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舞の贄



<13>



 ところが、そのまま玲熙が立ち去ろうとした時、急に背後から肩をつかまれた。

「どうかしたのですか、玲熙さん?
 志熙に……何か酷い事を言われましたか?」

 眼鏡の奥の怜悧な双眸が、何事だと問うように見つめてくる。

 驚愕して要の端整な顔を見上げていた玲熙は、双眸を見開いたままかぶりを振った。

 しかし、納得できないというように要が目を細めた途端、玲熙は涙で潤んだ黒曜石の瞳に怒りを走らせると、秀麗な守護者の顔を厳しく睨みつけた。

「何でもない──……いいよ、僕の事は放っておいても。
 どうせ要は、巫女としても、当主としても、僕はふさわしくないって思ってるんでしょ!」

 乱暴なほどの口調でそう言い放った玲熙は、要の手を振りきるようにして身を翻すと、そのまま足早にその場を後にした。

 逃げるように立ち去っていく玲熙を見送った要は、重いため息を一つもらすと、玲熙と入れ替わりに客間に入った。

 正座を崩すことなく座っていた志熙は、笑いを怺えるような表情で要を見上げると、そのまま喉の奥でくつくつと笑い出した。

「おやおや、玲熙に振られてしまったか?
 沖守家の次期当主ともあろう者が、ずいぶんと情け無い顔をするものだな」

「ふん……好きなだけ笑っていろ、志熙。
 他人事だから、さぞ面白いだろうな。
 だいたい、これほど近くにいながら、玲熙さんは僕の事を何も判っていないんだ。
 本当に放っておけたらどれだけ楽か──時々、あの人の肩を揺さぶって、何を見ているんだと問い詰めたくなる時がある」

 吐き捨てるような苦い口調で言った要は、眼鏡を外し、眉間を指で挟んだ。

 志熙はくすくすと笑いながら、日頃は滅多に感情を表さない要を見つめ、漆黒の双眸をわずかに和ませた。

 しかし、要が再び眼鏡をかけ直した時には、その瞳から感情の起伏は綺麗に消え去っており、それを認めた志熙もまた笑いを収めた。

「──それで、どう思った、玲熙さんを?」

「雪姫の気配はまるで感じなかったが……ただ、よく似ている。
 顔かたちだけでなく、雰囲気や、魂の色まで。
 だが、雪姫にはもっと強さがあった。
 芯が通っていない分、玲熙の魂魄には脆く、虚ろな部分がある。
 今はまだ──その時ではないのだろう」

 何かを思い出すかのように宙を仰いだ志熙は、要の怜悧な容貌を見つめると、硬質な唇に美しく淡い笑みを刻んだ。

「要、お前の苦労がよく判った。
 あれでは、一瞬たりとも目を離すのが心配であろうな」

 白い幽玄の美貌を見返した要は、微かにため息をついた。

「桜坂の方が忙しくて、しばらく玲熙さんの傍にはいられなくなる。
 だから、玲熙さんが家にいる間は、君が注意して見ていてくれ。
 学校の方は、ついさっき、峰月丞に頼んできたが──」

 その名前を聞き、志熙は険しく眉根を寄せた。

「……因果は巡るらしい。
 まさか、峰月家の者がここに現れようとはな。
 おまえは信用しているのかもしれないが、私は信用しない。
 できることなら、2人を引き離したいところだ」

 その声には冷ややかなものが宿っており、志熙の瞳は冬の夜空のように冷たい。

 穏やかな日溜まりの中に、突然氷雪が吹き込んできたかのように、志熙の纏う空気は凍えたように蒼く色を変えた。

 そんな志熙を見やり、要は軽く頭を振った。

「丞の父親は例のごとく陰陽師だ。
 だが、丞自身は何も知らない上、あの方の『影』が宿ってしまっている。
 恐らく封魔鏡が割れた時、『影』は器を求めたのだろう。
 『影』が宿っている以上、引き離すのは不可能だ」

「……楚良か──確かに不可能かもしれぬな。
 だが、なにゆえ楚良は峰月の者を選んだのか──」

 要の言葉を聞き、志熙は深く考え込むように呟いた。

「峰月丞も問題には違いないが、今は別の問題がある。
 逃亡した晴熙さんの事はもちろんだが、留学してきたアルラウド・ローウェルが厄介だな」

「アルラウド・ローウェル? 何者なのだ、そやつは?」

 怪訝そうに首を傾げた志熙に、要は淡々と説明をした。

「アメリカの大財閥ローウェル家の次男坊だ。
 奇妙なことに、峰月丞の知己であるらしい。
 調べてみると、昔からアルラウドの周辺では人死にが絶えないんだ。
 圧倒的に多いのは自殺だが、中には他殺と見られる事件もある。
 噂では、アルラウドが命じたのだと言われているが、そうでないにしても、彼は多くの恨みを買っているからな。
 アルラウド自身、爆殺されそうになり、死にかかっていたらしい」

 それを聞き、志熙は可笑しそうに笑った。

「ずいぶんと派手な人生を送っているらしいな、その者は。
 それだけ波瀾万丈ならば、退屈することもなかろうよ」

「──感心している場合か?
 良くも悪くも、アルラウドは台風の目だよ。
 その場にいるだけで周囲が巻き込まれ、被害が広がる。
 僕は、玲熙さんをそんな危ない男には近づけたくないんだが、桜坂の会長命令では逆らうことができなかった」

 常に冷静沈着な要の、あからさまに不機嫌な様子を見て、志熙はくすりと微笑んだ。

「時代は変わったのだよ、要。
 かつて隠岐宮家の下僕にすぎなかった桜坂が、今では命令を下そうとしている。
 だが、桜坂は一族にとっては良い隠れ蓑になるだろう。
 こちらの不都合ばかりでもあるまい。
 ……もっとも、確かに古狸の御老体は、玲熙には荷が勝ちすぎる。
 泰熙様が亡くなられてもしばらくは、表には出ない方が良かろう」

 語るうちに厳しい表情になった志熙に、要は問いかけた。

「しかし、それで君は本当にいいのか?
 隠棲していた君を表舞台に引きずり出してきて言うのもなんだが、君だって本当は裏方に徹していたかったのだろう?」

 志熙は唇の両端を鋭角につり上げると、つっと恨みがましい流し目で要を睨んだ。

「判っていて聞くのだから、お前も残酷だ。
 晴熙の邪恋さえ早々に戒めておけば、私がこんな苦労を背負い込むことは無かった。
 玲熙もここまで思い悩むことはなかっただろう。
 ──だが、今さら言っても詮なきこと。
 要、私のことならば心配するな……この髪なら、何とでもなる」

 長い純白の睫毛を伏せた志熙が穏やかに微笑むと、要はゆっくりとうなずいた。

「君がそう言ってくれると、僕も少しは安心できる」

 すると志熙はにやりと人の悪い笑みを浮かべた。

 そして、妖艶とさえいえる眼差しで要を見やり、一語一語を思い知らせるように、ゆったりとした口調で告げた。

「──もっとも、私は注文が多いし、陰険だし、かなり執念深いぞ。
 それを重々、忘れないようにすることだ」

「──……覚えておこう」

 冗談とも本気ともつかない志熙の言葉に、要は微かに顔を引きつらせて微笑んだ。