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舞の刻



<55>



 驚愕して硬直してしまった融を見やり、丞は怒鳴った。

「上にいる方が有利だ。とにかく、一匹ずつ突き落とすぞ」

 震え上がった融を励ますように、丞はまず一匹目を鉄棒の尖端で強く突き、地面に転落させた。

 そしてその横の餓鬼をも突き落とす。

「うひいぃぃぃっ。気色悪いっ! 手に伝わってくる感触が、何ともいえずやな感じ!!」

 悲鳴を上げながら、それでも我に返った融が餓鬼を力一杯に突き刺した。

「そのうち慣れるだろ。モグラ叩きだと思ってやってろ!」

「本物のモグラは叩いたことないのよ、あたしっ!!」

 平時であれば笑ってしまいそうな会話ではあったが、死に物狂いで戦っていた融は、自分が反射的に冗談めいた言葉を返したことにも気づいていなかった。

 騒々しい二人の高校生の横で、冴夜子は精神を集中させ、雑念を払いながら、黙々と剣を払っていた。

 司の力によって破邪の呪法がかけてある木刀は、まるで豆腐を切るような感覚で餓鬼を切り裂くことができた。

 と、その時、再び大地が鳴動した。

 身を乗り出していた丞は、危うく手すりの向こう側に落ちそうになった。
 辛うじて踏みとどまると、同じようにつんのめった融の襟首をつかみ上げた。

「きゃあああっ! お母さ〜ん、助けてえぇぇっ!!」

 けたたましい悲鳴を上げた融を引き上げた丞は、「うるさい!」と怒鳴ってから、呆然と地上を見下ろしている冴夜子の傍に駆け寄った。

「冴夜子、大丈夫か?」

「……まずいわ。今ので、剣が落ちちゃった」

 低く呟き、悔しそうに眉根を寄せた冴夜子を見つめ、丞は同様に地上を見下ろした。

 しかし地震で壁から振り落とされた餓鬼が蠢く地上では、木刀を捜し出すことは不可能であった。

 地震で全てが振り出しに戻ったのは幸運だったが、破魔の太刀を無くしたことは大きな損失と言えた。

 見ているうちに、餓鬼達は懲りもせずに壁をよじ登り始める。

 全く学習をせず、同じような行動を繰り返す餓鬼の単調な蠢動が、色の濁ったさざ波のように不気味に迫っていた。

「──冴夜子、あの剣の他に、何か餓鬼を払う方法はないのか?」

「司ちゃんに呪符をもらっておいたから……彼の式神を召喚できるかもしれない。
 でも、私だと司ちゃんより時間がかかっちゃう。
 あの剣があれば──もっと簡単に呼び出せたんだけど」

 きゅっと唇を噛んで沈痛な顔をした冴夜子は、己を責めるようにうつむいた。

 丞はその肩に両手をかけ、青ざめた従姉の美貌を覗き込むようにして言った。

「だったら、ここは俺達が防いで時間稼ぎをするから、後方に下がって呼び出せ。
 ──いいな?」

 拒絶が許されぬほどの強い口調で言われ、冴夜子は沈黙してうなずくと、手すりから離れて立った。

「タスクちゃ〜ん! 来たわよ、化け物たちが。
 きゃああっ! どっか行ってえぇ!!」

 よほど混乱しているのか、すでに女言葉が元に戻らなくなっている融は、這い登ってきた餓鬼を片っ端から突き落としはじめた。
 やや遅れて、丞もそれに加わった。

「──謹請、皇天上帝、三極大君、日月星辰、八方諸神、司命司籍、五方の五帝、四時の四気……災禍を除かむことを請う。

 ……南は炎光より来たりて、我が意に従い、悪鬼を滅したまえ──急急如律令」

 長い形式に則った呪詞を唱え終わった冴夜子は、逆さに五芒星を描くように手刀で宙を切ると、一点を加え、呪符を放った。

 地上に落ちていく呪符は突如として燃え上がり、不滅の焔をまとった鳥の姿を形作ると、吸い込まれるように餓鬼の群へと突っ込んでいった。

 舞い降りた炎の鳥は、裁きの劫火で餓鬼を焼き尽くしてゆく。

 灰燼すら残さずに消滅していく餓鬼の群の間を、一条の閃きのような炎が走った。

 その凄まじい破壊力に驚愕する一方で、冴夜子は身体中から力が抜けていくような感覚を味わっていた。

 この世に召喚された幻惑の鳥は、冴夜子の力を奪い取りながら、餓鬼を葬っていく。

 倒れそうになる身体を必死で支え、餓鬼たちを睨みつけていた冴夜子は、額から流れ落ちてきた汗が目の中に入っても、意思の力で目を見開いていた。

 視界が霞み、もはや見ているとは言えなかったが、無意識の衝動が目を閉ざすことを許さなかった。

 突然現れた炎の鳥が、餓鬼たちを焼き尽くしていくのを見守っていた丞と融は、最後の一匹が燃え尽きた時、冴夜子が地面に頽れたことに気づいた。

 慌てて丞が抱き起こすと、まるで激しい運動の後のように汗が流れ落ちている。
 しかし、冴夜子の身体は驚くほど冷たかった。

 意識を失っている青ざめた顔を軽く叩いた丞は、まるで死人のようにぴくりとも動かない冴夜子を抱き上げると、庭の中に置かれていたベンチに横たえた。

「冴夜子さん、大丈夫かな?」

 心配そうな顔で冴夜子の顔を見下ろしていた融が、横に立っていた丞に訊ねた。

(……心配することはない。限界を超えた力を放出して、一時的に気を失っているだけだ)

 問いかける前に低い声が脳裏に響き、丞は大きく息を吐き出した。

「──大丈夫だろう……多分。少し休ませておけばな。
 冴夜子のおかげで俺達は助かったわけだが、すぐに次が来たらさすがにやばいな」

「俺も要さんから何か聞いておけばよかったなあ」

 呟くように言った融を見て、丞は思わず苦笑していた。

「あんな荒技、素人がやったら絶対に死ぬぞ」

「あ、そうか。あれは要さんだからできたんだ。
 でも、要さん、俺の家は式神の家系だとかって言ってなかった?
 何だかよく判らないけど、だったら、何かできそうなもんだよなぁ」

 ぶつぶつと呟く融を見下ろし、丞は複雑な心境に駆られた。
 融と同じ気持ちであるには違いない。

 今、この場で出来ることがあるなら、迷わずにそれを選択しているだろう。

(──父さんは、何故、俺に何も教えなかった?)

 突然、今までに感じたこともない父親への不信感が胸裡に沸き起こり、丞は軽く目を閉じて頭を振った。

 冴夜子はそれが当然のこととして、司を信頼している。
 頭の良い従姉であるから、叔父とは言え、人を無条件に信頼することは滅多にない。

(知らなかったのは、俺だけか……)

 思わず苦笑が込み上げ、丞は自嘲するように喉の奥で笑った。

 疑いだせばきりばないのかもしれない。
 全てが最初から仕組まれていたことのようにさえ感じられた。

 峰月家が、鬼の血を引くという隠岐宮家の血筋を断つために存在しているというのなら、その血を受け継ぐ融もまたその対象になるのだろうか。

 明らかに常人とは異なる力を持った要や──そして玲熙も……。

 丞が深いため息をついた時、思考の隅で、過去を懐かしむような声が聞こえてきた。

(──かつて、吉野の一帯には、人に知られることなく、鬼の一族が住んでいた。
 ひっそりと……だが確実に。
 やがて、鬼を見いだす眼を持った陰陽師が現れ、我が君を──鬼族の頂点に君臨していた大帝を滅ぼす決意をした。
 それが峰月晴影(ミネヅキ ハルカゲ)……そなたの片親の祖先だ、丞)