Rosariel.com
舞の刻



<6>



「うーん、俺の憧れていた選手が、俺の友達になるなんてね。
 俺ってなんて幸せなんでしょ。
 あのミネヅキタスク君が、俺の頭を叩いているなんて」

「気色の悪いこと抜かすな、バカ」

 くるっと後ろを向き、にやにやと笑っている融の額を、丞はパチンと叩いた。

「そーお? いいじゃないのよ、別にさあ。
 それにしても、タスク君の目って綺麗ねえ。
 まるでライオンとか狼って感じよねえ。
 でもライオンの雄ってナマケモノらしいから、やっぱり狼かしらぁ?」

 融が声を裏返させて喋り続けると、バスの乗客が冷ややかな視線を送ってきた。
 さすがに耐えきれなくなり、少し力を込めて丞が小突くと、融は気味の悪い悲鳴を上げた。

「きゃーあ、いったーい!」

「いい加減にしてくれ。見ろ、全身に鳥肌が立ってきた」

 声音を低くしてそう言うと、融はぴたっと真顔になり、にっこりと朗らかな笑みを浮かべた。

「いやあ、つい悪のりしちまった。今日が来るのを心待ちにしてたんだ。
 今日の4時限目は体育なんだよ、ワトソン君。
 僕のこの喜びが、君に判るかね?」

 急にシャーロック・ホームズ化した融は、丞の目の前で人差し指を振った。

「それで、何が嬉しいんだ?」

「判らないたあ、悲しいな。昨日、体育の山本の所に何をするのか聞きに行ったのさ。
 すると彼はこう答えた。『おまえの大好きなものだ』とね。
 さあ、これでもう判っただろう、ワトソン君」

「誰がワトソン君だ、まったく。
 つまり、今日の体育はバスケなんだな。
 それで、おまえは何を期待してるんだ?」

 大きなため息をついた丞に、なおも融は話し続けた。

「とぼけたってだめだよ、ワトソン君。
 僕がどれだけ君に期待していると思ってるんだ?
 僕の前、いや全生徒の前で、あの華麗なダンクシュートを決めてくれたまえ」

 手を広げて演説をしている融を見て、丞は眉間に皺を寄せた。

「俺は見せ物じゃないぞ」

「そんなことは承知してるって。
 だから、一回だけでいいから見せて。ね、お願い」

 アーモンド型の大きな目を急に輝かせ、胸の前でお祈りポーズを融を見やり、丞は思わず天を仰いだ。

 窓の外を見ると、バスはもうすぐ学校の校門前に到着しそうだった。
 校門の前には、見覚えのあるベンツが止っている。

 丞と融がバスから降りると、校門の前に隠岐宮玲熙と、弁護士の沖守要が立っていた。
 2人は何か口論をしているようだった。

「ですから、進路についてはまた後日……」

「結局、おまえだって、父さんや兄さんと同じだ。一族が第一なんだろう!」

 低く穏やかなたしなめるような声と、鋭いやや高めの澄んだ声。
 どちらが玲熙の声なのかは、聞き間違うはずもなかった。

 しかし、丞と融の姿を認めると、玲熙はふいっと校門の中に歩み去ってしまった。

「おはようございます、要さん」

 珍しく、融が丁寧に頭を下げて挨拶をする。
 教師相手にすらそんな態度をとった姿を見たことがなかった丞は、やや驚いて融の横顔を見下ろした。

「ああ、融か。おはよう、久しぶりだね」

 沖守要は、融の顔を見つめると、穏やかな微笑を浮かべた。
 眼鏡をかけてはいるが、その秀麗な容貌を隠せるはずもなく、かえって怜悧な印象を受けた。
 身長は180センチを少し越えたぐらいで、淡いグレーのスーツを上品に着こなしていた。

 沖守は丞の姿を見ると、軽く会釈をしてから融に訊ねた。

「こちらは?」

「峰月丞君です。始業式の日に転校してきて、友達になりました。
 それより、玲熙、どうかしたんですか?」

 丞を沖守に紹介した融は、心配そうな顔で訊ねた。

「大した事ではないんだ。ただ、ちょっと気が立っているだけなんだろう。
 ──ああ、引き留めて悪かったね。早く行かないと、遅刻してしまうよ」

 丞が腕時計を見ると、ホームルームの5分前であった。

「じゃあ、これで失礼します。……丞、走るぞ!」

 沖守にぺこりと頭を下げた融は、その後一目散に校舎に向かって走り出した。
 丞も沖守に会釈をし、その後を追う。

 2人が走り去っていく後ろ姿を見送っていた沖守要は、唇にうっすらと微笑を浮かべた。
 それは先程までの穏和な微笑とは異なり、どこか人を恐れさせる雰囲気があった。

「あれが、峰月丞か……」

 低く呟いた沖守は、すっと笑みを消して仮面のような無表情になった。


 3時間目の数学が終わり、10分間の休憩時間になった時、融が丞の傍らに子犬のようにすり寄ってきた。

「タスクちゃん。あたしとの朝の約束、忘れちゃいやーよ」

 猫なで声を出す融を、丞は流し目で見やった。

「おまえもいい加減にしつこいな。俺は見せ物じゃないって言わなかったか?」

 その途端、融はすねたような表情になった。

「だって、夢にまで見た憧れの選手だったんだもーん。
 期待するなって言う方が、無理じゃなくって?」

 口調はそのままだったが、どことなく気落ちしたような声だった。
 隣にいた正志もそれに気づいたのか、ちらりと丞を見つめた。

 融は思わず瞳を宙に向けた。
 そしてふと考える。
 これまでになくクラスにスムーズに溶け込めたのは、予想外とはいえ、融のお陰だった。

「……判った。ただし、一回だけだからな」

 ため息混じりで丞が答えると、融はぱっと顔を上げた。

「マジで!?」

 融の表情はぱっと明るくなり、そのまま踊るような足取りで教室を出ていってしまった。
 それを見て嘆息した丞に、正志が笑いながら言った。

「あいつが君にもの凄く憧れていたってのは本当だよ。
 去年の選抜見物から帰ってきた時、耳にタコができるほど散々聞かされたからね。
 ま、とりあえず、着替えに行こうぜ。
 更衣室はこっちだ」