顔は、冗談を言っているとは思えないほど真剣で、厳しいものだった。

 不意に胸に苦々しいものが込み上げ、丞は顔から表情を消したまま、踵を返した。

 そのまま玄関ホールへと足早に向かうと、後方から冴夜子が追いかけてきた。

「──待ちなさい、丞!
 今、一人で飛び出したところで、あんたには何もできないでしょう?
 自暴自棄になったって、餓鬼を呼び起こすほどの鬼には敵わないわ!」

 丞の正面に回り込んだ冴夜子は、その行く手を塞ぐように両手を広げた。

 従姉の美貌を見下ろし、丞は琥珀の瞳を光らせると、唇の端に皮肉げな微笑を刻んだ。

「おまえは、全てを見通してこの島に来たんだな、冴夜子?」

 その言葉に含まれる鋭い棘を感じながらも、冴夜子は挑戦的に丞を見上げた。

「──そうよ。
 峰月家は、古来から鬼を屠るためだけに存続してきた。
 歴史上に名が出ることはなく、ずっと隠密裏に事を運んできたから。
 峰月の最終目的は、かつて吉野で権勢を誇った鬼の一族を滅ぼすこと。
 ……隠岐宮家は──彼らの末裔なの。
 だから、ずっと見張り続けてきたのよ、峰月家に連なる者たちが」

「──いつの日か、隠岐宮家を根絶やしにするために?」

 鋭く双眸を眇めた丞の言葉に、冴夜子は一瞬、狼狽したように瞳を揺らした。
 いつも気丈な従姉がすぐには言葉を継げない様子を見とり、丞は己が図星を指したのだと悟った。

 その瞬間、丞の唇に嘲笑うような表情が浮かび上がった。

「たとえ峰月家が隠岐宮家の宿敵なのだとしても、俺は玲熙の敵にはならない。
 どちらかを選べというのなら、玲熙を守ることを選ぶだろう。
 それが一族を裏切る行為だとしても、今の今まで、真実を知らされなかった俺には、全く関係のない事だな」

「あんたはそれで良くても、司ちゃんはどうなるのよ!」

 きっと眦をつり上げて冴夜子が丞を睨んだ瞬間、背後からのんびりとした声がかかった。

「やめなさい、二人とも。
 こんな所で喧嘩をするもんじゃないよ」

 丞が振り返ると、そこに穏和に微笑む司と、冷ややかな表情をした要の姿があった。

「──家同士の争いは、一時休戦ということになった。
 だから、冴夜ちゃんも心配しなくてもいいよ。
 この事態を沈静化させなければ、一般人にもどんどん被害が及んでしまうからね」

 おっとりとした司の説明を聞き、冴夜子は驚いたように要の秀麗な顔を見つめた。

 要は怜悧な瞳を丞に向けると、唇に淡い微笑を刻んだ。

「丞君、鬼は、今まで殺し損ねていた君を今度は全力で殺しにかかるでしょう。
 一人で玲熙さんを捜しに行けば、まず間違いなく狙われ、なぶり殺しにされるでしょうね。
 ──無駄死にをしたいのですか?」

 丞が眉根を険しく寄せると、要はくすりと笑った。

「君はね、恐らく誰よりも確実な囮になる。
 無闇に探し回るより、敵をおびき出す方が早いでしょう。
 君が姿を現せば──必ず鬼は姿を現します。
 我々に利する地におびき出した方が、勝率も上がるというもの」

「仮に、俺を餌にして鬼退治に成功したとして、玲熙を助け出すことができると?」

 丞が訝しげに問うと、要は憂いを瞳に浮かばせ、深くため息をついた。

「鬼を倒さなければ、玲熙さんを助け出すことは不可能です。
 むしろ鬼さえいなくなれば、玲熙さんの居所はすぐにつかめる。
 ──生きてさえいてくれれば」

 その瞬間、苛立っていた丞の神経がすっと冷え、代わりに掻きむしられるような動揺が心の中に生まれた。

 玲熙の姿が消え失せてから、いったいどれほどの時間が経ったのか。
 その間に一度も「死」という可能性を考えなかった自分の甘さを、丞は罵りたくなった。

(──落ち着け……かの者は死んではおらぬゆえ)

 その時、すでに馴染みになりつつ密やかな声がなだめるように囁きかけてきた。

(おまえなら、玲熙の居場所を突き止めることができるか?)

 安堵と疑惑が交錯してはいたが、それでもそう問いかえすと、それはうなずいた。

(だが、その者の言う通りかもしれぬ。
 我が力でそなたを導くことは容易いが、あの場所で戦うことはできぬ。
 ──我が君の眠る神聖なる場を、これ以上汚してはならぬゆえ)

(要さんが言うように、俺を狙って、鬼はここまでやって来るだろうか?)

(最初は配下の者を送り込んでくるであろうが、いよいよとなれば出るだろう。
 あれは全てを見ている──ゆえに挑発し、誘い出せばよい。
 無闇に捜し回るより、計略を練って誘い出した方が労もかからぬ)

 楽しむような言葉に、丞は内心で嘆息をもらした。

(おまえも要さんと同じ事を言うんだな)

(優れた策は一万の軍勢にも勝ろうよ。
 こちらには主上の血を引く者がおり、さらには優れた術者もいる。
 そして我がここにあることを、あれは未だ知らぬ)

 その言葉に決意を固めた丞は、司と要の顔を冷静に見返した。

「──判りました。俺が囮となって、鬼を誘い出しましょう。
 だが、俺は何をすればいいんです?」

 要は唇に微笑を浮かべると、途端に心配そうに眉をひそめた司を一度見下ろし、そして笑みを含んだ瞳で丞を見返した。

「私と峰月さんとで、このホテルに二重の結界を張ります。
 そして、一カ所だけ門を開く。
 ──あなたと融、そして冴夜子さんは、そこで餓鬼たちと格闘してください」