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舞の贄



<12>



 やせ細った顔で淡々と語る泰熙を見つめていた志熙は、血色を思わせる赫い唇に憂えるような微笑みを刻んだ。

「祥子様は──泰熙様の事も案じておられました。
 いつの日か、血族という重荷が、あなたを押し潰してしまうのではないかと。
 たとえ一族のためであっても、晴熙を殺すことを、あなたは望んでおられない。
 その事は、きっと祥子様も判っておられます」

「──おまえは優しいな、志熙」

 隠岐宮家の当主はそう呟き、さらりと純白の髪を揺らして首を傾げた志熙を見つめて低く笑った。

「さあ、どうでしょう。要が聞けば、賛成しかねるとでも言うのでは?」

 冗談めかしてそう言った志熙は、白皙の美貌に穏やかな淡い微笑を浮かべた。



 竜海山の尾根に広がる隠岐宮総本家の屋敷に戻った玲熙は、自室で着替えをすませると、母屋の北側にある客間へと向かった。

「──失礼いたします」

 玲熙が襖を開けると、部屋の中には老人かと見紛うほど真っ白な髪を持つ男が正座をして待っていた。

 その純白の髪は腰まで届くほど長く伸ばされ、元結で一本に結ばれている。

 宮司の纏う白い浄衣を身につけた姿は、実体の無い幻影のようにも見えた。

 驚愕のあまり一瞬動けなくなった玲熙を見つめ、丁寧に頭を下げる姿は、まるで絵に描かれたかのように端然としている。

「はじめまして、玲熙様」

 顔を上げた榊志熙は、男性であることが信じられないほど端麗な容貌をしていた。

 玲熙にとって志熙は、血縁上、又従兄弟にあたるらしい。

 玲熙の祖父の妹の孫──玲熙と志熙は、血族の中でも割合に近い関係であった。

「志熙さん、どうかおくつろぎになってください。
 僕が……いえ、私があまりにも未熟者だから、鬼塚森神社の宮司を、志熙さんにお願いすることになったのですから」

 志熙の持つ森閑とした雰囲気に気圧されながら、玲熙は躊躇いながらもそう告げた。

 明らかに当惑している玲熙の表情を見返しながら、志熙は静かに微笑んでいる。

 玲熙は、かつて榊志熙に出会った事は一度もなく、その存在の噂すら、あまり耳にしたことはなかった。

 榊志熙という名そのものが、一族の中では禁忌に近いものであるらしい。

 そのため、玲熙が志熙と対面して話すのは、これが初めてであった。

「──しかしながら、泰熙様がお亡くなりになられれば、次代の当主は玲熙様です。
 鬼塚森神社の宮司を任されましたが、おそらくそれは一時的な事にすぎない。
 主筋に仕えるは私たちの務め、さらにあなたは巫女であられる。
 私たちが礼を失することは許されません」

 白子(アルビノ)かと疑われるような志熙の容姿だったが、その双眸は深い闇色を抱いていた。

 年齢は沖守要よりも1歳年下であるらしかったが、26歳という若さだとは信じられないほどの落ち着いた風格を備えている。

 ひたと揺るぎのない静謐の眼差しを向けられ、玲熙はいたたまれない気分になった。

「……志熙さん、私は隠岐宮家の当主であることが何を意味するのか、何も教えられずにきました。
 本来、当主になるはずだった兄は──あれ以来、行方不明になってしまって……。
 父も、多分、私に教えることはできないのでしょう。
 要から、私に隠岐宮家の事を教えられるのは、志熙さんだけなのだと聞きました。
 何も知らない私のために、無理をして来ていただいて、本当に申し訳なく思っています」

 玲熙の言葉を聞いていた志熙は、ほとんど怜悧な表情を変えなかったが、話が終わるとうっすらと微笑んだ。

「──そう、確かに今は私しかお教えできる者はおりません。
 それゆえ、要から依頼がなくとも、いずれ私はあなたに出会わなければならなかった。
 隠岐宮家の歴史は古く、そして重い。
 全てをお教えするには時間がかかります。
 ……ですが、今の玲熙様に必要なのは、知識を得ることではなく、常に心を平静に保つことではないでしょうか?
 泰熙様があのような状態で申し上げるのは酷な事でしょうが、それが一番重要なのだと私は思います」

 雪の結晶か、あるいは研ぎ澄まされた刃が首筋を撫でるような冷淡な声に、玲熙は微かに身体を震わせた。

「……すみません。一族の者たちが、私に不安を感じているのは知っています。
 もっとしっかりしなければならないと判っているのですが──」

 揺れ動く感情を持て余している玲熙は、己の不甲斐なさを責めるようにうなだれた。

 肩を落とした玲熙を、志熙は感情の波立たぬ黒水晶の瞳で見つめていた。

 ──優麗な美貌、華奢なほどに細い身体、そして儚い玻璃のような心。

 志熙には、玲熙が「隠岐宮家」という重責に耐えかねているように見えた。

 晴熙が引き起こした凄惨な事件や、間近に迫る父親の死が、塞ぐことのできない深い傷となって玲熙の魂を痛めつけている。

 だが、翼を傷つけられ地面に落ちた小鳥が、それでも必死に空を目指し、飛び立とうともがいているような──。

 底知れぬ深い双眸を一度閉ざした志熙は、もう一度玲熙を見返すと、優しく穏やかな微笑を浮かべていた。

「あなたはまだお若い、玲熙さん。
 泰熙様の事もまだ受け止めきれずに、あなたは迷っていらっしゃる。
 できるだけお力になれるよう、私も精一杯の努力はいたします。
 悲しみが深いのは当然のこと──少しずつ、お心を癒されることです。
 けれど、あなたには立ち向かわねばならぬものがあるのだと、どうぞお心に留め置いてください」

 慰撫するように柔らかな空気が、玲熙を包み込む。

 慰められているのだと察し、玲熙は淡く微笑んで見せた。

 しかし先の見えない暗い未来を怖れ、立ちすくんでしまっている心は、完全に晴れるということはなかった。

「ありがとうございます、志熙さん。
 どうかこの家を、ご自分の家だと思って過ごしてください。
 ──父と、少し話をしてきますね」

 そう言って、玲熙は静かに立ち上がると、父親の病室を見舞うために退室した。

 廊下に出た玲熙は、緊張を解くようにため息をついた。

「現当主である泰熙が死んだ後はおまえが当主なのだ」といろいろな人に言われる度に、心がぎりぎりと締めつけられ、悲鳴を上げたくなってしまう。

(──だって……まだ、お父さんは生きているのに──)

 余命は短く、もはや父親は助からないのだと聞いても、それでも奇蹟が起こるのではないかと玲熙は思ってしまう。

 もしかすると父は順調に快復して、今まで通り宮司や当主としての義務を果たしながら、健やかな日々を送れるようになるかもしれない。

 ところが玲熙の周囲は、もはや泰熙の死は当然のことだというように振る舞い、その死後の事を考えて動き出しているのだ。

(どうして? ……お父さんが死んだ方がいいって、みんなそう思っているから?)

 唇を噛みしめて涙を堪えていた玲熙は、不意に名前を呼びかけられ、顔を上げた。

「玲熙さん──……志熙はこちらに来ていますか?」

 丞と話し終えて戻ってきたらしい沖守要を見上げた玲熙は、すぐに視線を逸らし、無言のままでうなずいた。