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舞の刻



<58>



 空中に立った晴熙の全身から、のたうつ幾万の蛇のごとき妖気と殺気が放たれる。

 倒れている丞や、冴夜子を背後にかばうようにして立った要は、ゆっくりと八握剣を構えた。

 今まで襲ってきた餓鬼とは違う圧倒的な力の前に、要は唇に微笑を刻んだ。

「──まさか、当主になるべき方と戦う日が来ようとは、夢にも思いませんでしたよ」

 苦い思いと共にそう呟いた要は、嘲笑を浮かべる晴熙を見つめ、呪禁を唱えようとした。

 ところが、それを遮るようにして目の前に立ちはだかった者がいた。

「この鬼は、僕が屠ります。
 要さん──丞の仇をとらせてください、お願いします」

 淡々とした口調で、司がそう告げた。
 その身体から吹き出すのは紛れもない闘気であり、劫火が燃え盛るほどの凄まじい迫力に、思わず要は一歩後退った。

「──僕はあなたを哀れに思いますよ、晴熙さん。
 だが、大切な息子の命を奪われた以上、僕はあなたを滅ぼすしかない」

「そう簡単に僕を殺せると?
 峰月の術者だろうが、おまえたちが今まで封じてきたものと同じように考えているなら、それは大きな間違いだ。
 僕は一族の再興をするべく選ばれた者──邪魔をするのは許さない」

 牙を剥き出し、哄笑を放った晴熙の瞳が深紅に光った途端、その身を取り巻いていた暗黒の蛇が、あまたの矢となって司に襲いかかった。

 足場に結界を張り攻撃をかわした司は、手刀で宙に五芒星を描くと、数枚の呪符を晴熙に向けて放った。

 その瞬間、それは姿を変え、晴熙に反撃を加えた。

「……騰蛇、天后、六合、勾陳。鬼を縛し、鬼門を封じよ。
 青竜、朱雀、白虎、玄武──力を以て、鬼を討て……急急如律令!」

 長い翼ある蛇が鬼の身体を封縛するように絡めとり、凄まじい形相をした山犬が威嚇するように咆哮する。

 そして雷鳴が鳴り渡り、稲妻が走った。

 暴風が吹き荒れ、炎が柱となって燃え上がる。
 大地が激しく震動し、全てが力となって晴熙という名の鬼を攻撃していた。

「──すごいな、これほど力ある式神を使役できるとは……」

 丞や、融、そして冴夜子を守るべく結界を張り巡らしていた要は、全ての力の根源に立つ司の小柄な背中を見つめ、感嘆したように独白した。

「……司ちゃんは、峰月家の中で最強の陰陽師なの。
 あの安倍晴明が使役した十二神将を軽々と扱えるのは、あの人だけ。
 でも──これほど一度に呼び出したのは……私も初めて見たわ」

 いつの間に覚醒したのか、背後にいたはずの冴夜子が傍らに立ち、呆然と呟いた。

 そして放心したように座り込んでいる融と、その前に倒れている丞を見下ろし、どういうことかと訊ねるように要を見つめた。

「丞を殺したのは……あの鬼なのね?
 だから、司ちゃんがあんなに怒って、悲しんでいるんだわ。
 ──本当は、自分から戦おうとする人じゃないのに……」

 あまりに突然の衝撃に涙さえ出ないのか、冴夜子はひどく平淡な声で言った。

 熾烈な戦いの余波を遮るために結界を支えなければならないのだから、今ここで説明している暇はない。

 そして、詳しく説明したところで冴夜子を混乱させるだけだとも思い、要は軽くうなずくに留めた。

「私も手伝うわ──守護の結界なら、私も作り出すことができるから」

 ショックから立ち直り、冴夜子が決然とした表情でそう告げると、要はかぶりを振った。

「今はまだ大丈夫──あなたは力を温存していてください。
 私が外にでて戦わなければならなくなった時、彼らを守れるのはあなたしかいません。
 その時には、全力で結界を張っていただきます」

 と、その時、司の式神たちの攻撃を受けていた晴熙の身体が霞むように揺らめき、その直後に凄まじい閃光が放たれた。

 空気を震わせるほどの衝撃波に、思わず目を庇おうと片手を上げていた冴夜子は、獰猛に牙を剥きだした鬼が、式神たちを弾き飛ばしたのを見たのだった。

「──そんな馬鹿な! あの攻撃を受けて、まだ無事でいられるなんて」

 驚愕した冴夜子が悲鳴に近い声を上げた。

 要は眉根を寄せ、晴熙と司の双方を見つめた。

 肩で大きく息はしているものの、明らかに晴熙にはまだ余力がある。

 一方の司の方は、式神の大半を使役していたため、それを破られたダメージが多きすぎるようだった。
 死んでいないのが、不思議なほどだった。

 要はもう一度、傷を負っていないようにさえ見える晴熙に視線を向けた。
 いくら鬼であるとはいえ、あれほどの攻撃を受けて無傷でいられるとは思えない。
 消耗はしているはずだった──確実に。

 違和感が警鐘のように鳴り響いてはいたが、要は、もはや司が戦えないであろうことを察していた。
 このまま戦い続ければ、恐らく、彼もまた命を落とすだろう。

「──やはり、出るしかなさそうだな」

 晴熙の力を見せつけられた今、要もまた全力で戦う覚悟をしなければならなかった。

 己一人の力で勝利を得られるかどうかは判らない。
 式神を使役するにしても、十二神将よりも強大なものは数えるほどしか存在しない。

 鬼神に匹敵するほどに強力な妖獣は──。

 その時、不意に天啓のような閃きが走り、要は呆然と座り込んだまま泣いている融を振り返っていた。

「冴夜子さん、全身全霊で結界を張ってください。
 私の呪法は荒すぎますから、あなたたちをも巻き込んでしまいます」

 恐ろしいほどに真剣な表情の要を見つめ、冴夜子は大きくうなずいた。

 要は前進すると、驚くべき膂力を発揮し、片腕で膝をついている司をすくい上げた。
 そして、結界の中に乱暴に放り込む。

「──融! 結界の中から出ろ!」

 鋭い声でそう命じた要は、びくりと震えて見上げてくる融に、さらに強く呼びかけた。

「早くしろ! おまえも死にたいのか!!」

 要が睨みすえた瞬間、まるで催眠術で操られたように融は立ち上がり、ふらふらとした足取りで結界から歩み出てきた。

 要は唇に微笑を刻むと、強い妖気の波動を取り戻しつつある晴熙を見つめた。

「許しは請いませんよ、晴熙さん。
 あなたをこのまま野放しにすることはできないんです。
 玲熙さんのためにも、隠岐宮家の存続のためにも、今のあなたは害にしかならない」

 不敵なほどに冷静な要を見返し、晴熙は狂気の形相で微笑みかけた。

「僕を殺せるか、要?
 だが、僕を殺せば、隠岐宮家の血を誰が継いでゆく?
 父も長くは保たないだろう……僕が命を削っておいたからな。
 ああ──玲熙を娶り、おまえが当主に成り上がるという手もあるな。
 だが、玲熙は渡さない──誰にもな」

 高らかに嘲笑する晴熙を、要は憐憫の眼差しで見つめ、剣を構えた。

 そして呪禁を唱える。
 沖守家にのみ代々伝わっている、人には決して理解できぬ言葉を。

「……いでよ、我に仕えしもの。
 その姿を現し、我が敵を呪縛せよ」

 剣尖を空に向け、要は命を下す。

 その瞬間、立ちすくんでいた融の身体の内から、分厚い雲に覆われた天空に目がけ、白い閃光が飛び出したのだった。